第40話 ジャイアントベアー

 気がつくと辺りは夕暮れ色に染まり、もうじき夜が訪れようとしているというのに、案の定迷子になってしまったみたいだ。

 ユーラシアは来た道を間違いなく戻ったつもりでいたのだが、戻れど戻れど先が見えない。

 そうしてひたすらに彷徨っている内に、またもや誰かの話し声が聞こえてきた。


「おい、何とか言えよ!能無しのルイスめ!」

「フハハハハハハハハハハハッ、言われてやんの〜」


 その構図は、三対一。

 見るからにいじめが起きている。

 そして被害者だと思われる少年の身につけている服は、道着と呼ばれるもの。

「オイラ、何も悪いことなんてしてねぇっす!剣聖様のことも尊敬しているっす!」

 少年の目には幾度となく泣かされたであろう涙の跡がくっきりと残っていた。

「いやいや、嘘ついちゃいけないなぁ。剣聖様を尊敬しているんなら、剣は使わなきゃダメでしょ」

「それは・・・・・できねぇっす!」

「どうしてさ?」

「オイラ、剣聖様のことも尊敬しているっすけど、父のことはもっと尊敬しているっすよ」

 いじめっ子三人組は、ほぼ同時に少年の言葉を鼻で笑い飛ばす。

「ハハッ、だからそれがダメだって言ってるのが分からないかな?」

「パァン!」という軽やかな音が森中に響き渡った直後、少年が自身の左頬を涙を浮かべながら必死に押さえていた。

 しかし、そんなことお構いなしにもう片方の頬からも軽やかな音が奏でられた。

「おっと、顔はダメだったなぁ。バレたらお前の母親に怒られちゃうよ〜」

 その後、いじめっ子の内二人が少年の体を押さえるつけると、一人が痛みを与える係となり、ひたすらに少年をいたぶり続ける。

 それも顔以外のところを。

 おそらく、少年の体はあざだらけのはず。

 しかし先ほどの会話からすると、母親は違和感は感じれど、いじめられていることは知らないことになる。

 けれど当然だろう。いじめとは、自身のプライドすらも傷つけてしまうもの。身内に、自らの弱みを全て吐き出すということは、すべてのプライドを捨てると同義。そんなこと、容易にはできやしない。

 


 ユーラシアが見た時には、既に被害者の少年は二人の少年に押さえつけられ、残る一人によって痛ぶられていた。

 魔物だとか、知らない奴だからとか、あくまでも試験としてこのダンジョンへとやってきているのだとか、そんなことは全てかなぐり捨ててユーラシアは迷いなく駆け出した。

 

「やめろ!」

 

