第25話 偽りの寵妃

《第二章》


 彼が私に口付ける。

 お前が愛しいと、熱い視線で蕩かしながら。

彼が私を抱き上げる。

お前が可愛くて堪らないと、優しい声で囁いて。

  彼の手が、私の身体を優しく撫でる。

肩から背中の曲線を、指先でそっとなぞるように。

 でもそれは夢の中でだけ。

 現実に、

 あなたが私に触れることは決してないの__


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「エー、よいかな?陰と陽はそもそも一対。

2つが交り合い、和することで初めて完全体となり…」

 今、広い後宮の中庭には、うら若き娘達が大勢集まり、頬を紅潮させながら真剣に講義を聞いている。『房中術』の授業だ。


「皇帝は陽、そなたらは陰。陽の精気は陰に流れ、陰と陽が1つになって森羅万象、すなわち完全体である御子を成し」


 うーん、ちょっと何言ってるか分かんない。

 

 もとより真面目に受ける気がない小蘭は、中央からは少し離れた、柳の影に隠れていた。

講師が見ていないのをいいことに、同じくやる気のない妃の、尚真シャンヂェン碧衣ビィイーとともにお喋りの最中だ。


 あれから3年。

 16歳だった小蘭は、19歳になった。

 "あれから"というのは、三年前に開催された武闘会のことで、夏国太子の蒼龍皇子が、囚われの妃のために大将軍を撃ち破り、彼女を皇帝から下賜された出来事のことだ。

 

 それは、前代未聞の出来事として城内外に大きく喧伝された。

 尾ひれ葉ひれに尻尾までついた二人の愛の物語は、国中の乙女の憧れだ。

 今や小蘭は、若き皇太子の寵を一身に受ける幸せな存在として、人々に認識されていた。そこにあった当人のやむ無き事情など、当然、世の人が知るはずもなく。


 ああ、しかし長閑だなぁ。


 小春日和の冬の日差しの中、小蘭は講師の目を気にするでもなく、大欠伸をかました。

 と、それを見咎めた碧衣が、キッと瞳を鋭くする。


「何よ、眠たくって仕方ないって事?」

「は?何よ突然」

「トボケんじゃないの、原因は太子様でしょ。蒼龍太子」

 彼女は小蘭より三つ年上の、南方の出のお妃様だ。浅黒い肌と切れ長の眼、そして高い上背が魅力的な姐姐おねえさんで、妃や女官の中にもファンが多い。


 何でも最近、そんな評判を聞き付けた皇帝のお手がついたとかつかないとか。そんな彼女が、目尻の涙をしきりに擦っている小蘭に意味ありげな視線を向けている。

 

「別に普通よ、何にもないって」

 気のない返事をする小蘭に、二人が揃って躙り寄る。


「嘘をおっしゃい。もったいぶらずに語んなさいよ。こんな意味分かんない講義じゃない、本物を、さ」

「そうよそうよ、私も女官たちから聞いたよ?

昨夜も…『お成り』だったんでしょ?早朝に部屋から出てきたのを見たって。ズルイわ、姐姐ねえさん、自分ばっかり」


 尚真がすかさず割って入った。

 彼女は最近ここにやってきたばかりの、十六歳で、小蘭からは年下にあたる。

 しかし、ぽっちゃりした愛敬顔に似合わず、皇帝の子を産み貧しい故郷を救おうなんて企んでいる野心家らしい(本人いわく)。

 

「小蘭」

「姐姐」

「もー、本当に何もないんだってば!」

 

 大声で喚く小蘭に、ギョッと皆が振り向いた。その真ん中で、講師の宦官が厳しい顔で睨みつける。

 三人は慌てて会話を中断し、コソコソと円の端っこに加わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る