第25話 怪しげな気配
それからはこれまで以上に特訓へと精を出し、バベル試練は目と鼻の先まで迫っていった。
バベル試練前日。
皆の表情には少なからず明日へ向けた緊張の色が見え隠れしているが、一ヶ月間惜しみなく特訓に打ち込んできた自信から、緊張感にも勝る余裕を感じられる。
それもそのはず、特訓し始めの頃は、手も足も出なかった擬似ユニコーンを今ではいとも容易く攻略してしまっている。
今回のバベル試練の特訓は、現役のゴッドスレイヤーのトップ二名による指導もあったことで、選抜者全員に凄まじい伸び代を実感させた。
バベル試練後、大量のクラス移動者が現れるのは最早確定事項となってしまった。
しかしそんな中、ユーラシアも基礎体力などの基礎的能力の向上は見られたものの、肝心の力の封印や魔法無効化を宿しているため、他の選抜者と比較すると成長の差はないにも等しい。
アートに至っては、そもそも特訓自体に真面目に取り組んではいなかったため、全く成長の色は見られなかった。
この場合、ユーラシアとアートに関しては成長という言葉自体が不適切であると言える。正しくは、成長=力の解放と表すべきだろう。
とにもかくにも、明日からのバベル試験ユニコーン選抜において、不安の色を見せる者は誰一人としていない。
しかしそんな中、以外な人物が柄にもなく不穏な表情を浮かべていた。
「何か気になることでもあるのか?」
普段は滅多に見ることのないフェンメルの真剣な表情に、違和感を感じたエルナスが問いかける。
「いいや、エルナスちゃんは試練のことだけ気にしてればいいよ」
「はぁ、そうは言われてもな。試練は明日だ、何か不安なことがあれば責任者として即座に対処する必要がある。思うことがあるなら話してくれ」
フェンメルは少しの間エルナスにこのことを話すべきかどうかを思考する。
なぜなら、フェンメルが今気になっていることは、自身でさえ確証を持てていなく、気のせいである可能性も捨てきれない事であるため。余計な不安を与えないようにフェンメルなりに配慮をしていた。
しかし、これ以上一人で悩んでいても仕方ないからとエルナスに打ち明けることにする。
「実はさ、特訓を始めた一ヶ月前くらいから、不自然な足音が聞こえるんだよね。それも上から」
「不自然な音?私には何も聞こえないが、センムルの仕業である可能性はないのか?」
「ぶっちゃけるとオレちゃんってすごく耳がいいのよ。だから特訓が始まった時から頭上にいるセンムルたちの足音は聞こえてたわけ」
唐突にあまりにも現実離れしたことを言い出すものだから、エルナスは思わず自身の耳を疑う。
「どのセンムルの足音も過去に一度は聞いたことあったから、すぐにバベル内に囚われているセンムルの種類に検討がついたんだけどさ、二日目から一つだけ知らない足音が混じってたのよん。それが何なのかはオレちゃんにも分からないけど、初めは地を這うようにベチョベチョとした足音だったのに、今ではまるで人間のような足音に変わってるんだよねぇ。そして何より妙なのは、今ではそいつの足音以外は消えちゃってるってこと」
あたかも信じ難い話だが、ここまで真剣な表情で語られてはむやみに否定するわけにもいかない。
例えフェンメルの言っていることを信じるとしても、では一体今頭上にいる存在は一体何なのか?