 ユーラシアの声に反応した四人ともが一斉にユーラシアへと視線を向けると、いじめていた三人が一瞬怯んだ気がしたのだが、即座に余裕の態度を取り戻す。

 見たところ、魔物たちの年齢はユーラシアと大差ないように見える。そのため、いじめている現場を目撃されたとしても問題は生じないとナメられている。

「何だよお前?」

「なぁ、こいつひょっとして人間じゃね?」

「人間?」

「うん。大人たちが話してたんだけどさ、今日から十日間、大勢の人間がこの村に来ることになったんだってさ」

 それを聞いた、いじめの主犯と思われる金髪の魔物がニヤリとゲスい笑みを浮かべる。

「それはいい話を聞いた。どうやら歳も俺たちと変わらなさそうだし、人間のガキもいじめて見たかったんだよ」

 すると、先ほどまで道着を着た少年を押さえていた魔物たちは、既にユーラシアの背後へと回り、三人してユーラシアを取り囲む。

「人間も魔物と同じように泣きわめくのかい?」

「君たちは最低だ!」

「フッ、初対面でいきなりだな。まぁいい、やれ」

 金髪の魔物の合図により、ユーラシアの背後にいた二体の魔物が一斉にユーラシアへと飛びかかる。

 しかし、今まで数々の強者の動きを間近で体験してきたユーラシアにとって、彼らの動きはスローモーション。

「グフッ」

 ユーラシアはかなりの手加減を込めて、背後から飛びかかる魔物二体へと振り返り、横からの拳を繰り出した。

 すると、一方の魔物の顔面にクリーンヒットを与え、そのままもう一方の魔物ごと遠方へと吹き飛ばした。

 その直後、「パキンッ!」と更に軽やかな音がユーラシアの耳をくすぐる。


「ば・・・・・化け物」


 振り返ると、金髪の魔物が血相をかき手足を震わせながら、仲間を置いて一目散に逃げ出して行ってしまった。

 今し方音のした方向へ視線を向けてみると、真っ二つに折れた刀の見るも無惨な姿が残っていた。


「すごいっす・・・・・」


 横の脇腹を押さえて痛そうな表情を浮かべつつも、いじめられていた少年は、ユーラシアへと羨望の眼差しを向けている。

「えっと・・・・・大丈夫———ッ!」

 突如、何の根拠もなくユーラシアは自身の背後から感じる殺意に襲われた。

 しかしその直感が間違ってはいないのだと、目の前の少年の表情が物語っている。顔は青ざめ、とてつもない恐怖を抱いている様子だ。

「どうして・・・・・ジャイアントベアーがここにいるっすか?ここは剣魔の領域っすよ」

 ダンジョンとは、異なる魔物ごとにそれぞれ住処となる領域が設けられているのだが、異なる次元で隔絶されているわけではない。

 そのため、こうして不定期に他の魔物が異なる魔物たちの領域へと足を踏み入れてしまうことが起こるのだ。そして魔物は人類の敵ではないとはいえ、好戦的な性格の魔物は多数存在している。

 その例が、以前ユーラシアの力の解放の際に蔓延した魔力を源として、複数の魔物の発生が確認された出来事。その際に発生した魔物が揃いも揃って好戦的な性格だったため、エルナスたちによって処理されてしまったのだが、もしも平和を望んでいたのならばダンジョンへの保護も視野に入れていた。

 ジャイアントベアーはそれ以上に好戦的な性格ではあるのだが、この個体はダンジョン内で自然発生してしまった魔物なので、外部の人間がどうこうできる話ではない。

 

 そして今、ユーラシアの目の前にいる巨大な熊型の魔物は、共喰いすら辞さない狂暴かつ凶悪な魔物なのだ。

 名前通り、見た目は熊そっくりであるのだが、表皮は漆黒と薄紫色で覆われて、額に生やす鋭い角を露わにしている。

「クンクン」

 そのデカい鼻を鳴らしながら、ユーラシアの匂いを嗅ぐ魔物。

「うへぇ〜嗅いだことない極上の香りがしやがるぜ〜」

 ジャイアントベアーは口を開き、鋭い犬歯を見せびらかすと、ぼたぼたと地面に粘り気のあるよだれを垂らしていく。

「こいつはやばいっす。オイラは何度かジャイアントベアーを見たことがあるっすけど、ここまでデカいのは初めてっすよ!」

 それほどまでに魔物の肉を食い、成長を続けているということ。

 つまり、ジャイアントベアーの大きさは、その個体の強さを示すのだ。

 

「逃げるっす‼︎」

 

 その巨体からは想像もつかないほどの速度でジャイアントベアーの頭が、先ほどまでユーラシアが立っていた位置に落ちて来ていた。

 ユーラシアは直感的に何とか避けれたものの、もう少し反応が遅れていれば、多少のダメージは負っていたことだろう。しかし、剣魔の少年からすれば、今の攻撃が直撃していれば、ユーラシアの命はなかったと思っている。

 いじめっ子を撃退したユーラシアの動きを見た上での判断であるため、それほどまでにジャイアントベアーは、油断ならない相手であるということ。

 更に言えば、ジャイアントベアーが三体いれば、ユニコーンと互角以上の戦いを演じられるのだ。

 ジャイアントベアーはすかさず頭を横へとスライドさせて、ユーラシアへと再び噛みつこうとするが、先ほどよりは余裕を持って、その攻撃を回避する。

 しかし、直後飛んできたジャイアントベアーの鋭い爪を生やした巨大な平手打ちを、全身にもれなく受けてしまった。

「クッ」

 痛みは感じないが、ものすごい衝撃波が体中に伝わる。

 しかしそのどれもがコキュートスほどではないが、あの時よりも衝撃波をしっかりと身に沁みて感じられる。

 コキュートスと戦った時は、大量のアドレナリン効果と、怒りにより理性が半分ほど失われていたせいで、まともな判断ができずに無謀な行動を取ってしまった上、痛みすら感じぬほどに戦いに没頭していた。

