第13話 魔王
彼はかつて全人類に恐れられた魔王であった。
アート・バートリー。いや、火神 優哉は異世界からの転移者だった。
この世界はどこなのか、自分は誰なのか、この世界へと転移するまでの全ての記憶がなくなっており、気がつけば優哉は魔法という元いた世界の摂理に反する力が溢れた世界にいた。
この時代には人類はまだ原始の姿をとっており、世界は竜族によって支配されていた。そしてそれらの竜の頂点に立つ存在が『竜王ユグドラシル』であり、天へと届く勢いで伸びる巨大な魔力樹を宿す最強の存在。
必然か偶然か、優哉はそんな竜王の強さに憧れを持つようになる。この感情こそが魔王への第一歩となることなど、この時の優哉は知る由もなかったのだ。
優哉は来る日も来る日も己の身を鍛え、いつしか竜王のようにみんなに認められ、あらゆる存在を従える最強の存在へと上り詰めることを夢見て、体が例え悲鳴を上げようとも努力を惜しむことはなかった。
けれど、どんなに努力しようとも優哉が魔法を使えるようになることはなかった。
理由は分からない。この世に生きる魔力を宿す者には必ず魔法を授かることのできる魔力樹が存在するのだが・・・・・異世界からの転移者だからか。はたまた神のイタズラか。
全ては神のみぞ知る事実。
実らない努力、暗闇を突き進んでいくほど恐ろしいものはない。
優哉の心は徐々に負の感情で埋め尽くされていった。
そしてある日、目覚めたのだ。それは、全てを飲み込んでしまいそうなくらい深く恐ろしい闇の力。
ようやく目覚めた自身の力。強くならなければ、誰よりも強くならねば竜王のように頂点に立つことなどできやしない。
そうして来る日も来る日も強者を求めて自分の力を証明する日々。
しかし力を示してもついて来てくれる者など誰一人としていない。それは単純なこと、竜王は強さを認められるだけでなく、心の底からの信頼を得ていたのだ。しかし優哉は、信頼どころか片っ端から他種族の生活を荒らすだけの怪物となっていた。
いつの日か魔王となった優哉は、こんな言葉を口にする。
「いつしか竜王は死に、世界を統べる王が姿を消した時、聞こえたんだ。次の王になるべきは俺だと」
始めはただの憧れから始まった優哉の夢は、いつしか支配欲へと変化していった。
従わぬなら死を与え、従うのなら己の力を分け与える。
こうして竜王が滅んでから何千年という時を経た頃、世界の全てから恐れられる悪の化身『魔王』が誕生した。
あらゆる種族から恐れられ、恐怖心を刺激して頭を垂れさせる。
あらゆる事象、生命を思いのままに操る強欲。
世界に存在する多くの生命は、自分たちが次の標的にならないよう、ただただ日々に祈りを捧げることしかできなかった。
魔王の興味を引かぬよう、決して怒りを買わぬよう。
そんな中、魔王の存在を拒んだ人類は立ち上がり、本格的に人類と魔族との戦争が始まった。
魔王の襲撃が世界を襲う。
人類の半分以上は死を迎え、緑豊かな大地と、透き通るように綺麗な海は、真っ赤な炎と血により染められ埋め尽くされた。
——————人魔戦争。
それは、今から約五百年前に終結した過去最悪の歴史である。
そしてその終結の要因となったのが、かつて最高神によって勇者の力を授けられた一人の人間だった。勇者が誕生する前までも最高神によって、数々の恩恵が人類へと授けられて来たが、その恩恵の中でも勇者の力は絶大だった。
勇者は魔王と互角以上の戦いを繰り広げ、見事魔王を討ち取り世界に平和をもたらした。
最高神さえいなければ、野望を果たすことができていた・・・・・ことごとく魔王の歩みを阻み、そして滅びを与えた。
魔王の心は、最高神への憎悪で埋め尽くされた。
時は経ち人魔戦争終結から約五百年後、魔王はアート・バートリーという少年として転生を果たす。
それから歳を重ねるに連れて記憶は戻っていき、かつての力も徐々に取り戻し始めた。
魔王であった自分がどのような存在であり、何を成そうとしていたのか。そして、なぜ滅んだのか。
全てを思い出したアートが成すべき使命。
それは——————最高神への復讐。
しかしそれは絶望的であることをアートは知ることになる。
人類はかつて人魔戦争の時に恩恵を授かっていた神による攻撃を受けていた。当然神からの恩恵は消え失せ、人間の質は急激なほどに低下していた。
