第11話 アートの正体
オッド・オスカー。彼の暴君ぶりは今に始まった話ではない。
生まれつき環境や能力に恵まれたが故に、弱者を見下す傾向が人一倍強かった。
強者には決して手を出さず、一度弱者と見下した者には決して見下されないように、まるで道端に落ちているゴミでも踏みつけるような態度を取った。言いかえれば、逆らう者など強者以外は許さない。典型的な弱い者虐め気質の持ち主。
だからこそ、始めは弱者であると見下したアート・バートリーが自分に楯突いたことが許せなかったのだ。
始めに不意を突かれたのは油断していたから・・・・・そう思い込むほどにアートへ対する怒りの感情が湧き上がっていった。
しかし真実は分かっていた。最初の一撃を受けたときからアートには勝てないのだと。弱者と誤った相手が強者であったのだと、だけど自分の間違いを認める弱者のような真似はできるはずがない。
オッドは道を誤り、二度目のアートの拳を食らった。
怒りで目の前が見えなくなった。
間違いを認めないためには何としてでも、自分がアートよりも上であると証明しなければならない。
もう、手段は選んでいられない。
気が付くと、魔戦科補欠クラス・・・・・通称Sクラスの寮の前に立っていた。
その後は感情のままにアートに対して暴言を吐き、怒りの籠った暴力をふるおうとした瞬間からオッドの記憶は途絶えている。
オッド・オスカーは、その日を境に人が変わったように大人しくなった。
その変化は親しくない者でも確実に分かるほどに、目元には黒いクマを作り、頬がこけている。精力が抜け切ったみたいに誰にも何にも反応を見せない動く屍のような風貌。
その様子は日を重ねるごとに酷くなっていった。
そしてこの時、ユーラシアのみがオッドの変化の原因について心当たりがあった。
いや、心当たりと言うほど確かなものではない。それは、もしかしたら何か関係しているかもしれないという少なからずの可能性の話。
「オッドくんがおかしくなる前、ボクが最後に彼を見たのは、寮の前で首を絞められたあの時だ。そしてボクが寮を後にした後、アートくんとオッドくんは二人きりだったはず・・・・・」
合同授業五日目、オッド・オスカーはこの世を去った。
それは五日目の合同授業が終了し、全校生徒が大食堂へと集合しようとしていた時のこと。
血相をかいた魔戦科一年の数名が大食堂に姿を現すと、突然オッドが倒れたと思いきや、地面に黒い人型のシミを残して消えたのだと言い出した。
その場は騒然となり、エルナスとミラエラはこの場を他の教師たちに任せて魔戦科の寮へと急いだ。
「これは、本当にオッド・オスカーが消えた跡で間違いないのか?自らで付けたならば魔力の気配を一切感じないため不自然極まりない」
黒い人型のシミは談話室の暖炉付近にあり、そのシミから一切の魔力を感じないことにエルナスは不気味さを覚えた。
このシミの正体が、何かを燃やした炭やインクなどで付けられたものならば魔力が感じないことへの納得もできる。
「本当なんです!本当に、いきなり苦しみ出したと思ったらその場に倒れて、そのままそのシミを残して地面の下に消えていったんです!」
しかし、これは決してイタズラなどではなく、オッドが原因であると目撃者と名乗る生徒は主張する。
どういうわけなのかは検討も付かないが、わざと寮の談話室にこんなにも不気味な黒いシミを付ける理由の方が思い当たらない。
では、このシミの正体は一体何なのか?