 けれど今はとてつもなく冷静だ。

 コキュートスというとんでもなく恐ろしい怪物を相手にした経験は、しっかりとユーラシアの内に蓄積され、ジャイアントベアー如きには心すら乱れなくなった。

 それでも攻撃を食らってしまえば、食らった部位に意識を無意識に集中させてしまうせいで、よりその衝撃を感じてしまうのだ。

 しかしそれだけのこと。ユーラシアにとっては既に、ジャイアントベアーは敵ではない。

 『竜王完全体』のパワーは、とてつもなく体力と肉体の損傷を呼んでしまうのだが、ジャイアントベアーを倒すほどの力ならば、そこまで肉体への負担はかからないだろう。

 それなのに、剣魔の少年は、ユーラシアに何か違和感を感じ始める。

 ユーラシアは先ほどから、一切攻撃に転じることなく、ひたすら防御と回避に専念している。そして驚くべきことに、ジャイアントベアーの攻撃を全くもろともしていないのだ。

「どうしてっすか?どうして、攻撃しないんすか?」

「それは・・・・・」

 ユーラシアは迷っているのだ。

 魔物とは、魔王に操られていただけで敵ではない普通の生命なのだと。いくら狂暴な魔物とは言え、人のように心を持っているのだと。

 その迷いがユーラシアの攻撃に転じようとする意思を邪魔しているのだ。

「ちょこまかと、さっさと俺に喰らわせろ———ッ!」

 我慢に達したジャイアントベアーがユーラシアを威嚇したその時、ピタリとジャイアントベアーの動きが止まった。

 その理由は、ユーラシアの背後からヒシヒシと伝わってくる殺気立った魔力の気配。

「ルイス!」

 ルイスという名を叫びながら、土まみれの状態で剣魔の少年の下へ駆けてくる女性の魔物。

 彼女は、先ほどオータルと言う名の『剣聖魔』と親しげに話していた魔物だ。そして、少年のことをルイスと呼んだことからも、どうやら三人は家族のようだ。

「大丈夫?怪我はな———」

 ルイスの頬の傷と、腹部に付けられたあざを目にした女性の動きも止まってしまった。

 そして次の瞬間、ポロリポロリと小さな雫が幾度となく溢れ落ちてくる。

 普通なら、少年の傷は目の前の魔物によるものだと考えるのが自然なのだろうが、母親として、何やら確信付いてしまったことがあったらしい。

 

 そんなこんなでルイスと母親とのやりとりが行われている中でも、ユーラシアは休む暇なく、防御と回避に徹しながら二人に攻撃が届かないように配慮した立ち回りを見せていた。

 そして徐々に近づいてくる殺意を宿した魔力の気配。

 そして聞こえる男の声。

「退いていろ、人間」

 その声はやはり、先ほど聞いたオータルのもので間違いはなかった。

 声が響いた瞬間、先ほどまで森中に蔓延していたオータルの殺意がジャイアントベアー一体へと注がれる。

 ユーラシアは、ジャイアントベアーの意識が僅かにオータルへと奪われた隙を見逃さず、ルイスの近くへと退避した。

 オータルは視線を逸らすことなく、ゆっくりとジャイアントベアーとの距離を詰めていく。

「さて、よくも俺の家族を傷つけてくれたなぁ!」

 怒りを露わにしているが、魔力の乱れは一切見られない。

 そして次の瞬間、ほんの瞬きの一瞬であるが、オータルの気配の全てが消えた。

 それは五感や、魔力の全てを感じることができなくなったということ。

 そして次にオータルの姿が見えた時、オータルは地に膝を付き、その手刀の構えを取った手のひらが、ジャイアントベアーの真下へと振り下ろされた後であった。

 「グチャリ」と嫌な音を立てて、縦に綺麗に真っ二つになるジャイアントベアー。それに続くようにして、一直線に並んでいた木々の全ても真っ二つに裂かれていった。


「すごい・・・・・」


 今度はユーラシアの口から驚愕の声が漏れる。

 何よりもすごいのは、使用した右腕に一切の血液が付着していないこと。それほどまでに速く正確に技を放った証拠。

 正しく達人。

 ユーラシア独自の判断だが、ブルジブ以上の怪物である。

「おい人間!」

 すると突然、一息付く暇もなくユーラシアの胸ぐらは、オータルによって勢いよく掴まれる。

「お前、どうしてあの魔物に反撃しなかった?少しだけ見ていたが、お前なら勝てただろう?わざわざルイスを危険に晒してどう言うつもりだ!」

 その光景を目にしたルイスとその母親が急いで止めに入ろうとするが、オータルが手のひらでそれを制止させた。

「答えろ」

「魔物にだって、ボクたちと同じように心があると思ったんです」

 そんなユーラシアの言葉を受け、ルイスはユーラシアを見つめる。

「今までのボクは、魔物は魔族の仲間で、敵だと思っていたから、出会えば容赦なく殺していたと思います。だけど、魔物は敵じゃないと知って、会ったばっかりだけど、貴方たち剣魔のような心を持つ魔物もいることを知ったんです。あいつは人の言葉を話してた・・・・・だから、殺せなかったんです」

