13

 仁は渡良瀬の部下に呼ばれた。

 仁にとって今現在の事情が事情なので集団から離れることを避けたいところだった。しかし渡良瀬がどうしても今でないといけない案件だというので断りきれなかった。ゆえに花子が同行し、護衛することになった。

 その提案に部下は渋ったが、駄々をこね承諾させた。

 それを花子がいても問題無し、と判断した香介は「気をつけて」と見送る。

 部屋に到着し、二人の視界に飛び込んできたのはさるぐつわを噛まされた杏子の姿だった。仁は助けようと飛び出したが、花子がそれを片手で制し大鎌を構える。

 花子に緊張が走る。それは空気中へ迸り、刺すような空気となって渡良瀬と悟史に伝わる。

 悟史はまるで首筋に刃物を押し付けられたかのようにその場に固まってしまう。一方、渡良瀬も固まりはしないものの、額からは冷たいものが大粒の雫となって流れ、あぐらをかいた膝は小刻みに震えていた。

 仁が珍しく険しい顔をして、問いただす。

「これは一体どういうことですか。事と次第によってはタダじゃすみませんよ」

「いえいえ、ただの話し合いの延長ですよ」

 花子が大鎌を振り切るように構え直す。

「これが話し合いの延長なら、地獄で話し合いでもするか?」

「それは勘弁して頂きたい」

 渡良瀬は立ち上がり、悟史に『あのこと』を言いうように促す。

「原田会は――」

 それを聞くやいなや杏子は床に転がされた状態で跳ねるように暴れだす。悟史の言葉を続かせないためである。それに悟史はもう一度思い直すかのように言葉が途切れた。

「おい、わかってるよな」

 杏子のその願いは虚しく、渡良瀬の言葉によって砕かれてしまった。

 続けようとする悟史を「待った」と仁が止めた。

「いかがなされましたか、創造神様? ――いいえ、野暮ですね。ただ顔を繋ぎに来たわけではないのはわかっています。腹を割って話しましょうか?」

「わかりました。貴方の言い分を教えてください」

 花子が「こんなやつの言うことを聞く必要はない」と進言する。

「いいや、こういうのは一度やりきってしまわねば禍根を残すことになるからね」

「流石、創造神様はわかってらっしゃる」

「ただし、杏子さんを拘束を解いてもらえますよね」

「勿論。創造神様が私達の会話の進行係となってもらえるのならば」

「進行係?」

「あまり難しく考えてもらわなくても結構。いわば、見届け人みたいなものです」

「わかりました」

 承諾すると、渡良瀬はすぐに杏子の拘束を解かせた。

 拘束を解いた杏子はすぐに悟史の元へと駆け寄る。悟史も杏子の元へ駆け寄り、抱きしめ合った。杏子の無事を何度も何度も確認し、悟史は安堵する。杏子もまた今までの緊張がまとめて寄せて来たのか自然と涙が溢れていた。

 強く強く抱きしめ合う二人に渡良瀬は告げる。

「お嬢さんがお前の手に返ったところで、この話し合いは終わらない。この屋敷にいること自体が人質みたいなもんだからな」

 悟史は杏子を抱いた手を離す。

 すがる杏子の両手を包み込み、微笑んだ。

「大丈夫。杏子に元気を分けてもらえたから」

 仁は踵を返し、渡良瀬と対峙する。

「では始めましょう」

 それは杏子に元気を分け与えて貰ったおかげの産物であった。それでも悟史の足は震えていた。

 渡良瀬は鼻で笑う。

「始めるも何も全てお前が認めれば済むだけの話だ。それに杏子は解放した。こっちは約束は守っているぞ? ――それに元を正せば約束を守らなかったのは原田会の方だ」

「どういうことですか」

 悟史が尋ねると仁も「こちらとしても聞いておきたいかな」と同意した。

「創造神様が知らないのは無理もない。だが次期組長と一人娘は勉強不足としか言いようがないな。――元々権限は渡良瀬組が持っているはずのものだった。戦後、空襲があったこの町は焼け野原で渡良瀬組もその財産をほぼ炭となっていた。そこにいきなり現れたのが原田会だ。そこのお嬢さんの祖先は対抗する力がない組から強引に奪っていったんだ」

「そんな! 嘘!」

 杏子が声を上げた。

「嘘なもんか。お嬢さんの爺さんは全てを知っているはずだ」

 杏子は押し黙ってしまった。祖母の形見を杏子に与えたのは祖父であった。形見は妖怪としての力を封じ込めるまじないが施されていた。それは一人娘として組を支えていこうとした矢先のことだった。それに込められた意味を察することができないほど杏子は鈍くはなかった。組のことに首を突っ込むな、と遠回しに言われたのだ。そのことが杏子に祖父への不信感を抱かせ、押し黙らせていた。

「では後日、杏子のお爺さんと会談しますか?」

「別にやる必要がない。何度も口にしているが、ここでお前が頷けばそれですぐ話だ。最悪こっちは戦争してもいいんだぞ? やっても疲労しないだけの弾は揃えている」

「ならどうして杏子を拉致するなんて周りくどい真似をしたのですか?」

 悟史は義理の母が口にしていたことを思い出す。そういうことをしそうに思えない、と口にしていた。手段さえ選ばなければいくらでもやりようがあったはずである。杏子を縛り上げていたが、傷はつけられていなかった。今の戦争発言でさえ表向きは挑発であっても、裏向きには諦めさせるための説得ともいえた。

 悟史は感じた。渡良瀬という組長は人に甘いという点において同類なのであると。そして、目指すべき姿でもあると。

「金がかかるからな」

「金だけですか?」

「人手もかかるからな」

「組員を傷つけたくないだけでは?」

「……馬鹿にしているのか」

「いえ、むしろ尊敬しています」

「皮肉ならよせ」

「本音です。自分の組のために非情になりつつも、僕らには情けをかけていますから」

「そこまでわかっているなら俺の立場もわかっているな? 俺は結果を出さなちゃいけないんだ」

 渡良瀬は不機嫌を隠そうともしない口調で言い立てた。

「……権利は譲渡します。その代わりとして、僕と裏取引しませんか?」

「裏取引だと?」

 渡良瀬の顔色が変わる。不機嫌であった顔つきが経営者としての顔へと変貌する。

「言ってみろ」

「今の時代は金がモノを言う時代です。だからこそ取引がしたい。どのような内容はまだ考えていません。ゆえにこれは信用を買うという形の譲渡です」

 鼻を鳴らす渡良瀬。

「貰うだけ貰って、取引に応じなかったり、途中ではしごを外すこともあり得ることに考えが及んでいないわけではないのだろう?」

 杏子が「そんなことできるわけない」と悟史の肩を揺らす。

 悟史は構わず会議を続ける。

「ええ、考えています。その時は戦争でもしましょう」

「責任取る覚悟はできているのか?」

「沈められる覚悟ならできました」

 杏子のためならば、と心のなかで続けた。

 渡良瀬はしばし考えこむ仕草をすると、どこか吹っ切れたように笑みをこぼす。

「甘ちゃんだと思っていたら、下手なヤクザもんよりヤクザしてんじゃねえか。――面白いな。その話乗った。寝首の掻き合いしよう」

 差し伸べる手を仁は取った。

 二つの手が堅く結ばれる。

 二人の視線が交わり合う。

 どちらからともなく手が離れる。

 渡良瀬は部下に指示を飛ばす。

「今日来た客全員集めろ。顛末を全て話す」

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