第28話 悲劇なるバベル試練の幕開け
翌日。
ユーラシアは一睡もすることができずにバベル試練当日を迎えることとなった。
昨夜感じたフェンメルが何者かと全力でぶつかる魔力の気配。その気配は言うまでもなく、学園に通う生徒全員が感じとっていた。
しかし教師含め、アートとユーラシア、ミラエラとエルナス以外の者たちは、バベル内にセンムルたちを殺している謎の存在が潜むことを知らない。そのため、ほんの一瞬、フェンメルの強力な魔力の気配を感じとっただけでは、噂になれど問題にはならなかった。
しかし今、バベルの現状の様を入り口の前で佇み見上げる選抜者一堂と、学園に残り遠くからバベルの様を見つめる者たちは、たった一晩で変わり果てたバベルの姿に唖然としていた。
いやバベルだけではない。信じられないことに、バベルを中心とした半径約五百メートルほどが凍結し、その範囲内にいる海中の生物たちも生命活動を一時的に中断してしまっている。
学園に関しては、強力な魔力のエネルギーによって保護されているため、凍結の対象にはなり得なかった。
そしてそんな訳のわからぬ状況の中、バベル試練の指導官であるミラエラとエルナスの姿が見えない。
フェンメルに関しては、事前にエルナスから明日には別任務のため、会うのが特訓最終日の今日で最後になることが伝えられていた。そのため、この場にフェンメルの姿がないことに違和感を感じてはいない。
それよりも、明らかに異常事態なこの状況で、ミラエラとエルナスの姿がないのは不自然極まりない。事前の説明で、二人は予めバベル内に存在する監視室へ待機しているとのことであり、試練開始は、生徒たちが己の力でバベルの扉を開いた瞬間という説明を受けていた。
しかし現状は明らかに異常事態。いや、もしかしたらこれは何かの試練なのかもしれない———そんなことを考える者たちも現れ始めじめる始末。
そうして意見は大きく二分し、現状はエルナスたちの意思であり、バベル試練を始めるべきであると言う意見。
もう一つは、即刻学園に引き返すべきであると言う意見。
そもそも、事前にバベル内に怪しい存在がいることを皆に告げていれば、ここでの意見の食い違いは生じていない。
バベルの凍結が表す意味を理解しているのは、この場で二人のみ。
ユーラシアとアートだけ。
しかしユーラシアは、そうであっては欲しくないと必死に自身に思い込ませる。
「大丈夫。絶対にフェンメルさんは無事なはずだよ・・・・・だって、約束してくれたじゃないか、勝つって」
そうは言っても、ユーラシアも心の底ではなんとなくは理解してしまっている。
昨夜感じたフェンメルの魔力では、おそらくだが、これほどの範囲で全てを凍結させることはできないと。
もちろん、魔力制御をしていた可能性は大いにある。
力の使い方によっては氷属性の魔法を放つこともフェンメルならば可能なのだろうが、その可能性がないことなどユーラシアが一番よく分かっている。
なぜならば、寝ていないのだから。一帯が凍結された瞬間も、その光景を寮内で目の当たりにしていた。そして、その際に何の力の気配も感じなかったことも本当は分かっている。
しかし全てを正しく考えてしまえば、心が保たない。
「まだ、死んじゃったとは限らない。大丈夫、フェンメルさんは絶対生きてる・・・・・絶対に生きてるんだ!」
確かにバベル内の様子を確かめられないユーラシアにとって、フェンメルの死は不確定事項。
しかし、現実はいつ何時でも悲惨なものなのだ。
必死に自己暗示をかけるユーラシアの隣で、先ほどからずっと考え事をするアートの姿があった。
「何度思考せど、原因不明とはな」
アートもユーラシア同様、睡眠をとっていない。
そもそもアートに関しては、肉体に元魔王の魂が宿った時点で見た目は人間であれど、中身は人間ではなくなっているため、睡眠など不要なのだ。
つまり、アートもフェンメルと謎の存在との戦いを魔力の気配と物理的な音のみで観戦していたわけだ。そのため、その際に行われた会話の内容や戦いの結末を全て理解してしまったわけだが、少女の正体に関しては、自ら人間へと伝えてやる必要はない。
アートは自らが人類に手出しすることはないが、人類の味方でもないのだから。むしろ、敵と言っていいだろう。
ただ、少女の正体に関しては、知った際は流石にアートでさえも驚き、耳を疑った。
バベル内にいる者の内に秘める魔力を探ることは、意識を向けていなければ不可能であり、内側の壁が凍結していたこともあって、会話の内容も聞き取りずらかった。そのため、一瞬であったこともあり、気のせいであるかもと思わせられたが、気のせいなのではないと結論付けた。
そして、コキュートスにトドメを刺されてフェンメルが死んだ数秒後の出来事。
アート自身に変化が生じた。
それは、自分でも気づかぬ内に不完全だったものが完全になったような満たされた内なる感覚。
別に、魔王の力がまた一つ解放されたわけではない。
言葉では言い表せないが、今まで自身の何かが欠けていた気持ち悪さが、完璧になくなった感じ。
理由はいくら考えても分からない。
それ故、ある意味理由の分からない気持ち悪さに駆られ、今の今までずっと、フェンメルの死などどうでもいいとでも言うように自身の疑問へとひたすらに向き合っているのである。
そのため、真実を知っている二人の者が選抜者間で行われている会話に参加せず、話の方向は生徒たちにとって最善の方に傾き始める。
「どう考えても、ここは一度学園へと戻るべきだ!」
先ほどまで出ていた反対意見も既に姿を潜め、皆が同じ考えへとシフトしていく。
この状況でバベル内に入ろうものなら、選抜生徒など赤子のようにコキュートスによって殺されてしまう。
生徒たちは、あと一歩の危うい状況で命を無駄にせず済んだということ。
しかし、不敵に笑う少女はその判断を決して許さない。
少女にとって、エルナスが行ったあらゆる判断が好都合であったのだ。
選抜者に選んだこと、生徒たちにバベルに潜む謎の存在を匂わせなかったこと、ミラエラを教師として招いてくれたこと。
それにより、コキュートスの育成を誰にも悟られずに行うことができ、今この場でも誰にも怪しまれずに平然と混ざることができている。
そしてミラエラが学園の生徒であったならば、守りたい者だけで、守らなければならない者などできなかっただろう。しかし教師は、生徒を守らなければならない。
ミラエラとエルナスは現状、異次元の『隔絶空間』へと閉じ込めている。
少女は神の遣いであるが、今はまだ人類への侵攻を始めるつもりはない。
静かに、そしてゆっくりと十年もの間、回復の時を待っている。
もし、学園生徒、教師含めて全員を今この場で相手にするのなら、力の回復が不完全のままで神による侵攻を開始していたことだろう。
それ故にエルナスには多少の感謝をしている。
開始ではなく、前触れを知らせることができる上、憎きミラエラへと自分を思い出させることができるのだから。
さて、お膳立ては整った。
思い出させてやるとしよう。
そして思い知らせてやるとしよう。
わらわの恐ろしさを。
選抜者一堂の意思は固まった。
しかし次の瞬間、その意思は無駄に終わる。
瞬きの一瞬、理由も分からず選抜者六十名の生徒たちは薄暗く凍えるほどに冷え切った広々とした円形の空間の中にいた。
「ヒュー」
少し離れたところから聞こえてくる風が吹くような音。
しかし、入口も閉まっており、その空間に風が吹き抜ける隙間などは一切ない。
そしてその音は風ではなく、その空間内に静かに佇む人型の何かから聞こえてくることに気がついた。
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