第30話 許婚の嫉妬



「そうよ!凛麗のお父様は、この国の丞相様、あんたたちなんて簡単に処分できるんだから。

 そもそも、あんた達が下らない事を喚いて煩いから注意してあげたのでしょう。

 何あれ、ブタ語、それともサル語?

 くっさい田舎言葉なんて、夏国の後宮に持ち込まないで欲しいわ」


 長い鼻をつまみながら捲し立てる馬面女に、碧衣は胸をぐっとせり出した。


「あら、さっすが貴族のお嬢様は優れた教養をお持ちだこと。ブタやサルの会話なのに、内容をちゃあんと理解していらっしゃるのねえ。


 あ、もしかして、だから?ああ間違えた、貴女は馬語の方が得意かしら。

 でもまあ、それで注意をしたんなら、さっきのはワザとってことよね。

 さあ、さっさと尚真に謝んな」


「う、うるさいわねっ、この田舎者が!」


「ハア、もう聞き飽きたわ。田舎者、下女、サルにブタ?あんた達、悪口すらワンパターンなのよね。たまにはここ、使ってみたら?」


 トントンと人差し指で自分の頭を示した碧衣姉さんを見、馬面はあうあうと口だけを動かした。

と、碧衣の不意を突き、子豚女が掴みかかった。


「なによこの、賎しい辺境の女が」


 貴族のお嬢様の外面はどこへやら、醜く歯を剥いて突進してくる。

 驚いた碧衣が慌てて身構えると、今度は後ろから馬面が長い手を伸ばしてくる。


 おお?これはイイ展開、助太刀するぜ!


 とばかりに、ワクワク顔の小蘭が立ち上がりかけたその時だ。


「お止しなさい」

 この騒ぎにも背を向けていた真ん中の女が、優雅に振り返った。


 それは、まさに"鶴の一声"。


 慌てて手を引っ込めた二人を交互に見、女は美しい眉を僅かにしかめた。絹のような黒髪が、風もないのにサラリと揺れる。

 色白の瓜実顔に、細くつり上がった目尻は、この国の典型的な美人だ。


 だが、彼女が小蘭達を一瞥するその瞳には、明らかな険を含んでいた。


 彼女の名は、曹凛麗ツァオ・リンリー

 皇帝の直下で警務を司る国政のトップ、曹丞相の娘で____


 皇太子、蒼龍の幼いころからの、許嫁いいなずけだと言われている。


「貴女方、醜いマネは止して。こちらの品性を疑われるわ」

「で、でも凜麗様。あいつらが蒼龍様、蒼龍様ってあんまりにうるさいから」


「そうよ、特にあのチビ。ちょっと蒼龍様に気に入られたものだからって、わざと周りに吹聴してるのよ?凜麗様の気持ちも知らないでさあ」


 必死に言い訳する二人を、凜麗は無言の一瞥で制した。

 それから碧衣、尚真と順に視線を移し、最後に小蘭に目を留めた。一見無表情に見えるその瞳には、しかし燃えるような憎しみの色を湛えている。


「あなた方も」

 ふわりと裳裾を揺らしながら、小蘭に向かって一歩、歩み寄る。


「根も葉もないさえずりは止めることね。愚かな者達は、下らない嘘をすぐに信じてしまうのだから。蒼太子の名を貶めることにもなりますわ」

「下らない嘘じゃないわ。小蘭はあんたと違って、本当に太子様に愛されてるんだから。昨夜だって__」

「ち、ちょっと尚真」


 小蘭は焦った。友達とはいえ、勝手にそんなことを言いわれたくない。

 実際に、自分達の関係は、愛とか恋とかそういうものには至っていないのだから。

 ところが、小蘭が尚真を嗜める前に、凜麗がその言葉を奪い取った。


「フフッ、やっぱり。あなたたち、何も知らないのね。ちょっと構われたからっていい気になって。

 私はね、ずっと小さい頃から蒼様を知っているわ。その間、あの方にどれだけの遊び女がいたと思っているの?

 でも、私はそんなことで怒ったりはしない。だって、蒼様は皇太子。

 それも仕方のないことだわ。

 全く、これだから蛮族の娘は」


 凛麗は美しい眉をぎゅっとしかめた。

 まるで汚物を見るような眼差しに、俄に怒りが沸き起こる。


「何ですってぇ」

 小蘭が突っかかるよりはやく、すっかり頭に血が上った尚真が食って掛かった。


「なによ!成人をとっくに超えても、まだお側にも上げて貰ってないくせに。

 “許嫁”なんて言ってるけど、実は嫌われるんじゃないの?

