第44話 ユーラシアとヴァロ

 試験三日目。

 

 ユーラシアは早朝、森の中の誰もいない空間で一人静かに「剣化の呼吸」を行っていた。

 慣れたら意識せずとも呼吸を操れるようになるのだそうが、始めはとてつもない集中力を要さなければならない。それでも、上手くいかないのが現状であった。

 剣化の呼吸は、全身への酸素供給量が足りていなく、体力の効率的活用どころか、酸欠になることも多々ある。しかし、マスターしてしまえば、極少量の空気活用だけで動くことができるようになる。つまり、以前よりも少ない体力消費で『竜王完全体』の力を振るえるようになるということ。

 そしてもう一つ問題となるのが、肉体へと被害。剣化の呼吸は、骨や肉体の細胞の隅々へと魔力を纏わせて強度を高めることもできるのだが、ユーラシアにとっては、呼吸で魔力の動きを意識することが何よりも難点であった。なぜならば、ユーラシアは『竜王』を獲得する以前や以降を見てみても、魔力に頼る形跡が一切なかったため。

 シェティーネとの特訓で身体強化魔法の効率的な魔力運用を学んだものの、今まで魔力を意識する機会が滅多になかったユーラシアにとっては、剣化の呼吸は鬼ムズ難易度なのであった。

 まぁ、無刀流を扱う上で重要となるのが、己を剣と化すこと。オータルも言っていたが、その面でユーラシアは呼吸を意識せずとも『竜王完全体』により、鉄壁の肉体は最強の盾にも矛にもなり得るのである。そのため、皆がまだ寝ているであろう早朝に呼吸法の練習をし、その後、オータル、ルイスとともに無刀流の技の修行を行うこととした。

 

「フゥ〜」

 

 まずは肺の中から空気を出す意識を集中させるユーラシア。ここでポイントとなるのが、肺の中の空気を全て抜き切ることなく、その他の肉体に含まれる空気を抜く作業へと入らなければならない。

 しかし、これが難しい。

 ユーラシアは、この時改めて自分の力に感謝したのだった。

 もし、『竜王完全体』の力を有していなければ、呼吸法のみで修行は終わってしまっていたことだろう。まぁ、これからのユーラシアにとっては、体力の効率的消費が鍵となってくるのは間違いないのだが、やはり習うというのなら、カッコいい技を学びたいと思うのは当然の心理。

 

 そんなこんなで、風で木々が靡く波のような音や、虫たちの小さな囁きを聴きながら心を落ち着かせて呼吸に集中していると、突如足音のような雑音が混じる。

 ユーラシアはゆっくりと目を開け、音のした方向へ視線を向けると、木々の間から人影のようなものが見えた。

 そしてそちらに意識を集中させると、よく見慣れたその大きな体格から、ヴァロであることがすぐに理解できた。

「ヴァロくん?」

「あ?ユーラシアじゃねぇか」

 ユーラシアの存在に気がついたヴァロは多少驚いた表情を浮かべる。

 ユーラシアがオータルに引き取られたのは知っていたが、まさか出くわすとは思っていなかったのだろう。それもこんな早朝に。

「ここで何してるの?」

「何って・・・・・虫取りだよ」

 ヴァロは嫌々そうな表情を浮かべて、そう答えた。

 虫を躊躇いなく掴んでいることからも、虫を苦手としているわけではなさそうだ。それなのに、どっと疲れたような表情を浮かべている。

「お前、虫食ったことあるか?」

 唐突に飛び出した訳のわからぬ質問に、ユーラシアは否定を示す。

「いや、ないけど」

「だよな。俺だってここに来る前まではなかったぜ」

 その言い草から、ヴァロは『剣聖村』に来てから虫を食べたことになる。それも嫌々に。

 ではなぜ、食べたくないのに食べる羽目になってしまったのか?

「もしかして、食事に出たの?」

 ユーラシアの勘は当たっていた。

 その瞬間ヴァロが、ため息を吐きながら天を仰いだのだ。

「ハァ。マジ冗談じゃ済まねぇよ!二日連続食卓に並ぶのは虫虫虫!いくら苦手じゃねぇっつってもよぉ、食いたかねぇだろ?まぁ、ちゃんとした料理も出てくるには出てくるんだが、虫のオンパレードよ」

「なるほどね。てことは、今やってる虫取りは・・・・・」

「ああ、朝食の為だよ。マジ引き取られる家間違えたぜ」

 文句を垂れながらも、次々と虫かごに捕獲した虫たちを入れていくヴァロ。

 想像しただけでも吐き気を催すユーラシアであった。

 

「とまぁ、俺の話はさておき、お前こそここで何やってんだよ?」

「ボクは、修行だよ」

「修行?ハッ、俺が虫で苦労してる間に、てめぇは更に上へ行こうってか。やってらんねぇな」

 呆れたように言葉を吐き捨てるヴァロ。

「あのさヴァロくん」

「んだよ」

「ヴァロくんは、いや、ヴァロくんだけじゃなくてシュットゥくんやレインくんも、ボクのことを嫌ってるでしょ?」

「あ?んでそうなんだよ」

「学校が再開した初日にさ、ボクがコキュートスと戦った時に見せた力のせいで喧嘩になっちゃってたから」

 ヴァロは怒るでもなく、再び呆れたようにため息をつく。

「あんまみくびんじゃねぇよ。確かに今まで見下してた奴が俺よりも強ぇなんて事実、そう簡単には受け入れられねぇし、吐き気がするくれぇ悔しい気持ちでいっぱいだ。だけど、俺が弱えばっかりに、てめぇを嫌悪するなんておかしな話だろうが。俺はそんな小せぇ男じゃねんだよ、あんまふざけたこと言ってっとぶっ飛ばすぞ」

