第27話 フェンメル vs コキュートス

 フェンメルは決して死ぬつもりなどない。

 しかし、根拠のない嫌な予感がしていることもまた事実。

 皆が寝静まった深夜、フェンメルは一人、センムルたちが囚われている本当のバベルへと足を踏み入れた。

 そこは、通常であればフェンメルにとっては危険とはならない場所。しかし今は状況が違う。肌にヒシヒシと伝わってくる威圧感と、油断をすれば肉体が凍ってしまいそうなほどの冷気が空間を充満していた。

 徐々にバベルを登っていくと、押し潰されそうな威圧感と冷気の冷たさが増していく。

 センムルがいたとされる空間には、凍りついた血液と原型は既になく、無惨にえぐられた肉体の姿があった。

 それはまさしく地獄絵図であり、凍っていなければ、今頃は吐き気を催す悪臭に襲われていたことだろう。

 そうして更に上へと行く度、次第にクチャクチャといった咀嚼音が微かにフェンメルの耳に届く。

 音の下へと恐る恐る近づいていくと、そこには横たわる聖蛇とグリフォンの腸を夢中になって咀嚼する、外側が透き通った白銀色で包まれ、骨を表す部分は漆黒となっている人型の何かがいた。

「どう見ても、お前が犯人で間違いなさそうだねぇ」

 相手を威圧するような笑みを浮かべ放ったフェンメルの言葉に、ピクリッと人形の何かが反応した。

 そいつは一言も発せずにフェンメルへと表を向ける。

 人型ではあるが、中身全てが液体であるかのように流動的であり、目・鼻・口の一切が存在していない。

「ウゲェ、気味が悪いねぇ。君が一体どれくらいの強さなのかは知らないけど、ここで始末させてもらうよ」

 そう言ってフェンメルは隙のない覇気を纏い、臨戦態勢へと入る。しかし目の前の怪しげな存在は、言葉も話さなければ、何一つ反応を見せずに突っ立ったままでいる。

「オレちゃんをナメてるのかな?」

 いや違う。おそらくは、フェンメル同様にお互いの力の一切が見えていないのだ。

「まぁ関係ないか、オレちゃんの全力をもって、瞬殺してあげるよ」

 フェンメルの想像力×創造力の魔法でコマとして作り出せる存在は、フェンメルの魔力量を超えず、かつ、魔力を宿している存在。そして作り出せる存在の中で最強なのがかつて魔王に仕えていた魔人である。

 フェンメルが魔人と戦った経験はないのだが、なぜか魔人を創造できるのである。

 しかし魔人の魔力量は多いため、同時に作り出せて三、四体が限界。

「さぁ出ておいで」

 フェンメルは両の手のひらから紫がかった黒い光を生じさせると、その光が次第に生物の形を取り始める。

 そうして誕生した一人の魔人は、ダークとは名ばかりの青白い肌をした魔人 ダークエルフ。

 後の二人は、女性型の魔導師の魔人と、ミノタウロスの魔人を創造した。

 創造された魔人は、肉体的にも魔力量もその密度がとてつもなく濃く、勝利の二文字を歪ませないほどの威圧感を放っている。

 しかし、流石は四天王と言ったところだろう。完全ではないにしろ、創造した魔人が放つ魔力を最大限に制御している。

 つまり、それだけ魔人たちを思いのままに操れるということ。

「さて、オレちゃんの手足となり、ともにあいつを倒そうか」

 そう言ってフェンメルが魔人たちの手を取ると、魔人の体が漆黒に発光し、フェンメルを守る鎧となって漆黒の装備と化した。



 フェンメルの魔法は、創造した力自身を己に身につけ、矛と盾の能力上昇を促すこともできるのだ。むしろ、ただ単に創造してコマとして扱うより、己の鎧としての使い方が真骨頂である。

 


 先に攻撃を仕掛けたのはフェンメル。

 薄暗い空間の中でも、しっかりと相手の姿を捉えながら素早く距離を詰め、懐に入り込もうとした瞬間、「ヒュー」という軽やかな音が耳元で響く。

 フェンメルの視線は終始目の前の存在を捉えていた。にも関わらず、いつの間にか人型の謎の存在の両腕が、白銀一色で彩られた、大きく鋭く尖ったいくつもの岩のようなものが隙間なく接合した様へと変貌していた。


