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 下野悟史の目の前では義母が携帯電話でどこかへ電話をかけている。悟史にはそれが組の人の誰かかと考えたがやけに丁寧な口ぶりからそうではないと容易に想像がついた。

 悟史は力なく大樹に寄りかかる。二人は今、ご神木の影に隠れていた。大の大人が八人ほど手を繋いで囲むほどの太さのご神木は神社脇に屹立している。あまりの太さ、神社脇なことに加え、背後が雑木林になっているため隠れるのにもってこいであった。

 義母が通話を終える。

「悟史くん、このことは両家には伝えないこと。理由はなんとなくわかるでしょ?」

 悟史は察した。

 この縁談も様々な障害を乗り切った先にようやく辿り着いたものであった。極道とカタギが縁を結ぶことは並大抵のことではない。ここまで辿り着くまででも大変であったが、縁談が決まったあとも様々な妨害があると予想されている。もうすでにいくつかの妨害がなされている。しかし、それを外部にむざむざ広めるわけにはいかない。一枚岩でなくなった組織には様々な外部からの搦め手が差し伸べられてしまう。それ故の忠告である。

「はい、わかります」

 義母はそれとなく視線を逸らす。その視線の先には組の若い衆が立ち話で盛り上がっていた。

「もう少し、奥に行きましょう。ここじゃ向こう側から見られるわ」

 二人は林の奥深くへと進む。全方位に林が並び立っていた。いちょうともみじの葉が絨毯のように隙間なく敷き詰められていた。対してそれらの元々の持ち主である枝は、環境破壊が進んだ頭皮を彷彿させるぐらいの哀愁が流れていた。林以外は、木々の隙間から社務所が見えるぐらいだった。

「ここらへんでいいかしら」

 義母は周囲を見回し、誰もいないことを確認する。

 確認が終わると、空気が勢い良く噴射した風船のように悟史に詰め寄る。

「ねえねえどうしよう。このタイミングでいなくなるなんて絶対におかしいわよ」

 突然雰囲気が弱々しくなった杏子の母親に悟史は面を喰らう。

「お、落ち着いてください」

 悟史が慌てて杏子の母親を剥がすと、杏子の母親は冷静さを取り戻す。

「ご免なさい。娘がいなくなって気が動転してたみたい」

 言葉遣いを整えるが、その頬にはほんのり紅潮していた。

「気にしないでください。僕も気が動転してたので」

「あら、それにしては落ち着いているわね」

 自分よりもおかしくなってしまった人を見ると、逆に落ち着いてしまうとは口が裂けてもいえない悟史であった。

「この家に婿入りすると決めた時点で何があってもうろたえないと覚悟したんですよ」

 そんな覚悟はできていないという良心の呵責はあったが、この女性をパニックにしてはいけないという大義名分で言い切った。

 お人好しやら包容力があると言われる悟史だったが、それは人一倍周りに目を配っているからこそ言われるようになっていたのだった。結婚相手である杏子にもそのことが言えないでいた。言えない理由はなんてことはない。ただ無邪気に甘えてくれるのが嬉しかったのだ。なんてことはない聖人の生まれ変わりと評判の悟史も一皮剥けばただの男であった。

「あなたみたいな御仁が娘の婚約者で良かったわ」

 慌ててとりなおした義母であるが、悟史にはもう極道の女には見えることはなかった。

「光栄です」

 けれどそれを表出さないことが彼のお人好しの基本だった。

 義母は険しい顔をする。それが本題へ入るということの合図だと悟史は理解する。杏子も真面目な話をしようとすると眉間にしわが寄せ、怒っているような顔をするからである。

「とにかくこのことは私達二人でなんとかするわよ」

「僕ら以外に知ってる人はいないのですか?」

「娘の準備を手伝う予定だった数人よ。けどその子らもいなくなってたことに気づいてなかったみたいだし、数人も杏子と一緒に行方不明だから力にならないわ」

 消えた従者に疑いを向けた悟史だが、義母が一切疑念を持たないところからよほど信頼している相手だろうという結論に達する。

「――とりあえず式始まるまで時間ないですからどうにか遅らせましょう」

 悟史は婿入りする家の母親に嫌われるべきではないと考え、従者については保留することにした。

「……そうね。そうだわ。とりあえず娘が貧血起こしたということにしときましょう」

「それじゃ僕が皆さんに伝えておきます」

 雑木林から出ていこうとする悟史を義母が悟史の両肩を押さえて止める。

「ま、待ちなさい。そういう小間使いは部下にやらせときなさい。それに事情もよく知らない奴に頼んだ方が追求も逃れられるから」

 それもその通りだ、と悟史は納得する。

「私は適当な若いやつに言伝とかしてから捜すから、あなたは外に捜しに行って」

「わかりました、お義母さん」

 ちなみにどこかアテはあるのですか? と悟史が尋ねる。

 義母は空を見上げて、喉仏を辺りを中指でリズムをとっていた。これは杏子もよくやる仕草の一つだった。なんでも喉元でつっかえている言葉を無理矢理押し出すおまじないと悟史は聞いていた。義母も、もう亡くなった杏子の祖母から教わったのだろう。

「あるっちゃああるけど、どうにもそういうことする奴には思えないのよねぇ」

 んん、と唸る杏子の母。

 悟史は何か自身じゃ到底思いも寄らない極道の事情があるのだろうと納得する。

「とにかく杏子が行きそうなところへ捜しに行きます。もしかしたら単なるマリッジブルーっていう可能性もあると思うので」

 そう言って誰にも見つからないよう雑木林の方を突っ切って悟史は神社から飛び出した。その飛び出した小道でお爺さんに見つかりお叱りを受ける羽目になってしまった。

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