第24輪 一つの山を越えて、のんびりできると思ったんだが


 ——来たVeni見たvidi勝ったvici

 

   🚚


 田園地域の曲がりくねった街道を、ゆるゆるとトラックが進んでいる。

 多分……そのはずだった。

 ん? どうして「多分」なのかって?

 そりゃ理由は簡単だよ。今の今まで寝てたんだ。

 

 ふわぁぁぁぁ〜。


 と大きな欠伸を漏らしつつ、俺はトラックの荷台の上で身を起こした。

 高く昇った太陽が投げかける柔らかな日差しが、空から降り注いでいて、辺りはポカポカとした陽気に包まれている。

 荷台の片隅で、肩を寄せ合うようにして眠っているノーラとミナの二人が身体にかけていた布もずれて落ちかかっているけれど、この気候でなら風邪を引く心配はいらないだろう。

 とにかく大変だった一夜が明けて、まったりした空気に心がほぐれていく。

 せっかくだ。もう少し眠ってしまうかな……と。

 そう思ったとき、地獄の窯を開いて出てきたような、暗いうめき声が俺の思考を中断した。

 俺はやむを得ず、口を開く。


「……静かにしろよ、こっちは疲れてるんだぞ。気配りしろ」

「ううぅぅぅ……神使い荒すぎぃ……」

「まだ八時間ぐらいだろ。頑張れ頑張れできるできる」


 俺とノーラとミナの三人は荷台で寝ているのだから、運転席でハンドルを取ることが出来るのは、四人の内の残された一人——いや、一柱になる。

 つまり、この世界の神であるところの、女装神ヘンタイである。

 茶髪に近い黒髪をボーイッシュな感じに短くして、高校の制服のような茶系のタータンチェックスカートに、白ブラウスを合わせた女の子……に、外観上は見えるのだが、本人は男神だと自称している。

 神様と言うだけあって、外面というか見栄えは常人離れしている。男の娘という、幻想の存在をリアルにしてしまうレベルの容姿だ。

 ところが、いまの女装神ヘンタイには本来の華やかさが見られない。

 その理由はといえば、神様のくせに目の下に隈を作ったやつれた顔をしているからなのだが——俺はそれを演技と信じて疑わない。


「だってさぁ……ずるくない? ボクだけに運転させちゃって……自分たちは寝てるとか。これ、キミの車だよね?」

「諦めんなよ」

「へ……?」

「諦めんなよ、お前。どうしてそこでやめるんだ、そこで! もう少し頑張ってみろよ!! ダメダメダメ、諦めたら!! 周りのこと思えよ!」

「いや、あのさ。ちょっと待ってくれる?」

「応援してる人たちのこと、思ってみろって!! あともうちょっとのところなんだから!! 俺だってこのマイナス十度のところ、しじみがとるるって頑張ってんだよ!!!」

「だから、その謎のテンションやめ……しじみ? しじみってなに。貝だよね。なんなの一体」

「オンドゥルルラギッタンディスカー!!!!」

「何言ってるかすら分かんないよ!! 自動翻訳用の神の奇跡ですら軽々とぶち壊しちゃってるよ!」

「まあそういうことだから」

「旧に冷静になって話をまとめた気にならないで! 意味分かんないってば!」

「んじゃ寝る」


 ええぇ……。と、絶望感溢れる声が飛んでくるのを放っておいて、俺は再び荷台に横たわった。

 日差しはぬくぬくと。地球の現代日本と違って、排ガスゼロな空気は胸の奥まで吸い込むととても美味しくて——。

 いやあ、良い天気だなあ……。


「ちょっと……ねぇ……それ、本気なのぉ……?」


 しょぼくれた神様が、まだなにかしらぐちぐちと言っていたが、俺には聞く耳を持つつもりがない。

 昨夜は、兵士に囲まれたり、飛竜に追いかけまわされたりとヒドイ目に遭ったが、その原因はというと、この神様が空気を読まずに忍び込んでいる俺たちの下にトラックを運転してやってきたせいだし。

 そもそものきっかけも、やはりこの女装神ヘンタイ様の要請で……というか事実上の命令みたいな、「ミナって少女を助けなさい」というものだったわけで。


「お。そうだ」

 

 仰向けにひっくり返ったまま声を上げると、まだ続いていた神の——神のくせに心が狭いやつだなあ——恨み節が止まって静かになった。


「あのさ。ちょっと聞きたいんだが、いいか?」

「えー、なにさ、自分の都合のいいときだけボクを頼っちゃってさぁ……ボクは君のおかんじゃないんだからね?」

「いくらなんでも、性別男のおかんからは生まれてこれねぇよ。そんなことより……結局、これで目的は達成ってことでいいのか?」


 俺がミナのほうに視線を向けながら言うと、「あーそんなこと?」とまるで気のない返事をしてから、神様の奴は欠伸をする。

 お前が言い出したのにその態度はないだろとツッコミを入れようとしたところで、目尻に涙を浮かべた女装神ヘンタイ様がお答えあそばした。


「んーまあ……大丈夫じゃないかな……たぶん」

「たぶん?」

「はいはいそこ、手をわきわきさせない! ……実際ね、ボクらの未来予知は限定的なんだ。神様には神様のルールがあって、それで能力が制限されちゃうんだよね。一応、いまのところ、かなり良い方には向かったと思うよ」