「ほんとっ、未知の力ってのは嫌になるくらいに恐怖を覚えるよ!」


 フェンメルは勢いに任せて繰り出した拳を止める様子はなく、漆黒の拳と白銀の腕が黒と白の火花を散らしてぶつかり合う。

 二人が生じさせる衝撃波は、天井と床をいとも容易く貫通させ、壁に無数のヒビを生じさせる。

 ぶつかり合った直後は両者互角であったが、散っていた花火が次第に赤く染まり始める。


「クッ!」


 白銀の棘がフェンメルのぶつかる拳へと突き刺さり、大量の血を周囲へと散らしていく。

 と同時に、衝撃波によって発生している爆風が冷気を纏い、徐々にバベルを凍結させていった。

「こりゃあ参ったねぇ〜。だけど、諦めるわけにもいかないんだわ!」

 フェンメルは、拳がえぐられようともお構いなしに、地に着く足と繰り出す拳に最大限の力を込め、己の限界以上の力をぶつけていく。

 何が何でも、目の前のこの危険極まりない存在を必ず倒すという意志を込めて・・・・・。

 そして、先ほどまでダメージを負っていたのはフェンメルだけであったが、次第に相手の白銀の腕にも亀裂が生じていく。


「ヒュオオオオオオオ!」


 謎の存在が、血液が凍りつくほど悍ましい奇声を上げた途端、白銀の腕は勢いよく砕け散った。

 しかし、同時にフェンメル自身も勢いよく背後の壁へと吹き飛ばされる。


「カハッ」


 バベルの壁は完璧に凍結されており、通常の比にならない強度と化している。

「これはいよいよまずいかな?」

 寒さのあまり痛さを感じず、全身がだんだんと麻痺していく。次第に手足の不自由さも感じ始めるという最悪の状況に。

 一方で謎の存在は、失った腕を瞬時に再生し、今では元通りとなっている。


「超速再生⁉︎ハッ、ハハッ」


 あまりの絶望的状況に、思わず笑いが込み上げて来てしまった。

「この状況でも笑っていられるとは、いささかゴッドスレイヤーというものを甘く見すぎていたようじゃな」

「誰だ⁉︎」

 謎の存在の背後から、聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。

 フェンメルは瞬時に声の方へと意識を移す。

 そしてその者の姿が見えると同時に驚愕した。


「き、君は⁉︎」


「誕生したばかりだ。今はこの程度でよいだろう。これならば、明日の方も問題はなさそうで安心した」


 フェンメルは今目の前で起きている事象を脳内で処理しきれずにいた。

 それほどに今目の前にいる存在が、なぜここにいるのかが、いくら脳を回転させようとも理解できなかったのだ。

「だが、いささか驚かされたぞ。我が愛しのコキュートスにあそこまでの傷を負わせるとは、流石は四天王の一人と言えようぞ。まぁ、どれほど足掻こうが其方程度ではこやつには勝てぬがな」

 フェンメルは、目の前の少女に向けて何かを言おうとしているが、言葉にはならない。

「わらわの名前が分からぬのか?」

 そう、フェンメルは、今目の前にいる少女の名前が思い出せないでいた。

 バベル試練の選抜者であることは瞬時に理解できた。しかし、特訓における大半の時間をユーラシアへと意識を集中させすぎてしまったため、ほとんどの生徒の名を覚えることができていなかったのだ。

「何と哀れなことよ。しかしまぁ、わらわの名前を覚えていたところで、其方がここで朽ち果てる運命に変わりはない。むしろ、其方のような小物にわらわの名前を覚えて死なれずに済むことをありがたく思うぞ」

 心底フェンメルを侮辱する少女の巧みな言動と、浮かべる蔑みの笑み。

 少女の浮かべる笑みには、慈悲の感情など一切含まれてはいない。そのことを表現するかの如く、フェンメルへ向かってゆっくりと一歩ずつ近づいていく。

 少女が歩みを進める度に聞こえてくる、コキュートスの砕け散った破片を踏みしめる音。

 その音は、静かな空間に奥深く響き渡り、耳に届く度にフェンメルは絶望感に苛まれていく。

 金属を砕くようなその音は、氷を砕く音にしては違和感がある。

 フェンメルはこの時悟った。自分が限界以上の力を込めてようやく砕いたコキュートスの破片を、目の前の少女は優雅に笑みを浮かべながら砕いている異常さを。

 少女から感じる魔力は、それほど大したものではない。

 ではなぜ、ここまでの恐怖を感じるのか?

