第2話 皇帝の閨
その日、婆やはやたらと張り切って小蘭を着せ替え人形に仕立て上げた。
「いいですか小蘭様、絶対に帝に気に入られてくるのですよ。ああ、これで我が国はますます安泰。国のお父上様も鼻が高いというもの」
ほかの宮女も手伝って、散々着飾らされた小蘭は、夕刻になると宦官達に引き渡された。
「なんて……美しい、ううっ」
別れ際、感極まって泣き出す婆やには、「いってきま~す」と元気に手を振った小蘭だったが。
「ここは本当に閨なのですか」
連れてこられた部屋は、帝の寝室にしては余りに質素で、真っ白い部屋に、白い布がかかった寝台があるのみ。
迎えは
部屋に入ると雲流はすぐに、二人の部下を追い払った。薄気味悪い笑いを浮かべている。
「いいや違う、ここは検査室さ。
小娘のアレが、我らの皇帝に献上するに相応しいかを確かめるための。この俺がね、ヒヒヒッ」
「!」
言うや否や雲流は、常にない速さで小蘭を羽交いにした。そして、あろうことか着飾ったばかりの一張羅の裾を割った。
「ちょっと何するのよ、着付けが崩れちゃうじゃない!」
「暴れるんじゃないよ、クソガキが。いいんだよ、こんなモノ。どうせ着ては行けないんだから」
「な」
雲流は、生臭い息を小蘭に吹き掛けると、鼠みたいな細い手を下腹に滑り下ろした。
「ヒヒ、イヒヒ」
「やめて、私は皇帝のお妃よ!こんな事してただで済むと思ってるの」
小蘭が激しく抵抗すると、雲流はようやく手を止めた。しかし身体は離さないまま、ネズミのような顔に卑猥な笑みを浮かべている。
「何だ、何も分かっちゃねえんだなあ。その皇帝から命令されてやってんだよ、俺は。いいじゃないか、どうせこれから無茶苦茶に壊されるんだ。むしろ親切心さね、慣らしといてやろうってのは」
「な、何よそれ」
「知りたいかぁ」
「う」
雲流が小蘭の身体をベタベタ触りながら、粘っこい声を出した時だった。
「止めなさい」
静かな、しかし厳しい声が響く。
「
ふと手が緩んだ隙に、小蘭は雲流の腹を蹴り上げて、戸口に立つ男に飛び付いた。
「雲流、何をしている」
「あ、アタシはその娘を帝にお連れするように言われて…ちょっとその…具合を確かめようと」
「お前の役目は、この子を連れてくるだけのはずだよ」
「え、そうなの?だってこの人」
小蘭を脇に庇ったまま、春明先生は杖で彼の直ぐ横をぴしゃりと打った。
「ひぃっ」
「それは医者である私の仕事だ。さあ雲流、今すぐ出ここからていきなさい。でないと……」
「ひいぃ~っ」
雲流は転がるように、部屋の戸口から逃げ出した。
「さあ、もう大丈夫。怖かったでしょう」
「ありがとう、先生」
春明は寝台に小蘭を座らせ、その隣に腰かけた。
春明先生は雲流と同じ宦官だが、全然違っている。背が高く、いつも綺麗に背中を伸ばし美しい姿勢を保っている。腰まで垂らした薄茶の髪に色白の細面は、男性というよりは、麗人とでも形容すべきか。年の頃は20の後半から30の前半といったところだが、本当の年齢は誰も知らない。
何故 “先生”と呼ばれているかというと、彼が、この後宮内で唯一の医者だからだが、それだけではない。
後宮には、小蘭のような二十歳前後の娘を集め、礼儀作法や教養を身に付ける「学校」のような時間がある。
先生はそこで、詩歌(国語の授業みたいなもの)を皆に教えてくれている。
ある日突然、遠い国から連れてこられ、以来、閉じ込められっぱなしの妃達にとって、その講義を聞くのは一番の楽しみだ。
まだ恋も知らない若い妃達は、その美声が紡ぎ出す、古今東西の物語や、恋人達の交わす情熱的な愛の詩に、いつも酔いしれ胸を焦がす__
雲流が言ってたことは、残念ながら半分は本当だった。
皇帝の相手に選ばれた妃は、健康の状態や伝染す病気を持っていないかなど、あれこれ検体された末に、ようやく差し出されるのだそう。
せめてもの救いは、そのお役目が春明先生のような人だということだ。もし、雲流のようなヤツだったら、吐いてしまう。
婆やが着せてくれた一張羅は、やはり剥がされてしまった。
「あの御方は敵が多いから。妃達が、きらびやかな衣装の中に懐剣でも忍ばせてやいないかと、不安でたまらないのだよ」
すまないと侘びながら、先生は銀の装飾を外し、小蘭はとうとう下衣一枚にされてしまった。それから顔色や舌の色、全身の関節などを診られた後、先生が薄布を上に掛ける。
先生は、極めて事務的に小蘭の脚を割り開いた。下衣を捲られたのが分かると、自然に身体は強張った。
分かってはいたつもりだけど…
小蘭は小さな声で泣いた。
「ねえ、先生」
「なに?」
「私、本当は怖いの。今の皇帝は、たくさんの人を処罰した、とても恐ろしい人だと聞いたわ。これから私…どうなるの?」
「…………」
「前に、同じように寝所に呼ばれた斜向かいの
「小蘭…」
「先生、教えてよ!雲流の言ってたのは本当なの?私、これから滅茶苦茶に壊されて」
「小蘭」
春明は、静かな声で名を呼ぶと、小蘭の片手を優しく握った。
「小蘭、よく聞いて。お前は、勉強は嫌いだが賢い娘だ。国許の民や、婆や達のことをきちんと考えることができる。
いいかい?あのお方に何をされようとも、驚いたり、怖がったり、逆らってはいけないよ。
そうすれば決して、あのお方も無茶はなさらないから。
……すまないね。私の立場では、それくらいしか言えない」
先生は小さな溜め息を吐いた。
春明先生は、いつだって優しい。
いつしか小蘭は、小さな嗚咽とともに、声に出して泣いていた。
「ねえ先生、いつも先生が聞かせてくれた物語みたいな……恋や、愛っていうの。そういうの、私もしてみたかった」
「………」
それからは押し黙ったまま、診察を終えた春明は、小蘭の着衣を元に戻し、
白く細い手を差し伸べ、小蘭をそっと引き起こす。
「あの御方も罪なことをなさる。まだ蕾にもならぬ花を、手折ることもあるまいに」
小蘭が流した一条の涙を、春明はそっと拭った。
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