3

 病院の廊下壁際。

 そこに一人の女性が正座して俯いていた。

 その目の前には一人の優男。

「んー憶測だけで動いちゃ駄目だよ。昔ちゃんと頭働かそうって言ったけど、見極めだけはちゃんとしなちゃ」

 自身も憶測で梨香子を追いかけていた仁の説教に花子は「はい」としょんぼりしながら反応する。その脇には関が佇んでいる。そのまた少し離れたところに梨香子が警戒心を露わにしながら床に座っていた。

 仁は説教を一通り終えると、梨香子のもとへ向かう。

「梨香子ちゃん――であってるよね?」

 借りてきた猫のような目つきの梨香子はその問いかけに頷く。

「じゃあ梨香子ちゃんはどうして黒服の人に追い掛けられてたの?」

 仁は関と花子の二人から話を聞き、何故梨香子を追いかけていたのか知った。梨香子からも何故この病室を目指したのかも聞いた。そこでそれぞれの話から共通してスーツの男が現れていることに気づく。時系列的に一番早く梨香子が接触していた。仁は街を守護する存在として黒服らについて詳しく知る必要があると考える。その権限のほとんどを地元のヤクザに移譲しているような状態ではあるが、この街の産土神としての矜持が好き勝手させるのを許さなかった。

 梨香子は話さない。

「大丈夫。僕らは怖くないよ。君の味方だよ」

 梨香子は話さない。

 そのあまりの無言さに仁は黒服らに怖い目にあったのだろうと邪推する。憶測で行動するな、と叱った男は邪推で動こうとしていた。

「黒服はここにはこないから安心して。僕らがついてるから」

 こんな言葉で心休めをするも、梨香子が話せない理由はなんてことはない。吃音症なため、言葉にするための音が出てこないだけである。梨香子はそんな仁を的外れなこと言うなぁと思うと喉の力が抜けた。

「み」

 かすれるようにして出た単音に仁は食いつくように期待の眼差しを向ける。梨香子はそれに萎縮してしまい、言葉に躓き立ち直すことができなくなってしまった。

「あの、少しいいですか」

 そんな様子を見かねた関が二人に話しかける。同時に梨香子は露骨に距離を取った。

「あ、関さん。なんですか?」

「いえ、この子一種の緊張状態なようですので、ちょっとコツを」

「コツなんてあるのですか?」

「ええ」と関は答えると、手拍子を始める。

「歌を歌う時のようにリズムに乗って話すと、普段と同じように話すよりは声が出やすいですよ」

 梨香子は手拍子に合わせ「あー、あー」と声を発する。次第に出る声量が安定し始めた。

「あー、こ、こーれで大丈夫です」

 ところどころで言葉に詰まるものの問題なく聞き取れる程度にまで戻っていた。

「もう一度聞くけど黒服はどうして君を追い掛けたのかな?」

 仁の問い掛けに梨香子は「あー、あー」とリズムを整える。

「私もわ、わかりません。けど、なーなにかを運んでたのを見ました」

「何か? それがなにかはわからなかった?」

「あー、はい、おっきな木箱のようなものに入っていてわかりませんでした。……で、も中に人が入ってたと思います」

「人が?」

「え、と、話が聞こえて、人がはいってるみたいなこと言ってました」

 関が再び「すいません」と話に割って入る。

「いいでしょうか。その中に入っている女性について心当たりがあります」

 花子は口を尖らせる。

「へ、なんで知ってんだ。ちょいと都合が良すぎないかい」

 仁は花子に注意しようとするが関に「いいのですよ」と止められる。

「そう思われても仕方ないことをしてきましたから」

「わかりました」

 仁はひとまず注意を止め、関の話を聞くことにする。

「では続きを。先ほどは昔話でしたが、これから話すことは本日あったことです」

 昔話とはナースに叱られた後に関の昔のことを説明したことだ。

 関は二十二年前、この街へ来ていた。その時の彼はまさに天上天下唯我独尊の間違った方の解釈を地で行く青年だった。そんな彼はある邪神を懲らしめて欲しいという依頼を受ける。その街には神がいた。創造神にあたり、彼も謁見したことがあった。その神が邪神となり、暴れているものだと考えていた。大きな問題になっていないのは創造神の力が弱すぎるからだと予想した。

