第35話 責任感
バベル崩壊の翌日。
エルナスは、凍結した海上に散らばるバベルの破片を眺めながら黄昏る。
胸に抱くは、亡きフェンメルへの悲しみや、ゴッドスレイヤーが抱く志の象徴となっていたバベルが崩壊してしまったことによる罪悪感。
あの時、フェンメルの言葉を信じてしまっただけに、フェンメルは死に、生徒たちを危険に晒してしまった。
いや違う。フェンメルのせいでは決してない。全ては、己の油断が今の事態を招いているのだ。
今はひたすら自責の念に囚われる。
エルナスはただ一人寒空の下で、凍えるほどの冷風をその身に受けながらも、意識が思考の奥底に行ってしまっているため、寒さなど感じていないようだ。
「ここにいたのね」
茫然と立ち尽くすエルナスの隣へと、同じく責任を強く感じている様子のミラエラが立つ。
「最終的にバベルを木っ端微塵にしてしまったのは私よ。貴方が責任を感じる必要はないわ」
そんなミラエラの発言など聞こえていないエルナスは、ゆっくりと負の感情を言葉として露わにする。
「・・・・・私があの時、フェンメルを止めていれば、あいつは死なずに済んだかもしれない。私は、ゴッドスレイヤーという世界を守る立場でありながら、神に対する意識があまりにも甘すぎたのだっ」
その言葉には、絶望だけではない。大きく怒りの感情までもが混じり込んでいた。
「応援を呼び、非難することだってできたはずなのだ。それなのに・・・・・それなのに、フェンメルを見捨て、生徒たちを死地に追いやり、神に対する人類の象徴であるバベルまでも崩壊させてしまう結果となってしまった・・・・・どう、皆に顔向けすればいいのか分からない」
エルナスは強い女性だ。それは戦闘力の面だけでなく、精神的な面にしても。そんな彼女が初めて見せる潤んだ瞳。しかし思いとどまっているのか、あと一歩のところで涙は出ない。
ミラエラは優しくエルナスの肩に手を置く。
その姿は、事情を知らない者から見れば、子供に慰められている大人の構図である。
「悔しいのは貴方だけじゃない。私だって責任で押し潰されてしまいそう」
エルナスは下に向けていた視線をミラエラへと向ける。
「暴れたいほど、かつての出来事を忘れていた自分に腹が立ってしょうがないもの」
そうしてミラエラは、自分とユキの過去についてをエルナスへと話して聞かせた。
「なるほど、あの化け物は『コキュートス』と言うのか。それほどの化け物がバベル内に侵入していたというのに———」
エルナスは怒りで拳を震わせる。
「今の私たちがユキのことを許せないように、彼女も私のことを心から恨んでいたのよ。あの時は格下だと見下していたことは否定できないわ。その結果、彼女を侮辱する発言をしてしまったこともね。けれど、あの程度のことで、何百年も私のことを恨んでいたなんて思わなかったわ」
「どうして、忘れていたんだ?顔も、魔力の気配すらも同一なのだろ?それに、長生きしているとは思っていたが、まさかそれほどの長寿だとは思わなかった」
「言ったでしょ。私にとって、あの時のことは些細なことでしかなかったのよ。それに、ユキ・ヒイラギという名前も、知らなかったのだから仕方ないわ。けれど後悔しているわ。あの時、彼女の息の根を止めておくべきだったと」
ミラエラは今も平然と白銀色に染まった学園内で、一般生徒のように過ごしているであろうユキに向けて睨みを効かす。
「どうして、殺さなかったんだ?」
エルナスの質問には、普段のような覇気が感じられなかった。
「人間だと、思っていたのよ。だけどまさか神の遣いだなんて思わなかったわ・・・・・」
ミラエラからすれば、かつてのユキは魔力を極限まで制御していたため、力を使う際に魔力の気配がしなかったのだと勘違いをしていた。しかし、それほどの技の持ち主にしては当時のユキは弱すぎたため、違和感を感じていたが、ミラエラが強すぎたこともあり、その場ではあまり気にすることはなかったのだ。
先ほどまでは怒りで思考が狭まっていたのだが、徐々に思考の幅が広がってきたことである違和感に気がつく。
「いえ、彼女は人間なのかしら?」
「何を言ってる、あいつは神の遣いなのだろ?」
エルナスがぞんざいに言葉を言い捨てる。
「考えてみたらおかしくない?どうして人でもない存在が魔力を宿しているのかしら?まさか魔族や魔物なわけでもないでしょうし」
ミラエラの発言を聞いて、エルナスもようやく思考を巡らせることに成功したのか、顔を上げ、ミラエラの顔を見つめる。
「まさか———だが、だとすると、ユキはなぜ魔力を持っている?」
「それにね、私には彼女の名前にも違和感があるのよ。ユキ・ヒイラギ・・・・・ヒイラギ ユキ。まるで日本人のような名前だわ」