その答えに考えを巡らすエルナスの隣で、尋常な様子ではない驚いた表情を浮かべるミラエラの姿があった。
「尋常ではない様子だな。何か思い当たることがあるのか?」
「————えぇ、まぁ。こうなることは薄々心のどこかでは分かっていたような気がするわ。けれどまさか、こんなにも早く動き出すなんて思わなかった」
「一体何のことを言っているんだ?私にもしっかりと分かるように説明してくれ」
「魔人化。それは、成功するまでの過程には個体それぞれに異なる状態が見られるけれど、失敗した時の結果は全てが同じ。失敗=死を意味し、その者の魔力と術者の魔力の一切を消滅させるがごとく、その場から肉体が消滅する。そうして後に残るのが死した時の姿を映したドス黒いシミというわけ」
この時エルナスは、ミラエラから魔人化という言葉を聞いて、自分の判断は間違っていたのではないかという疑念に駆られた。
「魔人化というのは、いわゆる魔族が操る禁術のことだな」
「けれど魔族はかつての戦争で一人残らず滅びを迎え、そして次なる魔族が誕生するには魔人化が必要。貴方も気づいているとは思うけど、魔人化という現象が起きていること自体が魔王の復活を意味しているのよ」
エルナスは驚きの表情を浮かべない。なぜなら、魔王の転生体についての心当たりを持っているから。
「私は判断を誤ってしまったのかもしれない」
「貴方の判断が間違っていたのかは私にも分からない。ただ、ユーラシアの側に置いておくことが一番安全だと判断した結果なんでしょ?今のユーラシアは、普通の生徒の並みにも及ばないけど、少なくとも間違っていないと私は思うわ」
珍しく暗い表情を浮かべ、柄にもない弱音を吐くエルナスに対し、ミラエラなりの言葉を送った。
「バレていたのか」
「不確かだった全てのことに確信を持ったのは、オッド・オスカーの死があったからこそだけどね」
不謹慎ではあるが、オッド・オスカーの死というピースをもって、ミラエラも真に警戒する人物が誰であるか、その答えに辿り着いた。
「放っておけば、これから被害は甚大なものになるでしょうね。まずは、ユーラシアのことを守るためにも明日にでも真実を伝えてくるとするわ」
「そうだな、私の独断で決めてしまったことだが、何も知らずに奴の近くに置いておくのは危険すぎるからな」
魔人化の失敗で生じた黒いシミは、ミラエラ曰く一週間もすれば消えるとのことなので、一先ずの処置として魔法で見た目だけでも元通りの床にしておいた。
次の日の夕食前、ユーラシアは校長室へと呼び出されていた。
「とりあえず、そこに座ってもらえる?」
ユーラシアはミラエラにソファに座るよう促されると、そこら中に散らばった書類を踏まないように慎重に避けながらソファの元まで歩いていく。
「校長先生はいないみたいだね」
「ええ私だけ。エルナスは先に食堂へと向かったわ」
職員用の寮に空きがなかったため、校長室の奥にあるエルナスの部屋を魔法で拡張した場所が、今のミラエラの住む場所となっている。つまり、エルナスとの共同部屋となっているわけだ。
そして二人は案外気が合うらしく、しょっちゅう互いの意見の食い違いで揉めることはあれど、案外仲良くやっている。
「ど、どうしたの?大丈夫ミラ?」
ユーラシアの目の前に座ったミラエラの表情は、無意識に怪訝なものとなっていたらしく、とても心配そうになユーラシアが顔を覗き込んできた。
「大丈夫よ。心配させてごめんなさい」
ミラエラは深呼吸をした後、ユーラシアに竜王の生まれ変わりである真実を伝えた時と同様に真剣な面持ちとなる。
「これから話すことは、誰にも話さず、そのことをずっと意識しておいて」
「————分かった」
「単刀直入に言うわ—————アート・バートリー。彼は、魔王の生まれ変わりよ」
「・・・・・え?」
あまりにも予想外の内容。だけど自身の真実とは違い、信じられないわけではない。授業で見せる規格外の強さに、オッドの様子がおかしくなったこと。信じてしまえば全てに合点がいく。
「昨日の夜。オッド・オスカーが死んだの。みんなには今、エルナスから真相を隠した上で話をしているはずよ。彼が亡くなった形跡から、魔族の仕業だと分かったの」
ミラエラはユーラシアに昨日の現場の様子について詳細に説明をした。
「私は入学式当日の食堂での彼の発言や、純粋な力だけでのあの強さ。そして今話したことの全てを考慮して、アート・バートリーが魔王の転生体であると確信したわ」
