第12話 竜魔激突

 夕食後、ユーラシアは今日で最後となるシェティーネとの特訓を行うため、居残り部屋へと向かっていた。

 ユーラシアはいつものように居残り部屋の百五号室へと入るが、誰もいない。


 今まで一度もシェティーネがユーラシアより遅く来たことがなかったため、底知れぬ違和感に襲われた。

 たまたま今日は遅れてしまっているだけという可能性もあるが、ユーラシアはふと、オッドが寮に訪ねてくる前アートが口にしたある発言を思い出す。


 それは、シェティーネを仲間にしたいという発言。


「今思えば、アートくんのあの言葉は——————」

 言葉の真実に気がついた瞬間、全身の鳥肌が一気に立ち、とてつもなく嫌な予感に襲われる。

 シェティーネが今この場にいないという事実とアートの発言。この二つが関係していないなどとは到底思えない。

 そしてここへ来る前、寮内にはユーラシアを含めて四人の姿しかなかった。そう、アートの姿だけがなかったのだ。

「・・・・・シェティーネさんが危ない」

 ユーラシアの考えが正しければ、シェティーネは魔人と化すか、オッドのように命を奪われてしまうだろう。

 そうなる前に、何としてでも見つけなければと、ユーラシアは焦る気持ちをなんとか抑えつつ、ミラエラへと思念魔法で状況を伝える。

『ミラ、聞こえる?』

『どうしたの?随分と焦ってる様子ね』

 ミラエラは、声の震えと息遣いから、ユーラシアが尋常でないほど焦っていることをすぐさま理解した。

『シェティーネさんがいなくなったんだ。おそらく、アートくんの仕業だと思う』

『なるほど、次の標的は彼女ってことね。分かった、私の方でも探してみるから、絶対に先走ってはダメよ?いい?』

『早く見つけないと、シェティーネさんが———』

 シェティーネの言葉など届いていないとでも言うように、最後に独り言を残して思念魔法は途切れた。

 


 思念魔法が途切れた直後、ユーラシアはシェティーネを探しに部屋の外へ飛び出そうとする。

 しかし、半ばパニック状態に陥っていたユーラシアの判断を正常なものに戻したのは、その時微かに感じた何者かの魔力だった。

「・・・・・これは、シェティーネさんの魔力だ!」

 目の前に広がるのは誰もいない空間。

 しかしユーラシアは、微かに感じるシェティーネの魔力へとゆっくりと手を伸ばした。

 すると、指先から腕を経て、体全体がそこにあるはずのない空間の中へと吸い込まれていく。

 



 広がるのは薄暗い無機質な空間。

 その空間は、三百六十度流れる水のように流動的な見た目をしている真っ黒な壁に覆われているにも関わらず、周囲の光景がはっきりと見える。

 周囲の光景をぐるりと一周見回すと、視界の端に何かを捉えた。それは、よく知っている二人の人物。しかし、まるで別人のようなオーラを纏っている。

「アートくん、なの?」

 ユーラシアは恐る恐るその人物に声をかけると、ユーラシアへと背を向けていた状態からゆっくりとこちらに顔を向けた。

「まさかお前にバレるとは思わなかったよ。ユーラシア・スレイロット」

 よく知るその顔には、今まで見たこともないほどの不気味な笑みが浮かび、そんなアートの傍には、全身の半分以上が黒に侵食されたシェティーネの姿があった。

「ユーラシアくん、今すぐ逃げて!」

 シェティーネの必死の形相が、この状況の絶望感を表現している。

 ユーラシアはシェティーネに教えを乞うている立場だ。それ故に、弱者なユーラシアを逃がそうとシェティーネは必死になっている。

 自分が弱いばっかりに、助けに来たことで余計に不安を与えてしまった。

「絶対に逃げない。ボクは、シェティーネさんを助けに来たんだ!」

 ユーラシアはまっすぐな瞳でそう告げる。

「助けるか。ふむ、まぁいい。それよりもどうやって結界内に入り込んだ?この結界は一定量の魔力ならば遮断する効果を持つ。ましてやお前のような魔力がないに等しい弱者になど、破れるはずがないのだがな」