そんなミラエラの言葉に追いつかないほどの違和感を覚えるエルナス。
「ちょっと待て、日本人とは一体何だ?」
「いいえ何でもないわ。今重要なのはそこじゃないから忘れてちょうだい」
そう言われてもすぐには忘れられないが、一つのことを気にしていては会話が進まない。
「結論、ユキが人間である可能性は大きいと言えるわね」
「ああ、私にはユキの名が変わっていることくらいしか分からないが、魔力とは、魔族や魔物を除けば人の身にしか宿らないという常識がある」
つまりユキは、人類を裏切ったと言うこと。
そこにどんな事情があろうとも、決して許されることではない。
ましてやユキは——————
「もう一つ、驚かないで聞いてほしいのだけれど、十年前、人類に最悪の絶望をもたらした『ゴッドティアー』を引き起こした人物こそ、私はユキであると睨んでいるわ」
「なんだと⁉︎」
目を見開き、悲しみや怒りなど、一瞬にして吹き飛ぶほどの驚愕に襲われるエルナス。
「根拠はないけれどね」
「だとしてもだ。その可能性があるのなら、顔向けできないなどと言っている場合ではない。王へ今すぐに報告しなければ」
王とはロッドのことであり、東のゴッドスレイヤーをまとめる存在である。
「ユキが再び、侵攻を始める前に止める手立てを模索しなければなるまい。それには大勢のゴッドスレイヤーの力が必要となる」
「そうよエルナス。私たちが今すべきことは落ち込んでいることや、怒りに苛まれていることじゃない。もうすぐ訪れるだろう神の侵攻に備えることよ」
エルナスは気持ちを入れ変え、先ほどまでの様子を払拭する。
「そうだな。下を向いていては、フェンメルを含めてこれまで犠牲になっていった者たちに失礼だった。それじゃあ改めて、この現状をどうするか考えるとしようか」
エルナスはそう言いながら、白銀色に染まった景色を見渡す。
「まず考えるべきは、お前が創り出したこの白銀の景色をどうするかだが・・・・・」
エルナスに視線を向けられ、すぐさま分かりやすく視線を逸らすミラエラ。
正直、あの場で『氷界創造』を放てば周囲への被害がどうなるかは、冷静であれば正常な判断ができていた。しかしあの時は、ユーラシアの危機的状況を目の前にして、思考の判断力が一時的に鈍ってしまったのだ。
その結果が、大惨事。
一見美しい白銀世界の出来上がりだが、土地の上に成り立っていた生活は、全てが凍結されてしまった。
今、学園内にいる生徒たちは、発明科が開発した人工放火具により、魔道具に蓄えられている魔力燃料が尽きるまでは暖炉の代わりとして温まることができている。
しかし、創造された氷は一切溶ける気配を見せてはいない。
「自然解凍を待つとしたら、どのくらいの時間を要する?」
「そうね。魔力を宿しているからかなりかかるはず。何ヶ月・・・・・もしかしたら年単位の年月を要することになるかもしれないわ」
エルナスは頭を悩ませる。
今日は六月一日。長期休みまでにはまだ時間があるため、その間の授業をできなくなるのは辛い。
正直、休みの期間をずらすこともできなくはないが、その程度の期間では氷を溶かすことはできないだろう。
「そうか・・・・・それならば、かなり効率は悪くなるかもしれんが、仕方ない。予備校舎を使うとしよう」
「予備校舎?そんなものがあったのね」
「まぁな。入試の手続きの際、受付施設は王都内に設けられていただろう。実はそのすぐ近くの森に本校舎ほどではないが、予備校舎が魔法で隠されているのだ」
「へぇ、全く気が付かなかったわ」
「無理もないだろう。魔法と言っても、透明シートの役目を果たす魔道具によりその姿を隠しているだけだからな。一先ず学園内の解凍が終了するまでは、私たち含めて生徒一堂、予備校舎へと移動するとしよう」
しかしそんなエルナスの発言に、何やら物言いたげなミラエラがまたもや気まずそうな表情を浮かべている。
「どうした?ミラエラ」
「実はね、あの魔法は異次元にも干渉できる魔法なの。だからその、言いづらいのだけれど・・・・・魔力の反応からして、王都は全てが凍結していると思うわ」
そんな信じ難いミラエラの発言を受けたエルナスは、時間が止まってしまったかのように数秒の間停止する。
「—————は?え?」
あまりの桁違いの規模について行けないエルナス。
「民間人は無事なのか?」
「ええ、人は魔法の対象外にしたから誰一人として影響を受けていないわ。けれど、景色がここと全く同じようになっているわね」
最早頭を抱えるしかない。
ミラエラの強力な魔力が宿った想像を絶する規模で存在する氷など、一体どうやって溶かせばいいと言うのか?