 彼が街へ到着し、依頼主と対面する。依頼主は同年代の女性だった。その女性は島田といった。話を聞くと、創造神が悪神化したのではなくある妖怪が悪神化したのだという。島田という女性も妖怪であり、親友であった悪神を見ていれないため依頼したのだという。悪神は女性であるとも聞いた。

 依頼を受けた関は、指定された場所へ移動する。そこは神社の裏である。そこで神が悪神に悪さを止めるように説得しているのだと聞いたからだ。そこにいたのは二人の学生然とした男女だった。男は聡明を絵に描いたような顔つきをしていた。その時代の言葉で言えばしょうゆ顔というやつだった。女は黒の長髪で、清楚を擬人化すればこのような容姿になるだろうといった雰囲気を醸し出していた。

 悪神の年齢は同世代と聞いていたため二人は違うと関は考えた。地元の二人がデートか何かでここへ来ているのだろうと察する。そのためこの場所をこれから使うから出て行ってくれないかと頼もうとした。近づこうとした瞬間、女性の視線が関を貫き、全身に怖気が走る。この女が邪神なのだと直感した。

 関は最速の術で邪神を――女を殺そうとした。

 術の軌道は女へとまっすぐ、目にも留まらぬ早さで伸びていく。女は気づいたが、避けるには遅すぎた。

 だが、術は女に当たることはなかった。

 そこには男が倒れていた。

 心臓を貫かれ、青地のシャツが鮮紅色に染まっていく。

 女が男の名前を何度も呼ぶ。泣き叫ぶ。

 そんな光景に、関はその愛しい人を亡くした人間らしさが、女を邪神だと思えなくなっていた。同時に無関係の男に術をぶつけてしまったことで呆然自失していた。

 騒ぎを聞きつけた神主――仁が現れる頃には男は事切れていた。

 女はそれを知ると、おもむろに立ち上がる。クックックッと壊れかけのオルゴールさながら引き笑いを繰り返す。女は切れてしまっていた。女の身からは人の身に余る何かが溢れる。抑えが効かなくなっていた。もはや抑える気もなくなっていたのだろう。その周囲では数秒も満たないうちに草花が生い茂り、数秒も満たないうちに朽ち果てていった。

 女は一歩ずつ大きく体を左右に揺らしながら近づいてくる。

 関は本能で理解する。触れてはいけないものに触れてしまった、と。

 死を覚悟した関だったが、女は仁に何かを囁かれ、その動きを止めた。踵を返し、男の骸を抱き抱え神社の本殿へと入っていく。

 関は事情聴取をされた後、情状酌量で帰された。

 それからのことは仁から聞いたことしか関は知らない。

 女の名前は青葉しずく。神ではないが神ごとき存在。人として生きて、人として死ぬことを目標としていた。その後、青葉は男の後を追って自殺。青年の亡骸を抱えて死んでいたらしい。

 関に情状酌量がついたのは、いわゆる不幸な事故であるからだった。

 依頼をした島田にはいわゆる恋敵がいた。恋に敗れた島田は復讐するために女性を二人が居た場所へ呼び出した。そこへ邪神と偽って、関に退治させる算段だった。だが不幸にもその日、標的である原田は四歳になる娘が突然の発熱で向かえなくなっていた。そこで親交があった青葉にデート前のついでとして行けなくなったことを言付けて欲しいと頼んだ。そうしてあの場に関と青葉とその彼氏が揃ってしまった。

 これが二十二年前の事件の真相だった。

 無論、情状酌量では甘いという声もあった。事件を担当した閻魔大王こと神谷はこの評決に意義を申し立てた。だが、仁は頑として受け入れなかった。

 それからのことはとりとめもないことばかりである。

 突如として改心した関に師匠や弟子が一丸となって騒ぎになったこと。

 原田組のお嬢様が狙われた事件として内外に知れ渡り、女子どもはどこへ行くにも護衛がつくようになったこと。

 島田は首謀者として生き地獄へと収容された。

 仁の口から語られたのはそれぐらいである。

 意図的に語られなかったものもある。

 それは青葉とその彼氏が転生したということだ。

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