 その点小蘭なんてね、毎夜毎夜のお渡りで、もう大変なんだから」

 

「時を待っているだけだわ!言っとくけど、凛麗くらいになると、婚姻の重みが全然違うの。どっかの、元100番目なんて女とはね」


「そうよ、どうせすぐに飽きられて、捨てられてしまうわ。ま、蒼龍様はお優しいから、兵隊の一人くらいは、あてがってくれるかもね」


「何よ、小蘭が遊び女だとでも言いたいの?」

「別に。そこまではっきりとは言わないけど。それに“小蘭”だっけ?一時は皇帝様の妾だったんでしょう?

 穢らわしい。盛りのついた犬や豚と一緒だわ」

「んだとお」


 彼女らは、いわゆる後宮の女ではない、高級官僚の娘だ。彼女らの父親の権勢順に、大きな権力を持っていて、いずれは高い身分の家に嫁いでゆく。

 後宮には、花嫁修業のために授業にだけ通っているから、彼女らの主張するとおり、誰のものでもない『清らかな乙女』だ。


 一方、諸事情で遠くから来た妃にとって、故郷に抱く想いは皆同じ。自分達の祖国を侮辱されるのは許せない。

 小蘭は奥歯をぐっと噛み締め、両の拳を握りしめた。尚真は、自分のことでもないくせに涙を浮かべて反撃した。


 「違うわ、小蘭はれっきとした、お妃様よ、遊び女なんかじゃないわ。蒼太子が皆の前で誓ったもの」


 そんな必死な尚真がいかにも面白いらしく、三人は顔を見合せてせせら笑っている。


 と_____


「ふん、ほざいてな。そのうち小蘭に子ができれば、そうも言ってられないんだから」


 それまで静かに様子を黙って見ていた碧衣が、ひどく冷めた調子で告げた。


 途端、それまで薄ら笑いを浮かべていた凛麗の表情が、凍りついた。


「ち、ちょっと碧衣」

 小蘭は慌ててそれを否定しようとした。

 が、小蘭がそれを言う前に、凛麗の腰ぎんちゃくがたちまち喚き出した。


「何言ってるの?そんな事が許されるわけないじゃない」

「そうよ、賎しい女に太子様の御子なんて、授かるわけがないでしょう?」


「あーら、知らないの?さっき習ったでしょ。陰陽風水、神羅万象の摂理よ。皇帝だろうが下女だろうが、身分が高かろうが低かろうが、男と女が交合すれば、子は授かるの。太子も皇帝も、人間の男。そんなの遥か昔から、いくつもあることだわ」


「げ、下劣なことを……黙んなさい!死刑にするわよ」

「はっ、出来るもんならやってみな。受けて立つわよ」

「何ですってぇ」


 騒ぎがすっかり大きくなってしまった。

 辺りにいた女官や宦官、私達と同じように授業に向かっていた妃達も集まってきて、我々の廻りに円をつくり始めている。


 口笛や野次の飛び交う中、小蘭と凛麗を除く舌戦はますます過熱ヒートアップしていく。


 あーもう、止めて二人とも。私はそんなのじゃないのに。

 だって蒼龍は本当は_____

 事態に流され、小蘭がただオロオロしていた時だった。


「お止めなさい」

 落ち着き払った、しかし凛とした声が辺りに響き渡った。

 声の主は、さっきからずっと黙っていた凛麗だ。四人は言い争いを止め、一斉に彼女の方を見た。

 彼女は静かにその真ん中へと歩み寄ると、取り巻きの二人を促した。


「さ、参りましょう。時刻に遅れてしまいますから」 

「で、でも」

 二人はまだ言い足りなさそうにしていたが、凛麗の顔色を見て黙ると、彼女の後に従った。

 勝ち誇る碧衣と尚真。


 ふと、凛麗が振り返った。

 そうして、小蘭に向かって凍てつく眼差しを投げつけ、一言こう言い放ったのだ。


「そんなこと_____

 絶対にさせるもんですか」


 その気迫に、小蘭の背筋に冷たいものが走った。

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