「これでは、悪の帝国をもう一度築き上げることなど不可能だ。魔人の媒体となる人間が貧弱ならば、最高神に立ち向かうことすらできない・・・・・」
汚物に虫などが寄ってくるように、魔力が濃い場所には魔物が発生する。
しかし魔人となると、人間を媒体としてしか生み出すことができない。そして、媒体となる人間の質の高さが魔人化した時の強さに直結するのだ。
そんな時、人間としての質が高い者たちが多く集まる場所が存在することを知る。
それは、魔法学園。
魔法の才も開花していない卵同然の者たちばかりが集まる場所だが、魔人を生み出すのなら学園しかないとアートは考えた。
実験として入学前に一度、質の良い魔力を宿すある一人の少年をダークエルフという名の魔人へと変貌させたが、結果は満足のいくものだった。
しかしアートは元魔王であり、その力を徐々にだが取り戻しているため、学園などに入学せずともかつてのように力をふるう強引な手段も取れたはず。それなのにどうしてそんなめんどくさい手段を取る必要があるのか。
更に、学園の入試や入学した後も本来の力は一切発揮せず日々の生活を送っていく始末。
しかしこれには明確な理由があった。
人類が神と敵対している以上、最高神が再び人類生存のために魔王を滅ぼすことはないが、己に仇なす存在として滅ぼす可能性は大いにある。
そのため、魔王の復活を最高神に悟らせるわけにはいかないのだ。
魔王としての魔力を少しでも悟らせてしまえば、最高神は魔王の復活に気づいてしまう。そうなれば、悪の帝国を築き上げる前に魔王は再び滅ぼされ復讐の野望は虚しく散ってしまうことになる。
幸いなことにアートには完璧な魔力制御魔法があったのだが、入試の段階で使えた魔法はどれもこれも魔力制御しきれない強力な闇魔法ばかり。
もし使うことがあれば、一発で最高神に存在が気づかれていただろう。
そして不運なことに、魔力制御内で使用可能な攻撃魔法を何一つ思い出してはいなかったのだ。
しかしそれでも、魔法学園マルティプルマジックアカデミーへの入学を果たしたアートは、仲間(魔人)を作るための行動を開始する。
突如学園に魔人が現れれば騒ぎになるのは明白であるため、アートは生み出した魔人を時が来るまでは自身の作り出した亜空間へと保管しておくことに決めた。
そうして学園でまず初めに魔人化の魔法を施したのがオッド・オスカーであった。
アートにとって不愉快極まりない者の支配された姿を楽しむ意味も込めて、アートはオッドを魔人化させることに決めたのだが、結果は失敗に終わった。
そして次に目をつけたのがシェティーネ・アーノルド。
ユーラシアとの一戦を目にしたことで、彼女の潜在能力の高さと、魔力の質の良さに興味を惹かれたのだ。
そうして今、この時に至る。
いくら魔力や潜在能力に優れていようとも所詮は人間の少女。魔人化など、容易く実行できる。
しかし今、予想だにしなかったことが目の前で起こっていた。
攻撃されたわけでもなく、ただ目の前の存在から感じる圧によって地に片膝を付き、その者の姿を見上げている。
「お前は一体っ————」
驚愕に胸を震わせ放ったアートの言葉は、頬に当てられた一つの拳とそこから感じる微弱な痛みによって遮られた。
アートの体はまるで力が吸い取られたように地に横たわり天を見つめる。
そうして込み上げて来たのは、悔しさなどではなく、喜びだった。
「あっははははははははは‼︎」
突如として込み上げてくる笑い。
ユーラシアはそんなアートに対して最大限の警戒を向ける。
「俺は今、信じ難い光景を目にした。貴様の圧を受けて体が硬直する直前に見た竜の姿・・・・・アレは気のせいか?いや、一瞬だけだが感じたあの魔力・・・・・かつて憧れた竜王の魔力だ」
アートは嬉しそうに言葉を口にする。
「そうかそうか、竜王も転生していたのか。となると、世界樹の宿主はお前だったんだな」
歓喜に震えるアートとは反対に、ユーラシアはハッとした様子でシェティーネの方向へと視線を向けた。
「安心しろ。結界が破壊された直後、魔人化も解いたから気絶してるだけだ」
「そっか、よっかた」
ユーラシアは心の底からホッとしたため息をついた後、力が抜けたように地面に座り込む。
