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 瀕死の黒服が積み重なり山のようになっていた。スーツは切り刻まれ、サングラスのレンズは砕け散っていた。不思議なことに生身には傷ひとつついていなかった。しかし、奮起するために必要な何かをバッサリ刈り取られてしまっていた。

 その前に立つのは死神である花子。大鎌の柄の先のアスファルトに叩きつける。そして、もはや恐怖する気力すらない黒服の一人の胸ぐらを片手で掴み持ち上げる。その黒服には灰褐色のモコモコとした尾が生えていた。その顔の厳つさに似合わぬ可愛さ溢れる尻尾だなという花子は笑いを堪えるのに必死だった。

 睨みを効かせたまま吐き出しかけた空気を肺に押し戻し、発する。

「てめぇ誰に喧嘩売ってんのかわかってんのか?」

 怒声を浴びせ黒服を前後に振るその姿は女任侠そのものだった。白目をむき出しにして怒りを露わにする姿は歓楽街でならなくはない光景ではあるが、少なくとも通学路がある閑静な住宅街で見るべき光景ではなかった。

「す、すすす、すみません。まさか、花子様だとは知らずにとんだご無礼を」

 黒服がボディブローを一発喰らう。

「私のこと知ってんならその名前で呼ばれること嫌いってことも知ってんだろ」

 掠れる息で「すみません」と謝罪する。

「知ってて言ってんじゃねえか」ともう一度その拳をみぞおちに食い込ませようとしたが、それをやってはリーダー格のこの男から情報を引き出せないと思いとどまる。

「あの少女をどうしてお前らから逃げた? どうしてお前らはあの少女を追いかけている?」

 黒服は黙る。

 花子は冷たく言い放つ。

「もしも私に嘘をついてみろ。神の名のもとに一族もろとも皆殺しだ」

 もちろんそんな権限など花子には存在しない。真っ赤な嘘だ。あるとすれば違法行為を行った者を確保するぐらいが関の山だ。裁く権利は今現在絶賛デスマーチ中である神谷こと閻魔大王にしかない。嘘をつけば地獄に落ちるという教育法を思い出す。だが花子は世界を騙すような大嘘をついたとしても友達判決で地獄に落ちることはないだろうと考えた。公的な立場としてはあってはならない思惑だった。

「……あの娘は私らの仕事内容を見てしまったのです。ですから逃すわけにはいかないと思って追いかけました」

 黒服らを花子は一瞥する。カタギではないと考えていたが、人に見られただけでも危ういことをしているとまでは考えが及んでいなかった。けれど、脅されて言えるぐらいの悪事とも言える。――嘘はついていなくとも全てを言うつもりがないとも言える。

 花子は黒服の山に狸の尾が生えた黒服を放り投げる。

「お前らが何をしていたのかは知らんがあとでしかるべき管轄が捜査し処罰を下す。ただこれ以上あの少女を執拗に追い回すというなら現行犯として捉えることもできるということを胸に刻め」

 ここでとやかく言い合っても埒が明かないと考えた。そこに時間を割くよりもあの少女の保護に努める方が建設的である。ここで黒服らを見張るという手もあるが黒服の仲間があの少女を捕らえるかもしれない可能性も考えられる。

 去る前に一つ尋ねる。

「お前らのバックはどこだ?」

 またしても言い渋るも無言の圧力に潰され黒服の一人が力なく告げる。

「原田会直系佐野組」

 原田会――その名に花子は聞き覚えがあった。この町の顔役として役目を任されていたはずの組の名だ。組が顔役をすることに花子は苦々しく思っていた。神である仁が統括するなのにたまたま組がこの町であっただけでどうして顔役なんて真似事をしているのか疑問でしかなかった。当人である仁は面倒事が減ると喜んでいたのがまた不服であった。

 花子自身の仕事にも組が絡んだことも幾度かあった。最後にあったのは二十数年前のことだった。その時関わっていたのは今耳にした原田会である。

 うろ覚えの記憶を花子が辿る。その時の主犯は関智春だった。何をしたかまでは覚えていない。仁が珍しく出張ってきたことだけは覚えていた。

「まあいい」

 考えることをやめる。現場がしなければいけないことは考えることではない。ひたすら前に進むことである。ケツ持ちは上がすることで手足となる現場はやることをやるだけ。それが天地開闢から魂あるものと第一線で関わり続けた死神としての、それがたとえ人々に恐れられる存在であると勘違いされても粛々と天界へ送り続けた花子の矜持である。

 花子は黒服のスーツの襟から代紋を奪い取る。

「これは証拠品として預かっておく。これ以上罪を重ねることはするなよ」

 花子は代紋を懐にしまい少女を探し始めた。

 探し始めてふと思い出す。二十数年前の事件のことを覚えていないのは現場では処理しきれない事態だと仁に説明され、捜査から外された。つまるところ情報のはしごを外されたのだ。花子自身、腹芸が得意ではないことを自負しているため情報のはしごを外されることに憤慨を覚えつつも渋々納得していた。

 二十数年前に事件があったその日、花子が事件の報告を受けたのは浮遊霊を天界へ送ったのと同時だった。ただ、事件というには不可解な報告だったように今更ながらそう思えた。その報告は「関智春逮捕、死傷者一名」という短いものだった。

「……関は今どこで何をしている?」

 そう漏らし、桃色のスマホを慣れた手つきで操作し神谷に連絡をする。一度のコール音で事務的な「神谷です。何用ですか?」と疲れきった声の応答をされる。

「調べて欲しいことがあるんだ」

「陰謀論ならもう聞き飽きましたよ。冗談に付き合う暇なんてないぐらい忙しいから切りますよ?」

 それは表で口にすることはなくなった花子の趣味の一つでもあった。この世を斜めから捉える妙な思考方で、それをやっていると世界が楽しく見えるらしい。その一番の被害者に言われると顔が真っ赤に燃え上がりそうになる。今でも影でハマっているとは口が裂けても言えない。

「ま、待て! 今回のは本当に事件に関係あるかもしれないんだ!」

 花子のスマホから向こうで仕事の指示をしている声が聞こえた。

「あーはいはい。手間取らない範囲なら付き合いますよ」

 ブラック仲間としては気が引けるので簡潔に尋ねようと決めた。

「関智春って男の人知ってる?」

「有名人じゃないですか」

 そのあまりの返答の呆気なさに花子は戸惑う。そんな戸惑いを通話では掴みとれず神谷は続ける。

「天才陰陽師ですよ。彼は。努力家で人徳もあるまさに聖人のような方だとか。昔はやんちゃしてたみたいですけど今は改心したみたいです」

「その改心した時期ってわかるか?」

「以前読んだ自叙伝にはたしか二十代前半とか書いてあったかなぁ」

「今そいつの年は?」

「だいたい四十から五十近いと思うよ」

「わかった。ありがとう」

 一方的に通話を終えると、花子の頭にはある種の想像が溢れ始めた。関はサイコパスであり、二十数年前の事件を起こした。天才陰陽師であるがゆえ神でさえも騙しうる術を使用し逃げおおせた。改心したと思わせておいて、もう一度事件を起こす機会を伺っている。あの追いかけっこは関が仕掛けたものに違いない。

 ひと通り妄想を終えた花子は捕まえなければならないと決意する。

「でも仕事終えて、あの少女保護してからだな」と死神として仕事をまっとうしてからにしようと決めた。

 花子はその想像が説得力の欠片もないことに気付いていない。

 通話を一方的に切られた神谷の心中の荒れ具合にも気付いていない。

 トラ猫が花子の後ろをのっそのっそとついてくることにも気付いていない。

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