6

 老人から関のことと、恵里の居場所について香介は話を聞き終えた。

 特に前者の驚きが強かった。生まれる以前のことだがこの田舎町でそんな事件が起きていたとは考えもしなかった。それに自分が何らかの形で関わっているなんて夢にも思わなかった。どのように関わっていたかまでは島田と同じく話せないと言われてしまったが、それは恵里から聞けばいいと考えていた。

 そう楽観的に考えられたのも恵里の動向が掴めたからだ。

 恵里はつい数時間前までこの神社にいたそうだ。今朝方突然神様の家を尋ね、「ここで匿ってもらうからそのつもりで」とさも当然という態度で乗り込んだとのこと。組の、青葉の傍若無人ぶりを目の当たりにしたことのある層は式に参列するのではないかと浮足立っていたことは老人の口からは語られなかった。

 その恵里は今はここにいない。

 杏子の母がどこかへ連れて行った、と組員が証言した。どこかまでは知らないとも。

 島田はその場に残ることを許されていた。香介が話した内容は疑惑を払拭するような内容ではなかったため、囚われ続けている。けれど、組員が口にした拘束理由とは無関係が過ぎ、どこかで島田が関とは関係があるのかと思わせるに至っていた。

 香介は情報を得た。先の状況を鑑みれば、もはや解答とも言える。そこで彼が次に必要としたのは指針だった。次に何をするべきか。それを示す指針。無論、恵里の無事を確かめた今、わざわざ捜索する必要性はない。島田の恵里に会いたいという願いは残念ながら今日中には叶わないだろう。彼女は昔それだけのことをしてしまったのだから拘束だけで済むのは幸運ともいえる。むしろ、裏稼業の方々を敵に回してよくぞ今日まで生き延びる幸運を持ち続けたともいえた。

「関は一体どうしてこの街へ来たんだ」

 香介はそう漏らす。

「儂らに復讐しに来た以外に何か理由があるのかい?」

 老人は答えた。

 復讐という言葉に香介は違和感を覚える。

「なら、早々に仕返しにきてもよかったはずだ。二十年も待つ必要性がない。――ところで、ここで何をしているのですか?」

「今日は神前式だったのだが……どうにも娘の調子が悪いらしくてのう。始まるのを伸ばし伸ばしにしてきたがもうこんな時間だ。今日はできんのかもなぁ」

 老人が残念そうに金色の腕時計に目を遣る。そこには三時半と長針と短針が示していた。大事に育てた孫の晴れ舞台がこんなことになって気の毒であると香介は同情する。より残酷な事実を告げることになることを。

「島田さん」

 香介の呼び掛けに島田はすがりつく視線を投げかける。その瞳は潤んでいた。

「先ほど祝詞を読んでもらうために陰陽師を呼んだと言いましたね?」

 食い気味に「い、言いました!」と島田は肯定する。

 違和感の正体を掴みかける。

「――すみませんが、そのお嫁さんの姿を今確認してきてもらえますか?」

 老人は部下に「確認してこい」と指示を出す。すると行きは早足程度だった部下は息を切らして戻ってくる。

「大変です! お嬢の姿が見当たりません!」

 黒服らはどよめいた。

 どういうことだと怒鳴り散らす老人。それを必死に落ち着くように黒服らはなだめていた。だが孫娘がいなくなって気が気でない老人は「これが落ち着いてられるか!」と杖で部下を殴打した。部下らは青あざを作りながらもなだめ続ける。それは老人が殴打し続け、息切れを起こすまで続いた。

「大丈夫ですか?」

 香介は老人を気遣う。

 老人は息切れを整える暇なく畳み掛ける。

「どうして孫娘がいなくなったことを知ってたんだ。ことと場合によっちゃあ天野様の大事な人でもタダじゃ置けねえ」

 唸るように息を吐き出す老人はさながら獣のようであった。対して香介はひたすらに冷静であった。極道の中の極道である老人は血管が浮かび上がるほどの怒気を香介に向かって放っていた。それを涼しい顔で受け止め、口角を上げる。

「お爺さん、これも、これから言うことも単なる推測ですよ」

 老人は眉をひそめる。

「杏子さんのお母さんが恵里を連れて行ったのはきっとそのことが原因ですよ。恵里には島田さんの言う通り、人捜しができる力か何かがあるのでしょう。それで杏子さんを見つけるつもりだったはずです。大事にしないため、誰にも言わずに」

 老人は腑に落ちたのか、落ち着きを取り戻した。

「――すまないな。頭に血が登ったようだ」

 老人が頭を下げる。

 老人が落ち着いたのを見ると、部下は続けて報告する。

「悟史様の姿も見えません。――一時は駆け落ちも推測しましたが、恐らくお嬢とともに捜索しているものと思います」

 駆け落ちなんて推測が出まわることにならないで良かったと香介は胸を撫で下ろす。この状況下では全てが推測の域を達しないことばかりで構成されている。ゆえに早い者勝ちの論理が強い。それを信じたいと思わせることが重要であり、信じたくないものよりも先に出さなければいけない。

「すんません! 実はこんなものを奥方様から預かってました。衣装の邪魔になるからどこかにしまっておいて欲しいと頼まれたのでこんな大事に関係してるとは思いやせんでした」