その直後、顔を青ざめさせたミラエラとエルナスが勢いよく居残り部屋百五号室の扉を開き、中へと入って来た。
「今の魔力は何だ‼︎」
「ユーラシア、貴方もしかして封印を解いたの?」
ミラエラはユーラシアの肩をガッと掴むと、ユーラシアの体をジロジロとくまなく見つめる。
「うん・・・・・一瞬だったけど、解いちゃったみたい」
「それで、体は何ともないの?」
ミラエラがユーラシアの中に眠る竜王の力を封印したのは、力によって体が壊されないようにするため。
今回は本当に一瞬の解放であったため、幸い異常は見当たらなかった。
「よかった・・・・・本当によかった。おそらくだけど、危機的状況が貴方の枷を一時的に外すことになったのね」
「ちょっと待て、今さっき私たちが感じた巨大な魔力は、ユーラシア本来の力だということか?」
「ええ、その通りよエルナス」
エルナスは度肝を抜かれたように目を丸くして、少しばかり言葉を失う。
「・・・・・世界樹を宿していることは知っていたが、まさかこれほどまでとは想像以上だな」
「その反応が普通よね。けれどエルナス、今はそのことよりも彼を何とかする方が先よ」
「ああ、その通りだ」
ミラエラとエルナスは鋭い視線を同時に横たわるアートへと向けた。
「ユーラシア。貴方はあそこで寝ているシェティーネを連れて今すぐここから離れて」
「ミラはどうするの?」
「彼を倒すわ。この命を捧げてもかつてのように好きにはさせない」
ミラエラの覚悟を秘めた言葉を聞いたアートが、ゆっくりと体勢を起こして立ち上がる。
「それならば安心するがいい。神を滅ぼすまで俺は人類、いや、この世界に手を出さぬと誓おう」
「信用できるわけないでしょ」
「お前は確か、ミラエラと言ったな。勘違いでなければ、ダークエルフを倒したのはお前か?魔人から伝わって来た魔力と入試で感じたお前の魔力はよく似ていた。今は完璧に制御していて分からぬが、当たっているだろう?」
ダークエルフとはソルン村の教会を襲った魔人である。
ミラエラは、魔人を送り込んだ犯人であるアートに対して分かりやすく睨みを効かせる。
「そして俺は、ずっと昔にそれと似た魔力を感じたことがあるんだが、それはいつだったか————」
アートは緊張感なく、黙々と一人静かに考えごとをし始める。
「無駄話はその辺にして覚悟はいい?魔王アート・バートリー」
「まぁまずは焦らず話を聞くがいい。ユーラシア・スレイロット、お前の目的はなんだ?神を滅することではないのか?ならばこの俺が手を貸してやろうではないか。この愚か者どもをこのままにしておいていいのか?」
「惑わされないでユーラシア」
巧みな話術で語り掛けられるユーラシアへと、ミラエラは決して惑わされぬように言葉を投げかける。
「君はどうして神を滅ぼしたいの?」
「ユーラシア!」
ミラエラの表情に微妙な焦りが生じた。
それを見逃すアートではない。
「俺を滅ぼしたのは、勇者ではなく最高神だ。だから俺は復讐をしなければならない。お前の力に気づくまではかつてのように魔族を従え、かつて以上の悪の帝国を最高神にぶつける計画を立てていたが、それはやめた。魔人を生み出すことで俺はその都度弱くなっている。それならば、魔人を作らず復讐を果たせばいい?いや、悔しいが最高神は俺一人では倒せない。だからお前と手を組み、二人で最高神を倒す方が勝率があると判断した」
アートの言葉を聞き、ミラエラとエルナスの警戒心が若干であるが緩まる。
「どうしてユーラシアなの?」
そんなミラエラの疑問にアートは笑みを浮かべて答えた。
「お前が一番、よく分かっているはずだ」
「なるほど、全てに気付いたということ」
「そういうことだ。俺は神を殺したい。そしてお前たちも神を殺したい。過程は違えど、目的は一致してると思わないか?」
アートの差し出された手のひらを、ユーラシアは躊躇いの表情で見つめる。
「一つ、約束して欲しいんだ。ボクが君に協力する代わり、絶対に誰も傷つけないって約束してほしい」
「もちろんだ。敵以外はな」
そうして恐る恐るユーラシアはアートの手を取った。
今日この時をもって、竜王と魔王による新たな物語が始まっていく。
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