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世界を創造した神様が自身が成したことに比べればどうしようもなくみみっちい仕事に頭を悩ませている頃、ある中年男性が彼らの住む街に訪れていた。短髪で無精髭、丸眼鏡によれよれのスーツという出で立ちだった。浮浪者とまではいかないが飲み屋街で朝まで飲んだような格好のこの男は今日も今日とてお仕事だった。
この一見陰口を叩かれそうな風貌の男はいわゆる陰陽師という職業についていた。
この男はこの世に生を受けたその瞬間から陰陽師という職につくことを宿命づけられていた。男が生まれたのは平安から続く陰陽師の家系である。そして、本家の跡取りだった。加えてこの男はお家が始まって以来、並び立つ者がいないと称されるほど才覚に恵まれていた。そんな男は蝶よ花よと育てられ、その自我は肥大しとどまることを知らなかった。一人前の陰陽師として活躍する頃には天上天下唯我独尊を間違った方の解釈を地で行くような輩へと成長してしまっていた。
男が一度街へ降り立つと、適当な女を誘い朝帰りが当たり前。酷い時にはその日その日で女を変え一週間ほど帰ってこないなんてことはざらであった。そんなもんだからか、門下生たちの叩く門を間違えたという愚痴は合言葉のように浸透していた。
そんなクズが服を着て歩いているかのような人物がある日を境に真人間に生まれ変わってしまった。この場合の『しまった』という言い方は後悔の意味を示すのではなく、周囲の人間の慌て方があまりにも酷かったからだ。
朝帰りしてそのまま就寝が常だった男が、日も明けないうちに滝行を始め、入門したばかりの者がするような雑務を一手に引き受け、雑務を完璧にこなしたあとは再び夜遅くまで修行に明け暮れる。
そのような毎日を繰り返していると「好いた女にやれと言われたのだろう」や「明日は雪が降るな」という初日に叩かれていた憎まれ口も次第に減り、「狐につままれているのではないのだろうか」という陰陽師にあるまじき感覚に襲われ始めた。一度男を本当に狐につままれているのではないかと不安に感じた門下生が徒党を組んで襲ったことがあった。自らを叩きなおした男はそれをものともせずに返り討ちにした。
元々天才性でどうにか跡取りとしての面目を保っていた男は、この一件でほぼ完璧にカリスマを取り戻した。
開祖以来の出来とされる男が真面目になったことで、男の組織はかつての男の自我のように肥大化した。ただ肥えるのではなく、相撲取りのような理にかなった体作りで鍛えあげられていった。
一方、自我が萎んだ風船のようになった男は、僅かに残った空気さえも絞り出すが如く来る日も来る日も修行と人助けに明け暮れていた。
その男の名こそ関智春という。
関が今身につけているよれよれのスーツも、虎柄の子猫をカラスの群れから救ったがゆえの代償であった。
関がこの街を訪れたのは陰陽師としての仕事が理由の一つだった。引き受けた仕事はある夫婦の厄祓い。高名な陰陽師がやるにはどうにも割に合わない単価の仕事だった。普段ならば仕事の受注をしている事務員兼弟子が断る案件だった。だがたまたま関の耳に入ったためこの仕事を請け負ったのだ。この時、関はまだその夫婦が自身を見つめ直すキッカケになった街に住んでいるとは気付いていなかった。
関は助けた子猫を抱きかかえ、夫婦が待つ神社へと歩いて向かっていた。
関の心拍数はこの街に降り立った時から上がりっぱなしだった。過去に自分がしでかしたことに克服しようと修行に明け暮れたが、それは目を逸らし続けていただけに過ぎなかったことを再認識させられていた。修行に明け暮れるうちにまっとうな人間に成長できたと錯覚してしまっていた。
つまるところ関の芯のところは変わっていなかった。表面は努力の甲斐があってか誰からも尊敬されるガワを被ることに成功していた。ただ中身はというと、あの事件から変わらず、打たれ弱いまま、傷ついたままだった。今でも時折古傷が痛むように、心の古傷が夢となって現れていた。
「弟子には見せられない格好ですね」と視線を落とした。
苦笑する関の胸に抱く子猫が「みー」と鳴いた。
子猫を一撫でし、微笑む。
「そうですね。夫婦の門出を祝うのですからこんな顔をしてたらプロ失格ですね」
すると「みゃー」と鳴き声が返ってきた。
「あなた、私が言っていることがわかるのですか?」
これには子猫はだんまりだった。
代わりに関の問いかけに応じたのは携帯電話のバイブレーションだった。画面に表示されたのは厄祓いを依頼した女性からだった。関が応答すると、半分パニックを起こして話がシッチャカメッチャカだった。
「どうしたんですか? 落ち着いてください」
関が電話口で深呼吸を指示すると、どうにか話ができるぐらいには落ち着いた。
「すみませんでした」
「いいえ、仕事柄こういうのは慣れているので大丈夫ですよ。それより大変慌てていらしてましたがどうしたのですか?」
「今日厄祓いしてもらうはずの夫婦の――お嫁さんが行方不明になりました」
「それはマリッジブルーで失踪したということですか?」
「いいえ、そんなはずありません。彼女は今日という日を心より楽しみにしてたはずですし、彼女がいつも肌身離さずつけていたネックレスが残っていたんです」
「――何者かに攫われたということですか?」
この段階で何やら厄介事が起きていると確信した。それも警察ではなく、一介の陰陽師でしかない自分に相談を寄せるということはその筋の専門家が必要な事案であるとも。
「……たぶん」
その自信なさげな発言に関は、確信はしているが証拠はないといった状況だとも理解した。少なくとも嫁さんが一人でどこかへ逃げたのではないことは信頼が置ける予想とみてよさそうだった。
「こちらでも捜してみます。なにか特徴はありませんか?」
電話越しの女性はしばし考えこむ。
「……髪が長くて、ハーフです」
特徴を聞き終えると、通話を終了した。携帯電話をポケットにしまい込み、子猫を一撫で。
秋晴れの澄んだ空を見上げる。
「随分と気が早い厄ですねぇ」
子猫が「みゃー」と返事した。
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