 侘びと共に出てきたのは銀のネックレスだった。花の紋様が描かれたロケットには銀の鎖に繋がれていた。それが杏子にとって大事なものであることは周囲のざわめきから判断できた。とりわけ老人が大きく驚きを示した。

「これは一体どういうものなのですか?」

「先代組長――この方の奥方の形見だ」

 近くにいた男の一人が答えた。先代組長の老人は続ける。

「これには特殊なまじないがしてあっての、強すぎる力を霧散させることができる」

 力という言葉にピンとくるものがなかったが、すぐに島田の腕が変化したことを思い出し、その類のことだと納得した。

 香介は未だ考察できていないことを脳内で並べる。関が黒服の一部に危害を加えた理由、杏子が失踪した理由、神様が不在である理由の三点である。ふと、香介の視界の端に関に襲われたという黒服の姿を捉える。その男らはどこか視線が泳いでいた。宙を泳ぐ視線は時折香介で恐る恐る休憩していた。

 香介がその視線を捉えると、視線は慌てて再び泳ぎだす。

「あんた。――そう、あんただ」

 襲われていた男を指差す。

 その男の後ろからサーッと仲間のはずの黒服らが離れていった。

「なあ、あんた、隠してること教えてくれてもいいんじゃないか?」

「か、隠してることってなんだよ」

 突如として態度を変えた香介の空気に男は呑まれた。ここぞという時の恵里が発する雰囲気は激流そのものである。その雰囲気に慣れ親しんだ香介は似て非なる雰囲気を持つことができるようになっていた。言うなればそれは津波であった。全てを飲み込むそれはどのような相手であれど流れを引き込むことができた。

「奥方だったか? その人に頼み事されただろ。それについて教えてくれればいい」

 島田に対して行っていたそれは気が乗らず、高波程度のもので収まっていた。今しているこれは標的とされた者は似て非なることすら許さない。

 男は渋る。周囲はそれを知りたがっていると男は肌で感じていた。だが、ここでそれを口にすることは杏子の母に対する裏切りである。それを天秤にかけても、その左右の腕は上下に揺れ続けるだけでどちらか一方に腕が上がることはなかった。

「もちろん立場ってものがあるから言えない気持ちもわかる」

 香介は手を引く素振りを見せる。

「そうなんだよ。俺も立場があって、守秘義務ってのがあんのよ」

 その隙を見せた瞬間、男は食い気味に口を動かした。

「おじいさん、もしかしたら関は杏子さんを助けるために襲ったのかもしれませんよ?」

 話題の矛先を老人へと向ける。

「なにい?」

「杏子さんがいなければ、お母さんも行方不明。いなくなったわけは知っていても教えることはできない。関に襲われたと言ってはいるが、一方的な主張に過ぎない。――これじゃまるで事件が発覚するのをひたすら伸ばしているようにしか思えないな」

 男はその隙がわざと見せられたことに気づく。「単なる推測でしかない」と反論しても一度根付いた印象は拭いがたい。

 ――津波は引き波が最も恐ろしい。押し出すのが一般的に想像される波だとしたら、引き波は引きずり込まれる波なのだ。陸に押し上げるそれと違い、陸からあれよあれよという間に離されていく。流されていく。深海へと引きずり込まれていく。

「これ以外にもう弁明する機会はもうないからな?」

 最後通告された男は目を伏せる。

「わかった。教える。ただし、あとで恵里様から擁護の言葉を言ってくれ」

「約束する」

 安堵の溜飲を男は下げる。

「――俺らは奥方に命令されてお嬢様を拉致した」

 周囲はどよめいた。誰も彼も意味がわからず、それぞれ思い思いの疑問や怒りを男へとぶつけた。

「静かにせんかいっ!」

 老人の一喝により、どよめきはその場を去る。残されたのは老人の「続きを」と促す言葉と続く男の説明だけだった。

「直接命令されたわけじゃないからその意図を訊く機会はなかった。組のことで忙しくあまり娘に愛情を注げなかったと嘆いておられる奥方様のことだから、今回の命令もお嬢様のことを考えてのことだと考えたから実行した。お嬢様の教育係だった佐野さんも今回の件に加わっていたから尚更だ」

「関に襲われたタイミングは?」

「お嬢様を拉致してすぐに妙な幽霊の少女がこっちを見ていた。誰かの監視だと思い、追い掛けた。そこを邪魔された」

 香介は脳内で相関図を作り上げていく。情報を点、推測を線として繋ぎあわせている。事実が新しく生み出される度に推測は更新されていき、より精度が増すものとなる。香介はもう一手、何か点と線が図となる情報が欲しかった。

 また、同時に嫌な予感を香介は感じていた。それは今朝方、ニュースで流れていたものを連続行方不明事件を視聴した時のものと似ていた。えてして推測を重ねた香介の勘は外れることは滅多になかった。

「もう一つ。お前に直接命令したのはその佐野ってやつか? それとも違うやつか?」

 男は「それは」と言いかけて後ろに目を遣る。誰かを捜しているがどこにも姿が見当たらなかった。「さっきまでここにいたあいつは?」と仲間に訊くが、誰もそいつがいなくなったことに気づいていなかった。

 狸の尾を伸ばした黒服がその場から消えていた。

 ネックレスもその黒服とともに消えていた。

 その後すぐに杏子の拉致誘拐は奥方の名を騙ったものだという連絡がきた。

 

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