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香介が通っていた小学校は私立校である。エスカレーター式の小中高一貫教育を行っており、歴史ある学校だと謳っている。全校生徒が入っても余りある巨大グラウンド、芝生を敷いた中庭、人は多いのに人口密度がやけに低すぎる大きな図書館など各種施設は無駄に豪勢なものであった。その分、授業料は割高ではあるが不自由することはない青春を送ることはできた。ただ、香介は意欲溢れる生徒ではなかったため有意義な青春とは言い難い。同じ学校に通っていた恵里も同様に、香介しか眼中に映らなかったのでこちらも似たような青春を送っていた。ただ、灰色とまではいかなかったのでその意味ではいい青春ともいえた。
マンモス校でもあり、多くの生徒を要するそこの近隣には色んな店舗が連なっている。ゲームセンター、カラオケ、駄菓子屋、服屋、本屋。中でも喫茶店は学校帰りの生徒らに人気があった。ゲームセンターやカラオケは危険に関わる可能性があるとして学校側が守られない禁止令を敷いていた。けれど駄菓子屋や喫茶店は大人が絶えず見守ることができることと電車通学で何もすることのない生徒が安全に時間を潰せるとして帰宅途中の利用は黙認されていた。
その中でも香介と恵里がよく利用していた喫茶店がある。その喫茶店は小学校から歩いて五分ほどの場所にある。おばさんとその娘達が営んでいるその喫茶店は木目調のテーブルと暖色の照明が温かみのある落ち着いた雰囲気だった。だが下校時間になると小学生や中学生が多く来店しその落ち着いた雰囲気は雲散霧消する。子供特有の甲高い声が店内に響き渡りけたたましくなる。普通の喫茶店なら眉をひそめるところだが、常連さんは慣れたもので注意はしても咎めることはない。注意された側も慣れたものでひと通り謝ると再び二転三転する会話へと戻っていく。それがお約束の茶番と化していた。
そんな生ぬるい雰囲気を二人は気に入っていた。
今、香介はそこでコーヒーを喉へと流していた。木目調のテーブルを挟んだ向こう側には恵里ではなく未亡人のような雰囲気漂う女性が肩身狭そうに腰掛けていた。女性は背もたれに背中を預けず、前傾姿勢がちに俯いていた。
あくまで物々しい態度を崩さず尋ねる。
「島田さん、アンタは一体何者なんだ」
島田は弱々しく答える。
「……かまいたちと呼ばれる妖怪の一種です」
「ふざけてるのか?」
ふざけていないことは包帯が巻かれた腕が証明していた。香介は手当をしてくれた島田に対しこのような接し方しかできないのを心苦しかったが今は少しでも情報を得るため、状況を把握するため仕方ないと諦める。
「先程の傷は奇術の類ではありません」
「……アンタが妖怪だっていう証明はひとまず置いておこう。妖怪だってことが今回の二つの失踪騒動と関わりはあるのか?」
島田はさらに前のめり気味になる。
「あるのかもしれません」
香介は溜息をついた。焦る島田がオロオロと目線を泳がす。
「ずいぶんと曖昧だな」
「おそらく関係はあるのでしょうが、どのような関わりがあるのかまでは……」
午前授業を終えた低学年の小学生が入店し、店内の雰囲気が慌ただしくなりだす。反比例するように島田は一層影を落とした。
「そっちの攫われた女性、それは人間なのか?」
「いいえ、妖怪です」
「なら恵里も妖怪なのか?」
恵里は何者なのか。香介がこの女性から助けを求められてから抱いていた疑問である。女性にとって恵里は上位に存在する人物らしい。それも話をすることさえはばかられるほどの存在である。妖怪にとっての上位が何に当たるのか香介は皆目見当もつかなかったが、それについてだけは聞いておかねばならなかった。
けれども島田の答えはなかなか返ってこない。
「禁忌ってやつか?」
「いいえ。言うべきことではないですけど、禁忌に当たるものではありません。――ただ、しっくりくる言葉が見つからないだけなんです」
「どういうことだ?」
島田はゆっくりと言葉を選び、紡ぐ。
「天野恵里様は――妖怪ではありません。人間です。けれども器がそうであるだけで、中身は違います」
「人間じゃないなら妖怪なんじゃないか」
島田は首を横に振る。
「妖怪なんてちゃちいものと一緒にしてはいけません。天野恵里様は神に近い何かでございます」
「ずいぶんと恵里のことを買ってるんだな。しかも神様だなんて。実際に神様を見たことがあるみたいじゃないか」
「ええ、会ったことありますよ」
意地悪い質問をしたつもりだったが、あっさりと驚愕の答えが飛び出した。
「あんのかよ」
「ええ、この近くに神社がありますよね? あそこで神主をやられています」
香介は神様が神主なんてやってどうするんだという疑問を投げかけたかったが、ボロボロに崩れゆく現実感の床から非現実感の床へ渡るのに必死でそんな余裕はなかった。
「ちなみにどういう神様なんだ?」
せめて八百万の神々の中でも飛び切り階級が低い神であることを香介は祈る。それがこの現実感を喪失した状態に何をもたらすわけでもないが、これ以上現実感を喪失するのは防げると考えた。元から聞かないでおけばいいことを香介は気づかなかった。
「八百万の中でも一番偉い創造神に当たる方です」
「よし、ふざけてるな」
内心「本当にいるのだろう」と確信してはいるが、ここで驚いてしまっては主導権を握れなくなってしまう。主導権を握れなくなってしまえば、またあの姿になってしまう可能性がある。そのため鉄仮面を被る必要があった。
そんな考えをもって香介は立ち上がり、出ていこうとする演技を始める。するとすぐに香介の腕にすがりつく。
「待ってください。本当のことです!」
その慌てようから店内の視線全てが二人に注がれる。島田はそんなことを気にしている余裕がないのかすがりついたままである。
香介の肩に後ろから手を置かれる。振り返るとそこには店主の娘がいた。娘といっても香介よりも三つほど年上で、香介にとっては姉のような存在である。その女性が困ったような、呆れたような、けれど慣れた様子で香介に耳打ちする。
「また恵里ちゃん関係?」
「ええ、そんなところです」
「あなたも大変ね」と感想を述べると、視線を注いでいる客らに「いつものこと」と一言説明すると注がれていた視線は霧消していった。
香介は島田に告げる。
「なら俺をそいつのところへ連れて行け」
島田はその申し出に目を白黒とさせた。
「え、いや今回の事件に関係ありませんよ?」
「全知全能の神ならどこへ消えたのかぐらいわかるのだろ」
香介は二人分のコーヒー代を払うと、島田に有無を言わさず案内をさせた。
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