「そんなの、例え知っていても教えてやるもんか!いいか、君がどんなに強くてもボクは絶対シェティーネさんを助け出す!」

 次にユーラシアは、決意の籠った瞳をアートではなく、シェティーネへと向ける。

「ならば来てみろ。そして証明してみせろ。自分が弱者ではないことを」

 アートの挑発にも等しい発言に、ユーラシアは刺激され真っ向から全力で駆けていく。

「一つ言い忘れていたが、結界内では魔法の使用が禁じられる。強力な魔法ならば結界を破壊して使用することが可能だが、お前にそれほどの力はないだろう」

 今さっきまでシェティーネの隣にいたはずのアートが突如ユーラシアの目の前へと現れ、目にも止まらぬ速さで繰り出された蹴りが顔面へと直撃する。

 ユーラシアの体は車輪のような円を描きながら結界の端へと弾丸以上の速さで吹き飛ばされた。

 その速さは、オッドの時の比ではなく、威力も段違い。

 アートは間違いなく、ユーラシアを殺しにかかっている。

「ユーラシアくん!」

 その光景を目にしたシェティーネの顔に浮かぶ絶望の色が更に濃くなる。

「ユーラシア、お前の異常なまでの防御力はおそらく魔法によるものだろう。つまり魔法が使えなければ、魔力を持たぬただの人間と同義だ」

 生身の体で今の一撃に耐えられはしない。

 アートはユーラシアへの興味を失い、再びシェティーネの方へと歩き出す。

「もうボクを倒したつもりか?そんな攻撃じゃボクには傷一つ付けられないぞ、アート・バートリー‼︎」

 平然と立ち上がるユーラシアへ向けたアートの瞳が一度大きく見開かれる。

 そして次の瞬間、余裕を見せていた笑みは消え、冷徹な視線を向ける。

「驚いた。まさかそれほどまでの防御力だったとはな。そして一つの可能性を導き出した。魔法の無効化、そう仮定するならば結界内に入り込んだこと、防御の魔法を発動できていることにも説明が付く」

「だけど、対する君は魔法が使えない。でしょ?」

「少し違うな。使えないんじゃない、使わないんだ。言っただろう、強力な魔法ならば結界が破壊されると・・・・・しかしそれでは困るのだ。普段は完璧な魔力制御で自身の魔力と魔人化させた者の魔力、そして使用した魔法の気配を完璧に遮断しているが、結界であれ魔力制御であれ、限界は存在する。魔人化を行う際は結界を使用することでなんとかなっているが、他の魔法ではそうもいかなくてな。気づいているのだろ?俺が何者なのかを」




「——————魔王」




 ユーラシアは慎重に、恐る恐るその正体を口にした。

「魔王ですって⁉︎そんなことがあり得るの?だって、魔王はもう何百年も昔に勇者によって滅ぼされたはずよ」

 こうも取り乱すシェティーネの姿など、ユーラシアは初めて見る。

 それほど追い詰められており、危機的状況である証。

「真実だ。この俺は約五百年の時を経て現世へと復活を果たした。今すぐにでも人類、そして神への復讐を果たしたいところだが、まだ力が足りない。だから仲間を作り、かつての率いた軍団以上の魔族を誕生させる!」

 そう語るアートの表情は、悔しさと喜びという相反する感情を滲ませていた。

「そのために憎き人間の力を借りねばならないのは、複雑な因果と言えるがな。これで分かっただろう。要するに貴様は邪魔者以外の何者でもないわけだ。そして魔人化させる価値すらない。感謝しろ、この俺自らが死という解放をお前に与えてやる」

