3

 杏子は困惑していた。

 渡良瀬組の門をくぐった彼女はどのような辱めを受ける覚悟ができていた。だがフタを開けてみればどうだろうか。広い和室に通され、監視は複数人ついてはいるものの侍女がつくような歓待を受けていたのだ。

 侍女は杏子の前のテーブルに湯のみを置いた。緑茶が注がれたそれには立派にそそり勃つ茶柱があるではないか。ここまで気を使われると逆に怪しい気がしてならなくなった杏子はそれに手を付けずにいた。どういうつもりなにか侍女や監視に問いただしてみても「すぐにわかる」といったことを言われるだけであった。

 それなら、と杏子は意を決し、とことん待ってやろうと考えた。

 そんな決意も虚しく、答えはすぐにやって来た。

 和室にグレースーツの背丈が高い男が現れる。三十代前半ほどである。組の構成員としてはまだまだ若造と言われてしまう年齢であるが、男を見た監視や侍女は立ち上がり、それぞれうやうやしく礼儀を正した。

 そこで杏子は、この男が渡良瀬組の幹部であると確信した。

 杏子は立ち上がり、男の前に立ち塞がる。

「あんた、幹部? どうしてわたくしをこんな良く迎え入れいている?」

 男は歯牙にもかけない様子で、杏子の肩に手を置くとそのまま横を通り過ぎていく。男は杏子がいた席の低い四足テーブルを挟んで向かい側に座る。手のつけていなかった緑茶を喉に流し込んだ。

 杏子は男の向かいにあぐらをかいて座り、睨みを効かせる。

「あの女性の血を引いているとは思えないじゃじゃ馬っぷりだな。いや、むしろらしいのか」

 いきなりそんなことを男が口走る。

「どういう意味?」

「どういう意味もなにも嬢ちゃんの母親のことだよ」

 声を低くして尋ねるも、男は声色一つ変えない。

「あんた一体誰? 母の何を知っている」

「そういえば幹部かどうか訊いていたな。そうだな、幹部でもあるな」

 男が小さく口角を上げた。

「俺は渡良瀬組、組長――渡良瀬健介だ」

「なんだと?」

 杏子の声色が変わる。

「質問に答えただけだ。そうカッカするな」

 杏子は侍女に「お茶」とぶっきらぼうに言う。急いで持ってきた侍女から湯のみを受け取ると喉に流し込んだ。

「なら、この扱いにはどういう意味がある?」

「一応渡良瀬組と原田会は不干渉条約が結ばれてるからな」

「攫っておいてよくもそんなことをいけしゃあしゃあと」

「そうだな。攫ったのは悪かった」

 素直に謝罪の言葉を口にした渡良瀬に杏子は拍子抜けする。

「どうして謝る」

 渡良瀬は内ポケットから煙草を取り出す。すぐさま監視が火の準備をした。

「今日は式だったんだろ? 狸から聞いているよ。俺もめでたい席を邪魔するほど無骨者じゃあないさ」

 さらりと狸が渡良瀬組の内通者であると話される。あまりにもさらりとしすぎたため、気にする暇もなかった。

「ならどうしてこんなことをした?」

 渡良瀬は煙草の煙をくゆらせ思案する。

「……嬢ちゃんは知らなくて当然か」

「馬鹿にしてるのか」

「いいや褒めてるんだよ。娘をきな臭い話から遠ざけてるのだからな」

 杏子はその意味が分かった。

 杏子は組の詳しい内情を知らない。母が教えてくれないからだ。カタギとして生きてはいけない。ゆえに、組の責任を負うことになるまでカタギに近い生活を送ってほしいという母の想いだった。それを理解しているからこそ杏子はそれに甘んじていた。カタギの幸せを母に見せることが、組の責任を背負う母への親孝行でもあった。

「知らなくて悪かったな。それでそれはなんなんだ」

 渡良瀬は煙草を灰皿へぐりぐりと押し付ける。

「顔役もとい創造神の加護を譲り受ける」

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