三年後

三年後

 香介は知り合いが去った白い部屋で思う。

「またね」と「さよなら」が同時に来た、と。

 あの日、恵里を庇い、香介は心の臓を貫かれ、死んだはずだった。そこで彼は心の中で恵里に簡単な別れを語った。しかし、彼は生きていた。正確には生かされた。そのことを伝えたのは入院している香介のお見舞いに来た仁と花子であった。また、見舞いにきたのも家族を除けば二人が最初。それに香介は猛烈な違和感を感じた。それは雲一つない晴天の夜空だというのに煌めく恒星がどこにもないようなものだった。空を見回さなければ気づかないようなあって当然のもの。香介にとって、それは恵里であった。

「恵里も今はどこかで療養中ですか?」と二人に尋ねた。香介が風邪をこじらせた時に学校をサボってまでつきっきりの看病をする恵里が現れないということは、恵里自身もどこか違う病院かどこかで療養していると香介は予想した。

 尋ねられた二人はどこか目線を香介に合わせようとしなかった。その態度に香介は最悪を想像する。恵里が死んでしまったと。

 重い口を開いたのは花子が先であった。

「恵里はいなくなった」

 香介はその先が聞きたかった。恵里が死んだのか、ただ目の前から消えただけなのか。仁が続きを口にする。

「もう来世でも会うことのない別れだと、彼女は言っていたよ」

「何故です」と続け様に尋ねる。

「いつも自分のせいで死ぬような目に遭っている。今回初めて命を拾うことができた。けれど今回のことで目が覚めた。自分さえいなければ平穏無事な人生を送ることができる。気づいてはいたが目を背けていた。共に幸せになりたかった我儘だ。数多の人生を棒に振ってしまわせたことを許してくれ。――恵里はそう伝えてくれと言っていたよ」

 目の前が白くなる。

 それは白い部屋のせいではなかった。

 

 

 

 

 香介は式場へ、シルバーのセダンを回していた。後ろの席には仁と花子、助手席には閻魔大王という役職の男が乗り合わせていた。車内の雰囲気は表面上は閻魔大王が花子に対する気持ちを浮上させていないため穏やかそのものだが、水面下では見たくも感じたくもない男の嫉妬が渦巻いていた。あわや渦潮になって運転する香介を巻き込みかねないほどである。

 香介の胸が貫かれたあの時から三年が経った。あれから多くのことが流れていったと、恵里と同じ髪色をした腕時計を見て思う。

 恵里が失踪したあの日の顛末としては狸が仕組んだものとして処理された。島田が関を呼んだことや恵里が乗り込んできたことなどは狸の意図しない偶然だったらしいが、その偶然を利用し計画を前倒しにしたとのこと。それゆえ狸の結界は想定よりも弱いものとなった。ゆえに大鎌で砕くことができたいうのが花子の推理。まったく間違っていなかったため仁と神谷は鎌が折れたことでどうにかなったかと心配したという。

 香介の死に関していえば正確には肉体が死んだだけで、魂は離れていなかった。梨香子を助けた和義とほぼ同じ状態に陥っていた。ただ、肉体が死んだことで恵里の気が触れた。香介の死をキッカケ放たれた力の奔流は敵味方関係なく降り注いた。それぞれがそれぞれの守るべきものも守るべく動く。絶え間なく降り注いたそれが降り止んだ時には、木造の家屋は野ざらしと成り果てていた。土埃が舞い、強い日差しが降り注ぐ中で揺らめく影が一つ。銀の御髪が陽光を反射するその姿は乱神そのものであった。

 乱神がその眼で捉えたのはその腕に恋人の血を滴らせた者であった。第一波で彼はすでに深手を負い、迫り来る神からは逃れる手段がなかった。

 その二人の間に割り込む者がいた。黒い短髪で長身、恵里の両腕で真正面から押し合う腕からは引き締まった筋が覗いていた。その男の顔に仁、花子両名は目を丸くした。二人の疑問はどうしてここにいるのか、ただそれだけだった。

 その男は神谷――閻魔大王であった。

 呼ぶ暇がなかった梨香子の他に誰も呼ぶための連絡先は知らなかったはずだと仁は考えた。だがその考えをすぐに翻す。香介は一人で何かをしていた。その時に香介は呼んだのだと気がついた。だが皮肉にもみんなを、恵里を守るために呼んだ男は恵里を抑えこむために戦うことになってしまっていた。