 答えは簡単。目の前の少女は、どういうわけか魔力を宿す身でありながら、神の力を宿している者。

 原理は分からない。しかし、このコキュートスと呼んだ怪物を生み出したのは、この少女であると理解した。



「え?」



 そして理解したとほぼ同時に、フェンメルの手足は自由を失った。

 それはあまりにも一瞬の出来事であった。

 フェンメルは、頭で様々な思考を巡らせながらも、意識はしっかり目の前の少女に向けていた。

 しかし、気付かぬ合間に両手両足は幾度となく見えぬ射撃によって撃ち抜かれていた。

 歩みを進める少女は、一切怪しい動きは見せていない。その上、コキュートスも少女が現れて以降は、嘘のように大人しくなっている。

 フェンメルの体は地へと伏し、傷口を確認してみる。

 すると、小さなホクロ程度の傷跡がいくつもつけられていることに気がついた。そして、傷口から滲み出る血液と、傷口の周囲に存在する透明な水分とが混じり合い、瞬時に凍りつく。

 攻撃に移る一切の気配と動作を、四天王であるフェンメルに悟らせず、数えきれぬほどの傷を負わせて見せた。

 フェンメルは、人類において二十位以内の実力は間違いなく有している。

 ゴッドスレイヤーとは、十年前に起きた『ゴッドティアー』を除いて、数々の神からの侵攻に対抗してきた実績と実力を兼ね備えている。

 にも関わらず、ゴッドスレイヤーの四天王が手も足も出ずに、何が起きたのかさえ理解不能な敗北をきした。


「ああ、そっか。オレちゃん死ぬのか・・・・・」


 フェンメルが弱々しく発したその言葉には、怒りや悔しさと言った感情は一切見られず、ただ悲しさを含んでいるものだった。

「もう一度、心の底から守りたいと思える存在ができたっていうのに、守ってあげられなかったよ———ごめんな、ユーラシア」

 届かない、されど届けるつもりでユーラシアへと涙ではなく笑顔を浮かべる。

「後は頼んだぞ、コキュートス」

 少女は既にフェンメルへの興味を失い、背を向け階段へと歩き出した。

 そうして少女とすれ違った瞬間、コキュートスが両腕に先ほどの白銀の棘を増殖させながらフェンメルへと歩き出す。

「そうだ、最後に一ついいことを教えてあげるよ。オレちゃん実は、死なないんだよね」

「フッ何を言うか」

 呆れた表情で振り向く少女。

 少女が振り向いた時には、既にフェンメルの体はコキュートスによって凍結されていた。

「どこまでも愚かな男よな」

 フェンメルの肉体は完全に活動を停止し、氷の結晶となり砕け散った。

「ミラエラ・リンカートン。次は其方の番だ。大切な生徒を失い、わらわのことを思い出させてやるぞ」

 少女は、自身へ屈辱を与えたミラエラへ、何一つ少女の存在を覚えていないことに心底苛立ちを覚えている。

 少女は学園の生徒である。

 しかしミラエラが記憶を取り戻したところで問題はない。なぜなら、少女は人間に紛れ込んだ神の遣いであるから。そしてミラエラならば悟るはず、この少女が十年前に人類に地獄を見せた『ゴッドティアー』を引き起こした張本人であることを。

 そのため少女の正体と真実を伝えることなど、ミラエラであれ誰であれできやしない。もし、真実が広まってしまえば、世界は混乱の渦の中に呑み込まれてしまうことだろう。

 

 少女は不敵な笑みを浮かべて凍りつくバベルを後にした。

 この日、バベルは一本の氷の柱へと化したのだった。

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