「要するに確証はないが、その正体不明の存在以外は全滅しているのではないか、ということだな」
「流石だねぇ、そゆことよ。まぁ、もしセンムルたちが全滅したのだとしたら、いつ実行したのかってことだけど、考えられるとしたらオレちゃんたちが寝静まった夜しかないよね。いくら学園からバベルが離れているって言ってもたかだか百メートルくらいでしょ。鼓動の音とかならあれだけど、戦闘音なら聞き逃すはずがないんだよね。てことはだよ、今頭上にいるのは、かなり危険な存在ということになる。それもオレちゃんに悟られないレベルでセンムルを狩れるほどに」
バベル内に囚われていたセンムルの中には、地上に解き放たれれば一国は軽く滅ぼせる力を有した聖蛇などもいた。
本当にそれほどのセンムルをあっさりと倒すことのできる存在が頭上に潜んでいるのだとしたら、明日の試練は即刻中止にすべきである。
「・・・・・それは流石に、本当ならば私では勝てないな。お前は明日から別任務があるのだろう?例えミラエラがついていたとしても、危険すぎるな」
「安心しなよエルナスちゃん。帰る前に、このオレちゃんがぱぱっと片付けてきてあげるからさ。だから明日は何も気にせず試練に挑むといいさ」
フェンメルは万が一にも自分が敗北するとは思っていない様子で、エルナスへと自信満々の笑みを向けた。
「だが、相手の力量が分からない以上、いくらお前と言えど危険すぎる。第一この件で最も重要なのは、その存在がいつ・どうやってバベル内に入り込んだかだ」
「正直、それについてはオレちゃんも知りようがないけど、こういう時こそ四天王の出番でしょ?」
エルナスは初めてフェンメルのことを頼もしいと思ったのだった。
「フッ、そうだな。いくら六武神と言えど、お前と私とでは強さの格が違う。では、この件はお前に託すとしよう。頼んだぞ、フェンメル」
「もちろんさ、余裕の勝利を収めてくるさ〜。まぁ、気のせいなのが一番だけどね」
特訓の時間も残すところ一時間。
その時間が無駄にならないよう、二人は再び生徒たちへと意識を向けた。
「いよいよおかしなことになってきたな」
アートは少しの笑みも見せない表情と鋭い眼球で、頭上を見つめる。
「どうかしたの?」
「昨日まで聞こえていた足音も、今ではたったの一つしか聞こえぬのだ」
ユーラシアにはアートが何を言っているのかさっぱり理解できず、特訓が開始してからというもの、ずっと天井へ視線を向けているアートのことを少しおかしく思う。
「足音?上から何か聞こえるの?ボクには何も聞こえないけど」
「今のお前では無理もないだろう。だが間違いない。バベル試練は始まる前から既に終了したということだ」
わざわざ遠回しな発言をするアート。
正直アート自身も聖蛇やグリフォンを一度相手にしたことがあるため、その強さを知っている。今回選抜対象となったユニコーンとは強さの次元が異なるセンムルたちだ。
そんなセンムルがアートに悟られずに葬られたなど、にわかには信じられないことなのだ。
現に今、しっかりと頭上に潜む何者かの足音一つはしっかりとアートの耳に届いている。
足音一つする度に、グチョグチョとしたかつてはよく聞き慣れた死を匂わせる音が含まれている。
当然、距離が離れれば離れるほど、人間の鼓動などの些細な音は比例して遠ざかっていくが、例えアートが学園にいる際にセンムル殺害が起きていたとして、戦闘音が何一つ聞こえなかったとなると、アートでさえ危険視する存在が頭上に潜んでいることになる。
「俺は余計な希望を抱かせるのが苦手だからな、単刀直入に言わせてもらう。バベル内に囚われていたセンムルたちは一体残らず皆殺しにされたと見て間違いない。そして奴らを殺した何者かは、今もまだ俺たちの頭上にいる」
「殺された⁉︎」
驚いた表情を浮かべたユーラシアであったが、事態がよく理解できていないのか少しの間フリーズしてしまう。
「えっ、ちょっとまって・・・・・本当なの?」
「ああ、間違いない。前に一度、人の鼓動を聞くことができる的な発言をしたことがあったが、俺は特訓初日から今の今まで終始頭上の足音に神経を張り巡らせていたのだ」
特訓には一切参加する姿勢を見せなかったアートだったが、裏でそんなすごいことをしていたことにユーラシアは感心する。
しかし今は感心している場合ではない。もしアートの言葉が本当なのだとしたら、何も知らずに試練に挑むことは死を意味している。