 そうして宣言通り、アートによる一方的な暴力が幾度となくユーラシアへと振りかざされた。

 そして同時に、シェティーネを侵食する黒が刻一刻と全身を蝕み続けている。

 ユーラシアの指先一つさえ触れることができれば魔人化は解除される。なぜならば、「竜王」には無敵に近い防御力以外に、魔法の無効化の力が備わっているのだから。

 しかし届かない。

 アートの攻撃に対する痛みは感じはしないが、焦りで心が締め付けられる。

 シェティーネを包む黒に、完全に染まり切ってしまったらおそらく——————

「いいことを教えてやろう。魔人化へ至る過程は個体によって異なる。魔法をかけた直後に意識を失い、時間をかけて魔人へと至る個体がいれば、魔法に侵食された直後に魔人化する個体も存在する。そして侵食を始めた時間を考えると、シェティーネ・アーノルドはおそらく後者だろう。既に侵食が首まで至ったか・・・・・時間はないぞユーラシア・スレイロット」

 次の瞬間、ユーラシアの体は瞬きの一瞬の間に宙へと飛ばされ、背中に走る痛みが激しく主張する。そうしてまたしても瞬きの一瞬でアートは宙に浮かぶユーラシアの視界へと現れ、重たい攻撃がユーラシアの首元へと繰り出される。

 ユーラシアは為す術もなく、一方的に地面へと叩きつけられた。

「これすら耐えるか。この学園では俺の攻撃を耐えられる者などいないと思っていたのだが。あの、ミラエラ・リンカートンとかいう教師ですらまともに食らえば多少のダメージは負うと見ていたんだが、お前はそんな俺の攻撃を何度受けても平然と立ち上がり、傷一つ負っていない・・・・・異常だな。だが対処のしようはいくらでも思いつく。例えば、そうだな————」

 次第にアートの拳が漆黒の光を放ち始める。

「この光は魔力の質を少し変えたものを収束させたものだ。魔法が無効化されるのならば、魔法を使わなければいい。物理攻撃が通用しないのならば、他の手段を取ればいい。この光は触れた直後に細胞にまとわりつき、その働きを暴走させることができる。人間の体など、心臓の動き一つが鈍っただけでも生命に危険が訪れる脆いものだ」

 ユーラシアの体は直後危険を察知し、体の底からとてつもない寒気と燃えるような熱さが込み上げてくる。

「この技は魔法でないとすると、ゲームで言うところのプレイヤースキルのようなものだ。なのでスキルと呼ぶことにしよう」

 アートがスキルと呼ぶこの技は、アートが即興で作り出した技である。それほどまでにアートの才は優れている。

 そして助けも来ないこの状況は、ユーラシアにとっても絶望と呼ぶに相応しい。

 始めからユーラシアは自分に勝ち目があるなどとは思っていなかった。それでも、シェティーネを助けるために立ち向かうしかなかった。

 しかし、何の策もなしに立ち向かった結果が八方塞がりのこの状況である。

「俺の攻撃を全て耐え抜いたことは褒めてやる。だが、お前は俺の強者にはなり得ない。お前に防御力と同程度の破壊の力があれば・・・・・そう思うと残念で仕方がない。さよならだ、ユーラシア・スレイロット」

 死の気配を匂わせるアートの攻撃が目の前へと迫る。

 避けきれない・・・・・攻撃を待つ一瞬、意識だけが切り離されたかのようにゆっくりとした時の中で妙にアートの姿と攻撃がはっきりと見えた。それなのに体だけが動かない。

 覚えてなどいない。しかし感覚で知っている。これは、死の直前の感覚なのだと——————

 死を悟った瞬間、先ほどの込み上げていた熱さが勢いよく全身を包み込むと、頭の中にある映像が浮かび上がった。

 それは、燃えたぎる炎のような赤き巨大な竜が力強く咆哮している様。

 この時ユーラシアは、まさか自分が映像の中の竜と同じように雄叫びを上げているなどとは思いもしていないはずだ

 




「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎」

 




「くっ⁉︎」

 ユーラシアが上げた雄叫びにより、張られていた結界が途端に姿を消す。

 そうして空間が百五号室本来の姿を取り戻すと同時に、アートの動きが止まった。

「あり得るはずがない・・・・・この俺が膝をつかされたなど、かつての勇者以来だ。お前は一体っ—————」

 アートの言葉は、頬に感じた些細な痛みによって遮られた。

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