 ユーラシアとて、あの状況で攻撃しなかったことを後悔している。しかし、攻撃することを躊躇ってしまった。

 今のユーラシアは変わった。ソルン村にダークエルフが攻めてきた時は、魔人を敵としてみなしていた。しかし、元魔王であるアートに対して少しでも仲間意識が芽生えてしまった今、アートはおろか、もし魔人が誕生した際でも躊躇わずにはいられないだろう。そして、魔族ではないと知った魔物は尚のこと敵視することができない。おまけに人と同じ心を持っているときた。

 しかし、ユーラシアの大切な存在が傷つけられるようなことがあれば、ユーラシアは手加減なくその牙を振るう。

 オータルはユーラシアを投げ捨てるように手を離すと、一言こう吐き捨てる。

「悪い奴もいる。それだけは忘れるな」

 そうして何か言いたそうなルイスを連れて、オータルたちは自分たちの家へと帰って行った。

 



 家へ着くや否やルイスはオータルに怒りをぶつけた。

「どうしてあんな言い方するっすか!あの人は、オイラを助けてくれたんすよ!」

 その必死さ故に、ルイスの瞳には涙が溢れている。

 ユーラシアは恩人だ。魔物から助けてくれた意味でも、いじめっ子から助けてくれた意味でも。

「それは分かってる。だけど、あいつがしっかりと戦っていれば、それほどの怪我を負うこともなかったんだぞ?」

「違うんですよ、あなた」

 彼女の名はトレイル。ルイスの母にして、オータルの妻である。

「違うとは、どう言うことだ?」

「・・・・・オイラ、ずっといじめられてたんすよ。オイラたちは剣を使わない剣魔だから、剣聖様をバカにしてるって」

「バカに?いや、バカになどしてないだろう。むしろ、剣を使わない身でありながらも剣聖様の技をしっかりと取り入れているじゃないか」

「そんなこと分かってるっす!だけど、そんなのアイツらからしたら関係ないんだ」

 空間内に気まずい静けさが漂う。

「だけどあの人は、初めて会ったにも関わらず、迷いなくオイラのことを助けれくれったすよ。オイラのためにアイツらを殴ってくれて、それに、折れちゃったっすけど、アイツら・・・・・あの人に剣まで振るって」

「ちょっと待て!振るった剣の方が折れたのか?」

 話の趣旨は、息子を助けてくれたというものだが、その身が刀と化しているオータルにとって、今の発言は聞き捨てならなかった。

「そうっす。オイラもう、感動しちゃって」

 

 オータルはしばらくの間思考に浸る。

 (無刀流。かつて人間のお師匠から教えられたその身を刀と化す流派。もうお師匠がお亡くなりになられてから二、三百年は経つだろう。俺も三十半ばを迎える身。弟子の一人は取ってみてもいいのだろうか?かつてお師匠は言ってくれた。「お前は誰よりも信用できる。そして誰よりもこの技を託すに相応しい」と。だから俺自身も、技を託す者は俺自身が信用でき、技を託すに相応しい素質を宿す者であるべきだと思っていた。だけどアイツは人間だぞ?かつてお師匠の命を奪ったのも同じ人間だ)

 

「父?」

 何やら険しい顔をして思い悩む様子のオータルを不安そうに覗き込むルイス。

 

 (だけど、あいつは息子を、いじめっ子からも、魔物からも守ってくれた。それに刀を受けて傷一つつかないどころか、むしろ刀が壊れてしまったとのことだ。そして、思い返せば、魔物の攻撃による傷もついてはいなかった。おまけに殺意を向けていた魔物に慈悲をかける始末・・・いや、それは奴のいいところなのかもしれないな。お師匠———まだ信用できたわけではありませんが、信用したく、そして、己の技を授けるべき存在であると判断しました。どうかそれをお許しください)

 

「あの人間に会いに行こう。先ほどのことも謝らなければいけないからな」

 オータルの言葉を受けて、ルイスとトレイルは笑みを見せた。

「そうっすよ!」

「はい」

 そうしてオータルは、約二年ぶりに崖下の村へと降りるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る