答えなど出ないかもしれないが、エルナスは必死に脳を回転させ、思考を巡らす。
「まぁ、起きてしまったことをとやかく言っても仕方がない。それよりも、魔法陣も使えず、避難ができないとなると、解凍を何よりも優先させなければダメだな。あっ!そうだった・・・・・」
エルナスはふと何かを思い出したように目を見開く。
「それに長期の休み明けには『魔導祭』も行われる。それにあたり、コロシアムや魔導列車の準備も整えなければいけないことをすっかり忘れていた。何にせよ、解凍を優先させるしかないと言うことか・・・・・」
氷の強度を数倍にも増しているのは、間違いなくミラエラの魔力。つまり、氷を溶かすためには、第一段階として氷に宿るミラエラの魔力を取り除かなければならないのだ。
「そんな芸当、一体誰が?」
その時、エルナスはふとある出来事を思い出していた。
それは、バベル試練特訓初日の出来事と、入試での出来事。
入試では、エルナスの魔法人形たちの魔力を消し、特訓初日では、フェンメルの魔法を打ち消した。そして、バベル試練選抜試験の際にも似たような光景を見た記憶がある。
「ユーラシアはどうだ?」
「何のこと?」
「周囲に存在する氷には、お前の魔力が宿っているだろう。解凍するにも、まずは魔力をどうにかできないかと思ってな。ユーラシアならば、魔力を全て消し去ることが可能なのではないか?」
ミラエラはエルナスの考えを理解したが、その上で否定する。
「それは無理よ。どうしてかは言えないけれど、ユーラシアが持つ魔法無効化の力は、私には適用されないのよ」
「それは痛いな。頼みの綱が切れた気分だ」
しかしそれならばと、次にエルナスが提案してきたのは発明科が開発した魔力増幅具の使用。
その魔道具の効果は至って単純。ただ単に使用者の魔力を一・五倍増しにすると言うもの。
「なるほど。要するに、一部分ずつに複数の魔道具を集中させることでエネルギーの運動を狂わせ、氷内から私の魔力を追い出せると考えたわけね。けれど例えできたとして、かかる時間からあまり現実的とは言い難いわね」
「ならば、何かいいアイデアはないのか?」
「そうね。氷自体の魔力は、既に私自身から切り離されたものよ。もし切り離されてなければ、魔力制御でどうとでもできたのだけれど、難しいわね」
何としてでも、学園・コロシアムの解凍は優先させなければならなく、魔法科学科の集大成とも言える魔導列車の運行を、できれば『魔導祭』までに間に合わせてあげたい気持ちもあるので、結局は全体を解凍する結論に至る。
悩みに悩んだその時、今度こそはと、エルナスが最後のひらめきを口にする。
「ならば、アート・バートリーに頼むのはどうだ?」
「どうして彼が?」
「バベル試練選抜試験の時のことなのだが———」
エルナスは、アートが行ったことの一部始終をミラエラへと聞かせた。
「なるほどね。おそらくそれは、『モナフェス』という彼にしか扱えない魔法よ。まさか、そんなチート魔法まで取り戻していたなんて思わなかったわ。けれどあの魔法は、格下にしか通用しないはず。もし、氷に宿る魔力を消し去れるのだとしたら、彼は既に——————」
その時、突然エルナスによるストップがかけられる。
「ちょっと待て!」
「どうしたの?」
「ミラエラ、お前まさか・・・・・かつての魔王と戦ったことでもあるのか?」
エルナスが恐る恐る質問するが、ミラエラは平然とした様子で軽く答える。
「その通りよ」
「———⁉︎」
長寿だとは思っていたが、まさか人魔大戦を生きるほどの長寿だとは想像もできなかった。
ミラエラとは、想像以上に大きな存在なのかもしれない。
しかし今考えるべきはそのことではない。
「はぁ、お前には何度驚かされたことか。まぁ、とりあえず、アートが氷に宿る魔力を消せる可能性があると言うのなら、早速、掛け合って見るとしよう」
「そうね」
そうしてダメ元でアートの下へと向かう二人。
魔戦科Sクラスの寮へ着くと、その空間のみがなぜだが解凍されており、中からはアートが姿を見せた。その後、事の詳細を伝えて掛け合ってみたところ、本人からは予想外の答えが返ってきたのである。
なんと、まさかの承諾。
本人曰く、ユーラシアとの約束をミラエラのおかげで守ることができたため、そのお礼だとか。それに、ユーラシアの力を誰よりも近くで堪能できたことに上機嫌だった様子だ。
その後アートは、次元をも超えた規模での『モナフェス』を発動させ、学園が存在する空間だけでなく、ホープァル、王都の全ての氷からミラエラの魔力を消し去ったのだった。
これにより、現段階でのアートがミラエラよりも格上であることが証明された。
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