早くミラエラやエルナスにこのことを知らせなければならない。
しかしユーラシアが呼ぶよりも先に、既にミラエラの姿がユーラシアの背後にあった。
「今の話は本当のこと?」
「先ほども言ったが間違いない」
ミラエラはアートほどではないが、特訓音が響く空間内で、アートとユーラシア二人の会話の内容を正確に聞き取っていた。
遠くでもエルナスとフェンメルの間で似たような会話が繰り広げられていたが、より距離の近かったユーラシアたちの下へと話を聞きに来たというわけだ。
「だが相手はセンムルだ。俺も元は魔王とは言え、神の力まで悟ることは不可能だからな、確実に囚われていた全てのセンムルが全滅したとは言い切れない。ただ、頭上で一方的な殺戮が行われているのは確実であると言えるな」
「———つまり、どう転んだとしても試練は中止せざる終えないということね」
「まぁ、センムルが一体も残っていないのであれば不可能だからな。生き残りがいたとしても最早時間の問題でしかない」
そう言うと、先ほどまで頭上に向けていた視線を、下にいるフェンメルとエルナスに落とす。
「だが愚かなことに、あいつらは頭上での出来事を気のせいだと思いたいようだな。問題がなければ試練をやるつもりでいるようだ。そんな望み、一ミリたりとも残ってはいないと言うのに。人間とは、どうして自身の望む方向へと事を運びたがるものなのだろうか?それが自らを破滅へと導いていることに未だ気がついていないとは———これも寿命が短いが故の特徴か」
「あら、かつて貴方を滅ぼした勇者は、人類の望みが神へと通じた結果、生まれたとも解釈できるのだけれど」
「かつて完膚なきまでに敗北した分際でこの俺に楯突くか?」
アートとミラエラの間で、目には見えない火花が散る。
魔力と魔力がぶつかり生じる火花でなくとも、近くで見ていたユーラシアにははっきりと二人の間でバチバチと飛び散る花火が見えた。
「はいはい、そこまでにしなよ〜」
そんな二人の間に割って入ったのは、フェンメルだった。
先ほどまでエルナスと話していたはずのフェンメルだが、ユーラシアたちの会話が聞こえたことで飛んで来たみたいだ。
「なんだ、貴様か」
ゴッドスレイヤーのそれも四天王であるフェンメルを貴様呼ばわりとは、魔王とは恐ろしい存在であると改めて実感させられる。
当のフェンメルも、今は頭上に潜む存在のことで頭がいっぱいなため、アートの発言にいちいち反応している余裕もない。
「頭上にいる正体不明の存在を相手取るつもりのようだが、忠告しておこう。自殺行為だぞ」
「まさかオレちゃんを心配してくれてる感じ?見た目に似合わず、優しいところあるんだねぇ」
フェンメルの揶揄うような言い草に、多少眉を顰めるアート。
「ありがとうさんっ。だけど、オレちゃんなら大丈夫!なんたって四天王の一人だからね。それに、オレちゃんたちの気のせいだって可能性もあるからね」
「本気でそう思っているのか?」
そんなアートの問いかけに思わず口籠もるフェンメル。
「・・・・・何にせよ、オレちゃんに任せといてよ!君やミラエラ先生が強いことも分かってるけど、オレちゃんにもゴッドスレイヤーとしてのプライドがあるからさ」
「ふむ。まぁいい、そこまで言うのなら任せるとしよう」
「サンキュー」
軽い感じの態度を見せるフェンメルだが、その瞳には覚悟の念が宿っていた。
特訓が終了し、選抜者皆を一箇所に集合させて明日の説明を行うエルナス。
その内容は、ユニコーンが待ち受けるバベル内の正確な構造や本番の班分け、各自に向けたアドバイス、当日のエルナスとミラエラの待機場所など。
いつでも教師が助けに来ることができることを知らされた生徒たちの顔には、安堵の色が浮かんでいた。
しかし説明を行なっているエルナス自身の表情は、終始曇ったまま。むしろ青ざめていると言ってもいいほどに。
この説明は仮初に過ぎない。
エルナスは仮にも六武神の一人だ。
例え足音などの何の気配を感じられなくとも、フェンメルの尋常ではない様子くらい手に取るように分かるというもの。
しかしエルナスの不安をぶつけてしまえば、フェンメル自身のプライドを傷つけてしまう。
エルナスは頭上にいる謎の存在に恐怖しつつも、近くで見てきた男の存在を何よりも信じようと心に近い、託すことにしたのだった。
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