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 恵里は二人の男女を率いて歩道を進んでいた。杏子の母親と杏子の旦那となる男である。

「二人はアテか何かはないのかな?」

 一通り街を見て回ったが、見当たらなかったため二人にそう尋ねる。二人共アテも何もないため顔を見合わせ悩む。そんな折、目の前の道路からオールバックの三十代後半の男が歩いてきた。男は恵里らの姿を視界に収めると、小走りで三人の前までやって来る。

「姐御、こんなところでなにしてるのですか。今日は結婚式当日じゃないですか」

「佐野、あなたこそ今日は私用で結婚式にも出られないと聞いていたのにこんなところで何をしているのですか」

 佐野はふと顔に影が差すもすぐに取り直す。

「実は私用が早々に終わりまして、今からでも出席しようと向かっていたところです」

「そうですか。でも少々問題が起きて、延長してもらうことにしました」

「……ではまだやっていないのですね?」

「ええ、そうなります」

 恵里が「少しいいかい?」と佐野の前に踊り出る。

「か、構いませんが、何用ですか?」

 恵里はクックックッと口角を上げる。

「いやいや、そんな難しいことじゃないよ。……磯の香りがするけど、いったいどこに行ってたのかなぁって」

 佐野は青い顔をすると、踵を返し、その場から逃げ出した。

 悟史はすぐに佐野を追おうとしたが、恵里に腕を引かれ、止められる。

「追わなくていいよ。彼を追っても杏子ちゃんのもとへは辿り着けないはずだから」

「でも」とゴネる悟史に恵里は言う。

「海沿いの街へ行こうか。たぶんそこに杏子ちゃんはいるはずだからね」

 一行は港町へと向かうこととなった。数十分も歩くと、時折磯の香りが風に乗って鼻孔をつついた。香りが強くなるにつれて、反比例的に杏子の母親の顔色が険しくなる。

「どうしたんだい? 」

 恵里が尋ねる。

「いえ、この街には別の組がありまして、そこが関係しているのではと思って……」

「関係していちゃ不味いのかい? 以前の君なら誰であろうが邪魔するものは潰してきたじゃないか」

 思わず苦笑する。

「あの頃みたいな無茶はもうできません。敵もたくさん作ってきて、あんなことも起きましたから」

「成長したんだね」

「反省しただけですよ。――それに隣町の組とは今代の組長になってから不可侵条約を結びましたから何もないはずです」

「約束なんて破るためにあるものじゃないのかい?」

「恵里様とは違って誠実な方なのですよ」

「ずいぶんと信頼してるんだね」

「敵対組織でなければ尊敬できる方ですから」

 悟史が首を傾げる。

「でも敵対組織なのですか?」

「ええ、これは戦後から続く争いですから因縁深いものです。――杏子を貰ったあと、そこら辺の顔見せも行いますから覚悟しておいてくださいね」

 悟史は「ええ、覚悟はできています」と柔和な笑みを浮かべる。

 本当に大丈夫なのかとお義母さんは肩を竦めた。

 こうして、もうすぐ会えるという希望を抱いた二人と一人は港町へ到着する。

 恵里はおもむろに杏子の母親に「少し背筋が寒くなるけど我慢しなよ」と口にする。杏子の母親は何のことか尋ねようとするも、その前に背筋を指先で撫でられるような感覚に襲われた。

「な、なにしたの?」

 突然自らを抱きしめた杏子の母親に悟史は何が起きたか分からず「お義母さん大丈夫ですか?」と気遣うことしかできなかった。

「……残念だけどこの街にはもう杏子ちゃんはいないみたいだね」

「どういうことか」と詰め寄る二人に恵里は飄々とした様子を崩さない。

「けど明らかに、そこにいた痕跡はあったからそこへ行こうか」

 恵里は有無を言わさず二人を引き連れていく。歩くこと十分、足を止めたのは倉庫群だった。

「ここに杏子ちゃんがいた跡があるよ。杏子ちゃんを攫ったやつの一人もいる」

 その一言で二人に緊張が走る。だが、そんな緊張などいらなかったとすぐに知ることとなった。

 恵里たちが杏子の痕跡があったとされる倉庫の扉の前へ移動した。そこには一人の黒服がいた。緊張の面持ちの二人と恵里が近づくと、見張りの黒服は逃げる様子も見せず、それどころか「奥方様、どうしたんですかい?」と近づいてきた。まるで自分が悪いことをしているとすら思っていない様子であった。

「ここで何をしているのですか?」

「何を? 嫌だなぁ、奥方様が結婚に反対だからやれと命令したのでしょうに」

 冗談を言われているとしか思っていない黒服に杏子の母親は言葉を失った。恵里は悟史の肩に手を置き、やけに大げさな声で言う。

「悟史くん、どうやら黒服が言うにはこの子が攫うのを計画したらしいよ」

 黒服が恵里と悟史の姿を認めると黒服は目を疑った。

「え、どうして旦那がここにいるんですかい? 奥方様は……結婚に反対だから命令されたのですよね?」

「私はそんな命令してません」

 呆れたように答えると黒服は慌てて倉庫の扉を開けた。黒服は絶叫した。そこに杏子の姿がなかったからである。恵里らはそのことを知っているだめ、むしろ黒服の絶叫で肝が冷えた。逃げ出したことに気づかず、慌てて自己弁護を始める様は三人の目にひどく滑稽に映っていた。

「あなたが杏子を拉致したことについては後で議論することにします。……場合によっては不問としても構いません。どうすればいいかわかりますよね?」

「は、はいわかります!」

 そう答える三下の黒服はそのまま杏子を捜しにいこうとしたところを恵里に足をかけられ顔面から地面に顔を衝突させる。恵里はのたうち回る三下の顎をクイと引く。

「そうじゃないだろ? とりあえず誰が言い始めたことか教えることだね」

 悟史はその様を見て、身の毛がよだつ。悟史は極道がどのようなことをしているのか詳しいところまで杏子から聞いていた。だからこそ吐き気が催すようなことも少なからずしていることも知っていた。覚悟を決めて杏子と結ばれることを選んだ。

 そんな悟史は目の前の恵里に底知れぬ恐怖を感じていた。ただ三下に命令しているだけだった。それがどうして恐怖を感じていたのか理解できなかった。比類なき恐怖を、畏怖を、怖気を、畏れを受け止めるしかなかった。

 怯え、震えながら三下は何があったのか事細かく話し始めた。

 この拉致事件は佐野が陣頭指揮を取っていた。杏子が衣装に着替え始めるところで攫い、倉庫に閉じ込めていた。時期を見て開放する予定だったという。脱走された理由としてはある幽霊の少女が運ぶ現場を見てしまい、見張り班から追走班を新たに作ったため、見張りの人員が大きく減ったことが原因だという。

 一通り聞き終えた杏子の母親は静かに命じる。

「今回の拉致した皆に連絡を取りなさい。そして、騙されていたことを教えなさい。佐野を見かけたら捕まえなさい。それだけすれば今回の件は不問とします」

 三下は「すいませんでした!」と頭を下げると携帯電話で仲間に連絡を取り始めた。

「不問にしてもいいのかい?」

 恵里が訊く。

「今は娘を保護することが大切ですから」

 恵里はクックックッと漏らす。

「じゃあ、町中へ行こうか。ここから行けるところだとそこが近いだろうからね」

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