第46話 約束のキス

 それからの小蘭は、何かと忙しかった。

 目を覚ましたというのが伝わって、見舞い客が押し寄せたからだ。


「ゴメンなさい、ゴメンなさい、私は嫌だって言ったのよ?

 でも、協力しないと、天ゞ《てんてん》ちゃんを殺すぞって脅されて……ぐすっ。

 目を離した隙に、誰かが連れて行っちゃったの!だから私、私」


 天ゞ《てんてん》ちゃんとは、尚真が国から連れてきた、獅子狗シーズークゥという種類の犬の名前だ。

 こちらに往くのが決まった時、寂しくないようにと郷里の家族が持たせてくれたのだとか。


「いいよもう。

 はじめはショックだったけど、必死で助けようとしてくれたこと、碧衣から聞いたからさ。

 こっちこそゴメン。尚真が苛められて悩んでたこと、気が付いてたのに」


「私ってば……う、うわー----んっ」


「お、落ち着いて。静かにしないと、先生に怒られちゃう」


 泣き出した尚真をどうにか宥め、追い返したと思ったら、今度は婆やがやって来た。


「どこのどいつですか。うちの小蘭様に狼藉をはたらいたのは!フフフ、ご安心を。犯人めは、必ずやこの婆やが仕留めてみせます」


 威勢が良すぎる彼女が散々息を巻き、やっと帰ってくれたところにまた、仲のいい女官や妃が束になってやって来た。


 ムカつくことには、あの雲流までが枕元に現れて、

「アタシはさあ、すぐに戻ろうとしたんだよぉ?」

などと言い訳したうえに、

「頼むよぉ。バレたらオレ、殺されっちまうぅ」

なんて懇願してきた。

 告げ口など、はなからするつもりもない小蘭だったが、安心させるのも癪なので、


「え~、どうしようかな~」

と散々不安にさせ、とりあえずの留飲を下げた。


 その後も、ひっきりなしに人が訪れ、春明が夕食を運んでくるまで延々と続いた。


 だが——


「ねえ、先生」

「何です?

 今日は疲れたでしょう。碧衣妃には、あまり人を呼ぶなと言っておいたのに」


「ううん、たくさん寝たから平気よ。

 あのさ。私が眠ってる間、蒼龍は来てくれたかな」

「気になりますか?」


「べ、別に、そういうワケじゃないんだけど、お礼くらいは言っといた方がいいと。その、助けてもらったんだしさ」 


 口ごもる小蘭を見透かすように、先生は微笑んだ。


「そう、『お礼』は大事なことですからね。安心なさい。蒼太子は、昨日も一昨日も来られて、枕元で貴女を見つめていましたから。

 ただ、今からは少し、忙しいのかもしれません」


 先生の顔が、ふと曇った。 


「何かあったの?」

「いえ、大したことではありません。

 そうそう、落ち着きのない皇子のことだ。あなたが目覚めたと聞けば、飛んできますよ。

 何なら、今すぐ伝令をやりましょうか」


「い、いいっ!大丈夫、いらないっ」

 

 揶揄う口調は、もういつもの春明と変わらない。真っ赤になって首を振った小欄を見て、彼はクスクス笑っている。


「あー、ずっと寝てたからお腹空いちゃった。いただきまーす」


 小蘭は、目の前の夕飯にがっつくことで、気恥ずかしさを誤魔化した。



 それから更に二日後。

 明日には自房へやに戻るという夜、蒼龍はやっと姿を現した。


(小蘭、小蘭)

「うん…ウルサイな……何」


(俺だよ。寝ぼけてないで、起きろって)


「う、分かったってば。まだ外は真っ暗だっていうのに……え、蒼龍?」


 何度も揺り起こされ、無理やり開いた寝ぼけ眼に、青い衣装が映った。


「蒼龍!」

 小蘭は蒲団を跳ねのけて起き上がった。


「どうしたのこんな真夜中に。どうやって、どっから入ってきたの?

 あ、火傷とかしなかった?忙しいのはもう終わったの?」


 小蘭の慌てきった様子を、蒼龍はただ黙って微笑みながら見下ろしている。


「ねえ、蒼——」


 と、朱色の格子で4つに仕切られた窓から、にわかに白い月が顔を出し、その憂いを帯びた微笑みを照らし出す。

 まるで夢幻ゆめまぼろしのような美しさに、小蘭が思わず息を止めたその刹那。


「良かった、生きてて」


 蒼龍の腕が、小蘭をふわりと包み込んだ。


“何してんのよ。離しなさいよエロ皇子!”

 普段なら、そんな悪態をついて突き放す場面。だが今宵はどうしたことか、ひとつとして声にならない。

 蒼龍は、いつになく真剣だった。


 ドクン、ドクン。


 重なり合った胸の音が、同調シンクロしてさらに大きく振れている。

 二人はしばらくそのままでいた。


 やがて蒼龍は、ゆっくりと小欄の身体を離すと、顎についと指をかけ、おもむろに口を塞いだ。

 柔らかに唇をつつきながら、啄むように軽く合わせる。

 「蒼——」

 「よかった、本当に_」


 普段ならそこで終わる口づけ。だが、今夜、蒼龍はさらに唇を開かせて、深く口づけた。蒼龍は、再び小蘭を愛おしそうに包み込むと、何度も囁きかけながら、熱い接吻キスを繰り返した。

 それは、いつものふざけ合いのような「おやすみのキス」とは違う、恋人同士のキス。あたかも三年前、初めて出会った夜に、蒼龍が自分を黎妃様と間違えてしたような。

 でもこれは、黎妃の身代わりにではなく、確か小蘭自身にくれたものだ。

 最初のうちはぎこちなく、頑なだった小蘭も、いつしかそれをうっとりと、夢中になって受け入れていた。


 嬉しいと思った。

 でもなんて、甘くて切なくて、そして哀しいんだろう。

 

 そんな二人の姿を、淡く白い月光が柔らかに照らし出す___


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