「ボクも、ミラに話してなかったことがあるんだ」
ユーラシアは明らかに目を泳がせて動揺した様子の震えた声でゆっくりと話し出した。
「実は、オッドくんがおかしくなる前日の夜、ボクたちの寮を訪ねてきたんだけど、ボクは予定があるからって、その場をアートくんとオッドくんの二人だけにしちゃったんだ。もしあの時、ボクが目を離さなければ・・・・・オッドくんは死ななくて済んだのかな?」
「いえ、いなくて正解だったと思うわ。アート・バートリーは繰り返されるオッド・オスカーの挑発に我慢の限界が来ていたの。もし貴方が同じ場にいれば、貴方の命までも奪われていた可能性だってあるのよ。そうなれば、私は彼に復讐してたでしょうね」
そう話すミラエラの表情は、その時の光景を想像した絶望感に苛まれ、復讐の鬼と化した残酷なものなどではなく、今目の前にユーラシアが無事でいてくれることへの感謝と安心感に包まれた優しいものとなっていた。
「もしもの話だけど、ミラならアートに勝てる?」
「どうでしょうね。今の彼に対してなら勝算はあると思う。問題は、魔王の力をどこまで取り戻しているかよ。もし、半分以上の力を取り戻していたとすれば、私に勝ち目はないわね。私はかつて魔王に敗北しているのよ」
「それって、魔族と人間が戦争していた頃の話?」
「ええ、そうよ。かつて竜王に仕えていたことで天狗になっていたのね。完敗だったわ」
ユーラシアは信じられなかった。
もちろん、教会にあった本などで魔王がどれほど残虐で欲深く、そして最強であったのかを知っている。しかし、実際にこの目で見たミラエラの強さは、自分の想像していた魔王の強さをも凌駕するものに感じていた。
現実はそう甘くはない。ミラエラでさえ歯が立たない相手だと知ったユーラシアの中に、アートに対する恐怖心が芽生え始めたのだった。
「だ、だけど、アートくんはまだあまり力を取り戻していないんじゃない?」
「確かに、彼が入試も含めて、これまでの授業でもそれらしい魔法を使用したところを一度も見てないわ。だけど、力を隠している可能性も大いにあるわ。いえ、その可能性の方が高いわね」
もし力を取り戻しているのだとしたら、何のために隠しているのか。ミラエラには、一つの推測が浮かんでいた。
「アートくんがそれほど強い存在だったとして、じゃあ力を取り戻してるのに使わない理由は何?」
「————魔王はかつて、最高神という神に勇者を生み出されて敗北を味わった。考えられる理由としては、その神を今でも恐れているというところかしら。だとしても、自分の身に危険が迫ったらなりふり構わず力を使って来るでしょうね。何にせよ、私たちは迂闊に彼に刺激は与えられないということ。そして、くれぐれも正体がバレたことを悟らせないことよ」
「———分かったよ」
ユーラシアはゴクリッと、無意識の内に口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。
それから数分が経ち、張り詰めていた空気が多少ほぐれたタイミングでユーラシアが口を開いた。
「そろそろボクたちも食堂に向かおうよ」
「ええ、だけどその前に一つだけ質問させて」
ユーラシアは何の疑いも持たず、すんなりと返事をする。
「うん」
「ここ最近の夜、貴方の魔力を寮内から感じないけれど、どこで何をしているの?」
ミラエラはにこやかに笑っているが、目が明らかに笑っていない。
ユーラシアは先ほどとはまた違った底知れない寒気に襲われた。
「いや、どこにも————」
そう発した段階で言い止まる。
なぜなら、寮内にいないことがバレているのだとすると、その行き先もおそらくバレている。しかし、居残り部屋には多くの生徒の魔力の気配が充満しているため、ユーラシアが誰といるのかという詳しい情報までは掴めていないはず。
「実はさ、新しくできた友達に居残り部屋で訓練してもらってるんだよね」
決して嘘は付いていない。
「そう。その相手って、女子じゃないでしょうね?」
ちびりそうなほどに怖いミラエラの圧力に耐えながら、なんとかユーラシアは頷いた。
「それならいいわ。それじゃあ、食堂に向かいましょうか」
そうして色んな意味で食欲が湧かない状況で食堂へと向かうのだった。
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