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 杏子は再び倉庫に閉じ込められていた。周囲に見張りの姿はなかった。おそらく倉庫の周囲を囲むように見張っているのだろうと杏子は推測する。事実倉庫を囲むように見張られていた。それは組長の一人娘である杏子への最低限の配慮である。それは拉致を指揮した佐野が組への恩と杏子への愛情故のことである。しかし杏子は直接見張る価値もないものと侮辱されているように感じていた。

 憤るものの口に貼られたガムテープに邪魔され声を出せないでいた。目隠しだけは再び貼られなかったため視界だけは良好である。杏子は周りを見渡す。やはりそこには赤褐色のコンテナばかりが積み重なっていた。その上には小窓が設置されていた。不審に思い入念に周りを見渡すと階段が取り外されたような跡が残っていた。元々二階があったためあのような人の手が届かぬような高さにあると杏子は結論付ける。

 ならばあの窓から脱出できる。

 そう杏子は確信した。

 そこで問題になるのがその手足の拘束である。運動神経抜群の杏子ならばコンテナを軽々と超え、窓から脱出することは苦でもない。だがそれは手足が拘束されていなければの話である。垂直跳びでコンテナに乗ることは無理であると自分の運動神経の限界をよく知る杏子は悟っていた。だがそれは縄さえ抜ければどうにでもなるということへの確信でもあった。

 杏子には確実に縄を抜ける術がある。だがそれをしてしまっては脱出したことがバレてしまう恐れがあった。その確率は九割を超えると杏子は予想した。

 それゆえ別の方法を探る必要があった。

 力技では抜けないよう工夫の施された結び方をされていたため杏子はその手段を早々に放棄する。切ったり焼いたりという方法も思いついてはみたものの、その手段を試すために必要な機材が見当たらなかった。

 そんな穴見落とすわけがないと杏子は落胆する。

 杏子を誘拐した佐野は顔に似合わずマメすぎる男であった。どれくらいマメかというと杏子の教育係を拝命してからは、杏子の時間割、友人関係、杏子も知らないような学校の歴史までも完璧に把握していた。そのあまりの熱心ぶりに佐野の兄貴分に当たる人物も引いてしまい口を出せずにいた。

 ある時杏子が風邪を引いた時は栄養管理にまで気を回せなかったことを悔みお百度参りを行ったほどである。寝ずに看病するとも進言したが、「ええい暑苦しい!」と看病する女性陣に追い出されていた。

 そんな杏子へのおかしいまでの執着を持つ佐野がこんな見落としをするわけがない――そう杏子は長年の経験で知っていた。そんな佐野だったが、一度は結婚を認めていた。渋々といった様子ではあるが、悟史の人柄を知り、杏子に「幸せになるんだぞ」と涙を流しながらエールまで送っていた。だからこそ杏子も油断していた。邪魔をする一大勢力がなくなったことから、このことが杏子に気を緩めさせた。

 悩んでても仕方ないと杏子は這いずり、窓が一番近いコンテナの前までたどり着く。分かっていたことではあったがその手足が拘束された状態において、それはあまりの高さであった。これを乗り越えるのは到底無理な高さであった。

 どうするべきか途方に暮れていると倉庫の外から怒声が響く。佐野の声である。何か上手くことが進んでいないことに苛立っているらしい。倉庫の壁に遮られ様子を伺うことはできないが、杏子は下っ端が憂さ晴らしをされているのだろうと同情しつつも、これ幸いと手首に意識を巡らす。

 杏子の手首に熱が篭り始める。その熱を指先に移すように意識を運ぶ。すると小さな火が指先に灯る。手首を曲げ、ライターほどの小さな火で縄を焼き始めた。少しずつ、少しずつ焼けるのが杏子にとって焦れったくあった。ようやくの思いで焼ききると急いで力を消した。

 外はまだ佐野の怒声が響き続けていた。

 杏子はバレていないことをうれしく思う反面、縄を焼ききるのを焦れったく思っていたのがアホらしく思えた。

 自由になった手を用い、足の拘束を解く。最後に口に張り付いたガムテープを剥いだ。

 その段になって杏子はようやく肌身離さず身につけていた祖母の形見であるネックレスがないことに気付く。佐野への殺意が一段と強くなる。だがそのおかげで力の必要最低限出力ができたのだ。祖母の形見にはふとした瞬間に力が発現しないように力を拡散させるまじないが施されていた。殺意がこもった杏子はその出力ができた理由に気付かない。気付かないまま頭を切り替える。手足を伸ばし、凝り固まった血を巡らせる。その視線はコンテナの上辺へと向けられていた。

 走り高跳びの選手のように上半身を前後に揺らし飛ぶタイミングを見計らう。タッタッタッと軽快なステップでコンテナへと近づいていく。コンテナから二歩分前から飛び、コンテナの上辺に片手を掛けた。もう片方の手も上辺を掴み、そのまま痩躯をコンテナの上まで持ち上げる。

 それを繰り返し、窓の前まで辿り着く。

 杏子は窓から外の様子を伺う。扉のある壁とは正反対にある窓からは佐野がどこかへ去る姿が確認できた。他には佐野の見送りの下っ端がいた。佐野の見送りを終えると扉のある方へと帰っていった。

 杏子は静かに、ゆっくりと窓を開ける。

 飛び移る足場は周囲に見当たらなかった。必然的に飛び降りるという選択肢しか残らなかった。十数メートルの高さから飛び降りることは人の身では自殺行為であることは火を見るより明らかであった。だが、杏子は飛んだ。以前どこかで読んだ衝撃を逃す術を試そうとした。練習などしたことない。ぶっつけ本番である。

 結果として擦り傷ができたぐらいで済んだ。物音も立てなかった。持ち前の運動神経を過信しているが、過信するだけのものはあった。

 それでも痛みはあった。じんじんとする膝を抱えて、倉庫群を後にする。

 ここがどこかも分からず、帰れるアテもない。

 ただただ式を挙げるために神社へと戻ろうとしていた。

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