「思う……」

「だから。仕方ないの。本当なの。ここで嘘吐く理由ないでしょ」

「俺は知っている。お前は面白ければ何でもする存在だと」

「いやいや……うん。まあそれはそうかもしれないけど。って、あっ、やめ……って?」


 こつん、と俺の手がガラスにぶつかる。

 これは当然の結果だ。

 トラックの運転席にいる神様と、荷台に座っている俺との間に何もないわけがない。

 運転席からは後ろが少し見えるように一部はガラス窓になっている。昨夜もここを通じて視線で会話していたので、いまさら語るまでもないのだが——ともかく、お互いに姿は見えるし、会話もまあ出来るが、ガラス窓を通り抜けて神を締め上げることはできないのだ。

 魔法の四トントラック(平トラック形態)の思わぬ欠陥であると言えよう。神に手を出すときだけはスルー仕様になってほしいものだ。


「……ぬふふ♪ 残念だけど、この車両では暴力は禁止でっすー♪」

「みたいだなぁ」

「いやあよかったよかった。キミの握力はけっこう洒落になんないからね〜」

「ああ、元々握力鍛えてたしな、俺」


 重力が低いらしいこの世界だったら、りんごを握りつぶせるぐらいの力はあるかもしれない。


「本当に痛かったんだからね、あれ。……ふふっ、でも、ここにいれば安全だしー。残念だったねー♪」

「そうだな。じゃあそういうことで、安全な場所で、次の街に着くまでの運転よろしくな」

「……え゛っ」

「なら代わってやろうか? それには一旦車停めて、降りて貰わないといけないわけだが……」

「んん……それは」


 両手をわきわきさせながら言うと、奴は真剣に悩んでいた。

 馬鹿め。そのまま悩んでいればいいのだ。その隙に俺はもう一度寝るぞ。

 こんなに良い天気なのに、昼寝をしないのはもったいない。現代日本に居たときはそんな余裕はなかったが、この世界ではそういう生き方をしていきたいと思う。

 仮に、この異世界に呼び出されたのが、贖罪を果たすためであったとしても……。


「んむー……。ご主人様、何をやってるのアルか」


 俺と神様の奴のやりとりのせいで目を覚めさせてしまったのか、ノーラが起きだしてきた。

 自分に寄りかかっていたミナを起こさないように注意深く立ち上がった彼女は、こちらに歩いてくるなり言った。


「そろそろ紹介して欲しいアルよ」

「……紹介?」

「その女の子のことアル」

「女の子? ……おぉ」


 ノーラの視線の先にある、運転席のシートに座った神様の顔を見て、俺はうなずいた。なるほど。


「いや、ノーラ、こいつはこんなんだが、れっきとした男だから」

「これが男なわけないアルよ……んん? 本当なノカ?」

「マジでマジで」

「そーだよ、男の子だよ♪ どもどもよろしくね。ボクはこの世界の神様だよ♪」


 首をこてん、と。

 横に倒したノーラが、丸く開いた目でこちらを見上げてくる。ノーラの目は血のような赤色なので、たまにこのような場面でどきっとさせられることがある。


「——この人、大丈夫アルか?」

「わりと大丈夫じゃないぞ」

「ねー、ちょっと、そういう誤解を招くこと平然と言うのやめてよねー♪」


 神の奴はなんとかかんとか言ってるが、実際問題として、これはあんまり大丈夫ではないと思う。うむ。慣れている俺ですらそう思うのだから。


「まあでも、残念だが……これがこの世界の神だ。いやまあ、あくまでも自称ではあるが……それっぽい能力も持っているし……んーでもそうだな、うん」

「一人で納得しないでほしいアル……」


 俺はノーラのツッコミを無視して、ガラス窓を指先でこんこんと叩いて、運転のために前を向いていた自称神様の注意を引く。


「——なあ、お前って本当に本物なの?」

「えっ、そこから? そこから説明させるの?」


 いやだってさ。俺、夢の中でこいつと会っていたからそう信じたけど、よく考えたら本当の意味での根拠って、実はいまひとつ足りない感じじゃん?


「ホラ、あの時、精霊石を沢山出したじゃない」

「まあ確かに袋は急に出てきたが……あれが出せることがどれぐらいすごいことかわからんし」

「むう……」


 ぷくうと頬を膨らませる女装神様。

 そんな子どもっぽい表情では、説得力はだだ下がる一方である。

 なんかこう、俺たちが感心するような、もっとそれっぽいことやれないのかー、と俺が要求すると……。


「うーん……うーん……うーん……」


 ずっと考え込んでいたから、これはダメだろうなと思った。

 ところが。


「あ、そうだ。あれがあるじゃない……よし、それじゃやってみせるから、ちゃんと見ててよね?」


 そんな、何の説明にもなっていない台詞の後。

 女装神様は、とんでもないことを始めてしまいました——。


「それは……私のココアです」


 妙なタイミングで、ミナの寝言が聞こえてきたのはきっとただの偶然。

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