 ユーラシアは以外に思った。

 ヴァロ・ウェールスキーという人物は、傲慢で、自分が納得できないことに関しては、とことん反抗する性格だと思っていたからだ。

 だからこそユーラシアへの怒りが収まっていないかとも思ったのだが、ユーラシアではなく自身へと怒りの矛先を向け、悔しさを認めてしまっている。

 まぁ、対抗心を燃やしているという意味では、ヴァロに対するユーラシアの認識も間違っていないとも言えるだろう。

 それでも、しっかりと理性を保ち、怒りの感情を抱いていたことが、ユーラシアにとっては以外であったのだ。

 それに、一昨日の件に関しても意外中の意外であった。

「ごめん。そうだ、一昨日は味方してくれてありがとう」

「一昨日?あぁ、あのくだんねぇ話し合いのことか。別に味方したわけじゃねぇよ。あんな嘘八百の猿芝居、見ててイラつかねぇ方がどうかしてるぜ。俺はただ、頭にきたから客観的な事実を述べただけだ。感謝される言われはねぇよ」

 ユーラシアは、ヴァロの捻くれようにクスッと笑みをこぼした。

「何がおかしんだよ?」

「ううん、ごめん。案外、ヴァロくんとは仲良くできそうだなって思ってさ」

「は?俺とお前が仲良くなんてできるわけねぇだろ!俺はお前を追い越す男だからな!」

 ヴァロは否定しつつも、恥ずかしそうに顔を背け、止まっていた昆虫採取を再開させた。

 そして、ユーラシアもそろそろオータルたちの元へ戻ろうとした時、今度はヴァロからユーラシアの名が呼ばれた。

「おい、ユーラシア。お前に一つ聞きてぇことがあんだけど」

「何?」

「今更だけどよぉ、お前って本当に魔力抑えてるとかじゃなく、今感じる魔力量が限界値なんだよな?」

「まぁ、そうだね」

「だよな。入試の時、お前それで相当目立ってたしよぉ、あん時見た魔力樹は気のせいじゃねぇってことか」

 柄にもなく、真剣に考えを巡らすヴァロ。

 無理もないだろう。今のユーラシアから感じる魔力は、小枝サイズの魔力樹から供給されているユーラシアの限界値の魔力量なのだから。

 そのちっぽけな魔力からは、想像もつかない力を発揮するユーラシアが不思議でたまらない。

「これは俺の独り言だと取ってくれて構わねぇんだが、どうしてそれほどの強さを持ってる?」

 ヴァロはユーラシアとは目を合わせずに、本当に独り言のように言葉を発した。

 ここでユーラシアが秘密を話すメリットはない。

 ましてや、自分の正体を明かすなど、ヴァロに余計な不安を与えることとなり、自分としてもデメリットになってしまう。

 しかし、ユーラシアの実力を少なからず目の当たりにした者は、ユーラシアから感じる表面上の力と、実際との力のギャップにとてつもない疑問を抱いてしまっていることだろう。

「詳しくは話せないんだけど」

 自分が竜王の生まれ変わりなどと話したら、どこから話が広まり、どこの誰がユーラシアに目をつけるのか分かったものではない。

「ボクの本来の力は訳あって、使えなくなっているんだ」

 それだけでもヴァロにとっては、衝撃的な事実であった。と同時に、今まで疑問に思っていた糸が解ける感覚がした。そのため、ヴァロは案外平然とユーラシアの言葉を受け止めた。

「肝心な部分を聞きたい気持ちもあるが、無理に聞くことはしねぇよ。ただまぁ、力が制限されてるって言うなら、感じる力と実際の力が違くても納得できるな。おおよそ、限界に晒されて、リミッターが解除されたとかそんなところだろ」

「まぁ」

 ヴァロはほんの少しだがユーラシアの秘密を知ったことで、二人の距離は以前とは目を見張るほどに縮まったのではないだろうか。

「それじゃあ、ボクは師匠たちが待ってるからもう行くね」

 そう言って再び去ろうとするユーラシアを、ヴァロは再度引き止める。

「最後に一つだけ、話しておくことがある」

 その表情は深刻であり、何かを警戒している様子であった。

「今朝、リリルナとシュットゥが人斬りに殺された」

 殺されたとは、試験における脱落を意味している。要するに、クリスタル破壊である。

「え⁉︎」

「一年はお前も無事だったから被害者はその二人だろうが、他学年からも脱落者が出たそうだぜ」

 ユーラシアが目星をつけている人斬り役は今のところブルジブとオータルの二名。

 オータルはともかく、ブルジブが犯人の可能性もあるが、真実はどちらでもないのである。

 つまりは、別の人斬りの仕業。

「まぁ、寝込みを襲われたんだろうぜ。あいつらとは家が近ぇから戦う音が聞こえりゃあ、気づかないわけがねぇからな。ただ、初日に見たような技を仕掛けられちゃあ、寝てなくとも瞬殺か」

 ダンジョン試験において、人斬り役を見つけて撃退する内容とは言っても、剣聖魔の実力は、生徒たちの想像を遥かに逸したものとなっている。倒すなんてのは現実的ではない。それほどの実力差が存在しているのだ。

「ともかくお前も気をつけろや」

 ヴァロはそう言って、虫かごと虫網を手に持って崖下へと降りていった。

「危うく忘れるところだった。そうだ、今は試験中。ボクももっと気を引き締めないと!」

 ユーラシアは自身の頬を両手で叩き、頭を整理した後、オータルたちの下へと戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る