 恵里が落ち着きを取り戻したのは香介の蘇生が完了してからであった。神谷が持ち堪えられるのは長くないと花子は判断した。そうなれば矛先は真っ直ぐ狸へと向かう。武器のない花子では力不足。関も満身創痍で相手にするには厳しかった。狸は死ぬ。捕まえきれないのは仕事に誇りを持つ花子にとっては屈辱でしかない。だが屈辱で済むのなら安いものであった。狸を亡き者したあと、その力の矛先が分からかった。もしかしたら矛を収めるのかもしれない。だが、その矛が世界そのものに向かう可能性も捨てきれなかった。

 それゆえ花子は信条すらも放棄し、香介を蘇生した。

 香介が生き返ったことを伝えられた恵里は我に返ると、その場から去った。その姿があまりにも痛々しく、声をかけることすらはばかれた。誰もが止めなければならないと感じつつも、誰もが心が竦んでしまっていた。

 そうして恵里という存在は香介の生活環境から消え去っていた。あの場にいた者以外の者は皆、恵里という存在を記憶から抜かれていた。あたかも恵里という人物など初めからいなかったかのようだった。

 香介は三年間、恵里のことを探しまわった。人ならざる者らと交流を図ることもあった。その中には仁の名を使わなければならない場面もあった。名を使う代わりとして、香介は仁の仕事の手伝いを始めた。なぜか相棒として猫として生きることを信条とする化け猫を従えて。

 この三年間の間、香介同様、香介の身の回りには様々な変化があった。

 梨香子はあの後、すぐに天界へと渡った。今は修行を終え、転生を果たしたらしい。彼女の念願であった友人の蘇生は遂げられた。香介の蘇生を許したのだから、と珍しく駄々をこねくり回した結果仁からの口添えもあり、花子は折れた。また、梨香子の家周辺にあったとされる結界について調べた結果、梨香子の実家地下周辺には多くの幽霊が閉じ込められている空間が作られていた事が判明した。それら幽霊は皆、行方不明になっていた者らであった。

 元気になった和義という子の親はあの事件で杏子と交流があり、その後も親とはなんたるかを指導してもらっているとのこと。その恩恵か、息子の和義は組員から坊っちゃんと呼ばれ可愛がられている。そのせいで弱冠十一歳にして、いずれヤクザになる男として中高生から注目もとい目をつけられているらしい。

 原田組は敵対組織の内乱のおかげで何ら変わりのない経営ができているとのこと。むしろ、提携により利益は倍増しているらしい。ただし、内部の力関係は大きな変化があった。裏切り者の佐野を起用したことによって悟史を次期組長とは認めない派が生まれてしまったのだ。最近になってようやく反対派の懐柔も終え、一枚岩に戻りつつある。

 渡良瀬は三年間で組織の立て直しを終えた。元々の目的であった権利は破棄し、共同経営ということを対外的に発表するに収まった。権利に関する実務を全て原田組に任せる代わりに、要求するのは看板と仁とのパイプだけとなった。看板と後ろ盾を得た渡良瀬組は不安定な内情と反比例するように利益を伸ばしていった。

 そうして聞いた人誰もが耳を疑うような変化を遂げたのが、関と島田の二人である。関が総本山へ帰る際、島田は心を鍛え直すためについていった。関直々に指導を受け、また過去に傷を持つ者同士、仲が深まるまで時間はかからなかった。恵里が関を許したのも大きな一因の一つである。許したせいで断じていた酒を飲み、その勢いで交わってしまったのだ。

 香介が運転する車は二人が式を行う結婚式場へ向かっている。二人が結ばれたのは三年も前のことだが、いきなりのことで落ち着かなかったため式を後回しにしていた。一夜の過ちで済まなかったのは今で言う授かり婚というものだったためだ。二人には今年三歳となる子供ができている。それも双子とのことだった。

 式場に到着すると神谷は花子をエスコートするように案内していった。花子は仁を待つとエスコートを辞退したが、仁の「香介と遅れて行くよ」と伝えたため花子は怒った様子でエスコートされていった。三年経っても二人の仲が進展しないと香介は呆れながら、「なにかお話でも?」と尋ねる。

