第30輪 意外な相談ごとの、その内容


 例のレオ……なんだっけ、また忘れてしまったが……あいつとその飛竜を運送して欲しいなどという要望が、突然現れたエリスの口から発せられた。

 上手くやれば、指名手配を解いてくれるということなのだが、あのイケメン馬鹿にはあまり良い印象がない俺としてはお断りしたい依頼である。だが、話だけは聞いてほしいというエリスの手を振り払うことも難しく、俺は交渉の席についたのだった。

 それと、女装神ヘンタイ様はトイレなんかしないというのは嘘だったらしい。


   🚚


「で? 俺があいつと飛竜を運送してやらなきゃならん理由って?」


 エリスに水を向けると、彼女はうむと呟いてから話し始めた。


「レーニア王国の隣に、メルキアーノ王国という国がある。王都はメルキノ。商業に強い国で、王都はよく発展している。大陸一の大河に面していて、都の中にも運河が流れている。そこをゴンドラが行き交っていてな……建物が色とりどりだから、なかなか華やかだ」

「そういや、港町のディノンも、ええと……なんだっけ? 俺とノーラが会った……」

「あの町はサンドリスというアルよ、ご主人様」

「どっちも、建物の色はだいたい同じような色だったな……」

「レーニア王国では、焼きレンガに目地を詰めて家の壁にするのが主流だからだいたいは赤茶色の家になるんだ。メルキノでは外壁には漆喰しっくいを塗るのだが、さらに上から色の塗料を重ねると聞いた……水路の向こうからでも自宅を見分けやすくするための工夫だったとかいう話だ」

「へぇ……」


 どういう街並みなのか想像しようとして、テレビで見たことのあるヴェネチアの街並みを思い浮かべた。あそこはほぼ単色だったような気がするから、記憶の色を塗り替えてみる。

 ……難しいな。

 絵心のない自分には難易度が高かった。仕方ないので、話を元に戻すことにする。


「で、そのメルキノがどうした?」

「連絡が途絶えているのだ」


 重々しく言うエリス。

 だが、俺にはその言葉の意味するところが分からない。そう伝えると。

 

「レーニア王国とメルキアーノ王国は親密な付き合いをしていてな。今では、西方の四大王国は王家間の婚姻政策によってなにがしかの血縁関係があるのだが、この二国の場合は誕生した時点で初代の王同士が遠い血縁関係にあった」

「イギリスとフランスみたいなものか」

「きりぎりす? さふらんそーす? 聞いたことのない名前だが……」


 前回にも思ったのだが、エリスの耳は空耳アワー度が高すぎる。

 女装神が俺に施したという意思疎通のための奇跡(魔法?)の影響なのかも知れないが。


「とにかくこの二国の間では、定期的に使節が行き交って情報交換というか……宮廷での舞踏会などを含む、交流の習慣があるのだ」

「舞踏会ねえ……そういや、エリスって踊れるのか? 貴族様なんだよな?」


 ダンスらしいダンスをしたのは小学校の頃であるし、それも体育祭での、みんなで並んで踊るという、よく分からない踊りだ。

 パートナーと踊る社交ダンスとか、そういうわけの分からんものに憧れはないのだが、貴族というからにはこいつは踊れるんだろうな、と彼女の貴族らしい——この世界でも、そういう風に思われるものなのかは知らないが——金髪碧眼を見ながら考えた。


「わ、私が踊れるかどうかが一体この話になんの関係があると言うのだっ?」


 漫画なら周囲に飛び散る汗のマークが出そうないきおいで慌てだしたエリスを見て、俺は「あれ?」と思った。この態度は、つまり……。


「あれ? 踊れないの? 舌噛んだりするし、見た通りに不器用なんだなあ、エリスって」

「お、踊れるとも! というか、舌を噛む癖があるのと不器用さは特に関係ないだろう! いや、そもそも、そういう話ではなく、私が踊りが得意かどうかと確認するその意図——」

