第53話 小蘭の悩み

「それでその顔、というわけですか」

「……」


「やれやれ」


 むっすりと黙り込む小蘭に、春明は溜め息を吐いた。


 小蘭は今、先生の診療所の縁側に座って、黙々と漢方の材料を選り分けている。もちろん、例の男の子の格好で、だ。

 麻袋に入ったたくさんの木の実や葉っぱ、木片を、二十以上もある小さなザルに選り分けていく作業が、手先が小さくて器用な小蘭は得意だった。

 だから春明も、無下に追い返すことはせず、小蘭は、居たいだけここに居ることが出来た。


 小蘭の不安をよそに、蒼龍が会いにこなくなることはなかった。

 ただ、ちょくちょく遊びには来ても、以前のように、寝ることはなく、食事と雑談のみで自室へと戻ってゆくようになった。


(それでも婆やは超ご機嫌だ。「ほら、言ったでしょ。やっぱり小蘭様が1番なんですって」だってさ)

 かと言って、凛麗のところに足繁く通っている風でもなく、例の鈴の音は全く聞こえてこない。

 だから、政務が忙しいというのが本当で、単にそちらに集中しているだけかも知れない。

 何でも、近頃領内の南で小さな反乱が頻発する、きなくさい動きがあるのだそう。


 小蘭自身のことを言えば、蒼龍の護りが功を奏したのか、凛麗がちょっかいをかけてくることは全くなくなった。

 外部と行き来していた頃とは違い、取り巻き達とも一線を画すことになった凛麗は、寧ろ今、後宮内では孤立していて、いつも少し寂しそうだ。


 ともかく、彼女の生活は至って平和。平和で平和で平和過ぎて、このまま何ごとも始まることなく、後宮の怠惰に呑まれたまま、死んでしまいそうだ。


 そんな閉塞感から逃げ出したくて、小蘭はつい、診療所ここにやってくる。


 黙々と作業をこなしていた小蘭が、ぽつりと漏らした。


「私だって、頭ではちゃんと分かってるつもりなの」

「え、何です。藪から棒に」


小蘭は顔を上げると、堰を切ったように話始めた。

「だって、凛麗は正妃で蒼龍は皇太子で…その、ふたりが結婚するっていうのは、そういうコトになるのが当たり前のことなんだし。

思い上がりかもだけど。

蒼龍は、私のためにプライドを曲げてまで、そうしてくれたわけで。


でも、どうしたって無理なの。身体が勝手に、蒼龍のことを拒否しちゃう。

他の女の人を触った手が、許せないなんて思ってしまう。


変だよね、玲妃様のことだって、今まではそんなこと、全然気にならなかったのに。

ね、先生。自分が自分で思い通りに動かない病気なんて、ある?」


 一息で話した小蘭に、少し驚いた様子の春明だったが、薬を砕く手を止めて、改めて小蘭に向きなおった。


「そうですねえ。蒼太子は、今でも小蘭あなたのところへ?」

「うん。いつも、窓から侵入してくるわ。ご飯食べて沢山、面白い話もしてくれる。

 でも、前みたいに泊まってはいかないわ。……私が最初に拒否したから。

 ねえ先生、私どうしたらいい?

 このままじゃ蒼龍は、ずっと凛麗のところにいっちゃう」


 あまりに無防備に、大粒の涙を溢れさせる。

 あれほど意地張りだった彼女が、蒼龍のことでなりふり構わずそんなことを言ってくるのに、春明は少なからず驚いていた。


 春明先生は、ゆっくりと立ち上がって、縁側の小蘭の横に腰掛けた。

 包の袖から、ふわりと桔梗の香りが舞う。

 白く美しい指が軽く頭に触れ、柔らかく鳶色の髪を撫でた。


「それはきっと、とても正しい感覚です。後宮ここに住む多くの妃達が少なからず抱え、にもかかわらず、この場所の異様さの中で蓋をして、いつしか失ってゆく純粋さ。

 蒼太子もきっと、そんな貴女だからこそ惹かれ、安らぎを得ているのでしょう」


「じゃあ私、このままでいいってこと?」


 碧い瞳がまっすぐに見開かれ、必死に問いかけてくる。

 この様子では、中途半端な慰めの言葉は、もはや通用しないだろう。


 暫く黙り込んでいた春明だったが、やがて、何かを決めたように、こっくり首を振った。


「それは……よくないでしょうね。

 確かに、あなたのその純粋さは、潔いし美しい。

 貴女のお父上は、胡国の王でありながら、あなたのお母様ひとりを妻に持った、清廉な方だと聞いています。

 そんな両親の下に育った貴女ならなおさら、その乙女らしい倫理感に好感を持ちます。

 でもね、それが正しく美しいものでも。

 正しさはときに、人を深く傷つけるものでもあるんです」


「確かに……蒼龍はあの時、とても寂しそうな目をしていたわ。あれは、私の態度に傷ついていた?」



「それが分かっているあなたなら、これからどうすればいいかは、私に聞かずともお分かりですね」


 小蘭が首だけを動かして返事をすると、春明はゆったりと微笑んだ。


「生理的な拒絶反応は、意思ではどうしようもありません。焦る必要はありませんから、

貴女が納得するまでじっくりと考えて」


「は……い」


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