「いやね、恵里のこと探しに行きたいのだろうに足に使って悪いなって」

「別に構いませんよ」

「代わりに式終えたら、しばらくお仕事お願いしないから」

 香介はエンジンを止めながら答える。まるで前もって準備していたかのように。

「いえ、もう捜すつもりはないです」

 耳を疑う仁を置いて、香介は社外に出た。式場のロビーに着くと、見知った顔が集まっていた。その中で本日の主役の一人を見つけると近づいていった。

「どうも関さん、お久しぶりです」

「久しぶり。だいたい二年ぶりぐらいだね」

「そうですね。お子さんは今?」

「うちのと一緒にいるよ」

「島田――いえ、今は関ですね。お嫁さんはどこに?」

「式に向けて準備中だね」

 仁が追いつき、関に挨拶もそこそこに尋ねる。香介のことは余計な詮索はしてはいけないと判断した。

「梨香子ちゃんは元気かい?」

「ええ、大人しいですが優しい子ですよ」

「どういうことですか?」と香介。

「伝えてなかったのですか?」と関は仁に訝しむような視線を送る。

「伝え忘れてた」と可愛く両手を合わせる仁に香介は呆れるどころか、今このタイミングでも知れて良かったという様子である。

 主役として遅れて入場する関と別れ、会場に入ると大人たちの中に小さな二人の子供の姿があった。大人たちがこぞって世話をしているためまるでお姫様のような二人は目立っていた。長い髪の少女は知らない者が大勢現れたことに驚き、女性門下生の影に隠れてしまった。対してショートカットの少女は物怖じもせずにこちらに一瞥するとさもなんにもなかったかのように視線を外した。

 仁が「いやあ、聞いてたけど全然性格の似ていない双子だね」と香介に話題を振るも、香介は投げられた話題には耳も貸さずに、ショートカットの少女の元へ真っ直ぐ進む。

 少女と香介の目と目が合う。香介が笑いかけると、少女も笑った。

「久しぶりだな、ずいぶん探したぞ。エリー」

「今はふみって名前だよ。香介」

 どよめきが式場を包み込む。二人はそんなことお構いなしに続ける。

「とりあえずどうしてあたしだって気付いたのか訊いてもいいかい?」

「あの日もそうだったけど、恵里っていつも近場に隠れるからな。だから双子が生まれたって聞いた時から怪しいなと思っただけだ。本当に確信を持てたのは今この目で見た時だけどな」

「それでも一目で気付くのは君ぐらいのものだよ。他の連中は今この時まで疑いもしなかったからね」

 仁を指差し「あそこにいる神様だって気付きやしない」と薄く微笑む。

「舐めるな。前世も合わせれば何年一緒にいると思っている。魂に恵里のことならなんでも刻み込まれているよ」

 少女は微笑むと、香介に両手を広げて見せる。

「抱っこしてもらってもいいかな」

 あまりのことにただただその行為を見守ることしかできない衆目の中で香介は恵里を抱きかかえる。抱きかかえられた少女はクックックッと笑い声を漏らした。

「こうして抱きかかえられるのは初めてだね」

「清い交際をしていたと言って欲しいところだな」

「今の歳の差だともう犯罪だけどいいのかい?」

「大人になるまで待つよ」

「年の差婚か。若いお嫁さんを貰えて君は幸せものだね」

「恵里じゃなきゃ意味ないからな」

「しばらく会わないうちに口が上手くなったね。この調子で父上――智春にご挨拶しようか?」

「関さんは知っているのか?」

「智春も知らないよ。島田は元々魂の形を見えるほどじゃなかったしね。それに恵里の頃に交流があった人とは会わないようにしてたしね」

「なら今回どうして出席したんだ? 欠席なりなんなりできただろう」

 少女はもう一度クックックッと口を抑え、「野暮なことを訊くなぁ」と片手で香介の顔を自らに寄せる。しばらく見つめ合うと、少女は香介の唇を強引に奪った。

「一目だけでも君のことを見たかったんだよ」

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彼女がいなくなった町で 宮比岩斗 @miyabi_iwato

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