「……条。ちょっと」


 何やら言い募っているエリスの言葉の後段は、くいくい、と袖を引っ張ってきたミナの割り込みによって聞きそびれてしまった。


「どうした? っていうか、大人を呼び捨てするなよな、お前」

「私はノーラと違って、もう奴隷じゃないし。あなたのこと、ご主人様とか呼ぶ気はない」

「まあ……それはいいけどな。……で? なんだ?」


 いつものように、ちょっと固くてたどたどしい言葉遣いと、生意気にも俺を凝視する視線の組み合わせで、話し掛けてくるミナに、俺は口うるさくする気力を失った。


「……に行きたい」

「ああ?」

「と、いれ」

「ああ、トイレね……好きにすればいいじゃないか」


 俺は何を言ってるんだこいつ、という感じでミナを見つめた。

 それとも、この世界のマナーは、会談中に用足しのために席を離れることを禁じてでもいるのだろうか。


「……例の女装の人が戻ってこない。入りっぱなし」


 女装の人、というのはつまり女装神ヘンタイ様のことである。

 ここに来るまでの道中で、人前で女装神ヘンタイのことを、神様神様と呼ぶと都合が悪いことが分かった。日本と違って信仰心が高いせいか、かなり変な目で見られる。

 なので、俺はやつをこれまで同様にヘンタイと呼称していたのだが、ノーラやミナは適当に言葉を濁しているうちに、自然に「あの人」とか「女装の人」と呼ぶようになった。

 なんか、後者の呼び方については女装神ヘンタイのやつはさめざめと泣いていたようだが、的確だし仕方ないと思う。


「あいつがトイレから出てこない……だと?」


 俺は椅子から立ち上がった。

 心配してのこと、ではない。

 いや、心配はしていたが、それはあいつ自身ではなく、あいつがやらかすであろう何事かについてだ。

 トイレのドアの前まで移動してノックする。


「……反応がないな」

「話の途中なのだが……」


 しおれているエリスにちらっと視線を投げて、後にしてくれと伝える。


「うむ、ならば、このまま話の続きをしよう」

「そうじゃねえ」


 全然伝わらないアイコンタクトであった。

 目は口ほどにものは言わない。だって目じゃねえか。

 ともあれ、俺は再びノックをした後で、反応がないのを確かめてドアノブを握った。

 力を加える。回る。……回ってしまう。鍵はかかっていない——。

 そして、躊躇した。


「……やつの性格からして、明らかになんか仕込みがあるとしか思えないんだが」

「けど、ひょっとしたら倒れているかもしれないアルヨ……」

「それはないだろ、ああ見えても……女装神ヘンタイだぞ?」


 神様だぞ、と言いたかったのだが、エリスの前でまだそれを口にするわけにはいかなかった。


「おじさん、ごめん、限界が近い」

「だからおじさんじゃねえ……仕方ないな」


 くるり、がちゃっ。

 そーっとドアを開けて、中を見ると……。


「いねえぞ?」


 中には洋式の便器があるだけ。使用後なのか使用前なのか……あまり考えたくないが……蓋は閉じている。普通の、現代日本のトイレと比較して、特に違いがあると感じるところはないだろう。

 ウォシュレットではないが、別に現代でもすべての家庭がウォッシュレットになっているわけでもないし。

 ……と、に気付いた。


「なんだこの紙切れ」


 便座の蓋の上に、折りたたまれた白い紙が一つ。

 手にとって、広げてみると……。


「読めん」

「ご主人様、私が読むアルよ」


 会話では異世界語は理解出来るのだが、文字はさっぱりなのだ。

 素直に俺はノーラに手紙? を渡した。


「こう書いてあるアル……さらば、諸君。私はここから旅立ち、しばらくは戻らない。そして、ジョー。少女騎士の依頼は、貴君の使命に深く関連している。断ることなかれ。最後に、重要なことを告げなくてはならない……棚にある缶入りのビスケットはボクのだから、絶対絶対ぜーったい食べたらダメだかんね……大丈夫アルか?」

「ああ……まあ……頭痛と目眩はしているが」


 最後の一言はノーラから俺に向けたものだった。

 それに対し、俺は、頭を抱えたまま先の返事をした。

 本気で頭痛がするというか……あいつは何を考えているのか。

 まあたぶん、面白ければそれでいいや、ぐらいしか考えてないんだろうけど。


「エリス? もしこの仕事受けたら、お前も着いてくるんだっけ?」

「ああ、そのつもりだが……?」


 急に話の矛先を向けられたせいか、戸惑った様子で自分の髪に手をやりながらエリスは頷いた。

 俺はその答えに満足して、続ける。


「んじゃ、話は後で聞くのでいいか? なんていうか……諸事情で、やらなきゃいけなくなっちまったから……とりあえず出発して、話はおいおい……と思うんだが」

「それは……助かるが。……しかし、お前とあの少女はどういう関係なのだ?」


 なぜか厳しい目つきになって、そう問いかけてくるエリス。

 俺は頭を掻きながら答える。


「色々事情があってな……はぁー……」


 思わずため息を吐いてしまう。

 事情をエリスに説明するのは難しい。

 俺が、異世界からやってきた旅人で、あの女装神ヘンタイは実はこの世界の神様で、世界を救うために神様の使い——協力者? をやっているなどと、言っても信じてもらえるかどうか。

 だから、適当に言葉を濁すしかないのだが。


「その辺も、道中で説明してもらうとしようか」


 厳しい声の調子で、エリスはそう宣言してきた。

 困ったなぁ……。

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