第47話 切ない報せ

 長い口づけを終え、惜しむように緩やかに唇同士が離れてゆく。

 二人を繋ぐ銀の糸が月明かりに光った。

 小蘭はうっとりと、甘い余韻に浸りながら、彼の懷に抱きすくめられたままでいる。

 ポツリと、蒼龍が言った。


「小蘭を護りきれなかったな」

「ううん、ちゃんと助けてもらったよ」


「怖い思いをさせてしまった」

「そりゃあ、ちょっとは怖かったけど。蒼龍のせいじゃない、私が油断してただけだわ。来てくれて、嬉しかった。

 ありがとう」


 さっきのキスと、今夜のお月様のお陰かもしれない。いつも照れ臭くて言えない言葉が、今夜はやけにスラスラ言える。


 思いきって顔を上げると、彼もまた照れ臭そうに笑っている。


「なんだか私、蒼龍に助けられてばっかり」

「ふふっ、確かにそうかもな。だだ」


「「そのピンチの元凶も、いつも蒼龍(俺)なんだけど」」

 声が重なり、二人は顔を見合わせて笑った。


それからはまた、いつもの調子に戻っていった。

 碧衣姉さんや尚真のこと、新たな春明先生の秘密まで、ここで寝かされている間に、溜まりに溜まったムダ話を、延々とした。

 話が一段落すると、小腹を空かせていた蒼龍は、見舞い品に手を突っ込むと、すぐに食べられそうな物を探した。

 聞けばようやく仕事が一段落し、そのままここへ直行したのだという。


「へえ、やっぱり忙しいんだ。春明先生が言ってた。火事の後片付けか何か?」

「ううん、別件。うわ固っ、何だこれ」


 冷えきった蒸かし饅頭に悪態をつきながらも、それをひと口で平らげるお行儀の悪さは、とても皇子とは思えない。

 枕元の水を渡してやると、彼は一気に飲み干した。


「ああ、やっと落ち着いた。三日間拘束されっぱなしだったからな」

「それが今の仕事なの?」


「まあ、そんなとこ」


 彼の表情がふと翳った。

 その翳が、昼間見た春明先生に似ている。蒼龍は、一体何をしてるんだろう。

聞いてみたい気もするが、何となく聞くのが怖い。

 思いあぐねていたところ、


「そうだ」

 蒼龍は、急に思い出したように、懐から何か取り出した。


「これ。君に渡すつもりで持って来たんだ」

「わあ」


 彼が開けた掌を見、私は思わず声を上げた。

 そこに載っていたのは、キラキラと光る金細工の首飾り。中心に、大きな黒曜石オニキスが嵌められている。

 

 まじまじとそれを眺める小蘭に、彼は言った。


「昔、生みの母が使っていたものなんだと。高価なものではないようだが」

「あ」


 蒼龍の母親といえば、異国から、皇后様と一緒に嫁いできたというお妃様。若き日の現皇帝と、戦場を共にし、皇帝を庇って命を落としたという女戦士。

 ということは、形見、ではないのだろうか。


「いいの?お母様の形見を、私なんかに」

「"私なんかって"なんだよ。君だから持ってて欲しいんだ。

てか俺、母さん死んでるって話、したことあったっけ?」

「あ、いやその」


 いけない、これは皇后様とのオフレコ話だった。しかし蒼龍は、さほど気にも留めない様子で続けた。


「俺は母の顔すら覚えてないから、あんまり実感はないんだが、今の皇后ははが、持っておけって。っつっても、俺に使い途はないしな。

 魔よけ効果もあるみたいだから、小蘭に持っていて欲しいんだ。ほら、君トラブルに巻き込まれやすいだろ。まじないみたいなもん?」


 蒼龍の掌から、小蘭は丁寧にそれをつまみ上げると、自分の手に載せ変えた。


「キレイ」


 白い月光を映して煌めいている黒曜石は、艶やかに光る蒼龍の黒髪によく似ている。


「大事にする、ありがとう」

「良かった。さて、これで用事は済んだし。そろそろ帰らなくちゃ」

「もう帰っちゃうの?」


「ああ。さすがに深夜だし、明日も早いから。

小蘭」


 腰を上げたかに見えた彼は、再び小蘭を覆うように抱きしめた。

 かなりの力で、今にも押し倒しそうな勢いで凭れかかってくる蒼龍に、小蘭は焦った。


 これってやっぱり……そういう流れ、だよね。


「待って蒼龍、ここは先生の病室で、隣には先生が寝ていて」


 自分を覆う大きな体躯を、必死で押し戻そうとする小蘭を、蒼龍はぎゅうっと抱きしめ、右の耳に口を寄せた。


「ごめん小蘭。やっぱり黙っておけない。これからしばらくの間、君に逢いにいけなくなる」

「え」


 間違えた。己の勘違いに顔をまっ赤にした小蘭を、蒼龍はそっと引き離した。

 怖いほど真剣な眼差しでみつめられ、小蘭は、ようやくそれが良くない報せなのだと理解わかった。


「何かあった?」


 小蘭の問いに、彼はすぐには答えない。

 だだ悲しそうに、小蘭を見つめ続けるばかり。

 さっきまで煌々と光を投げていた月は、いまや雲に隠れ、不穏な蔭を落とし始めた。


 やがて彼は、意を決して、重々しく口をひらいた。


「凛麗を__正妃に迎えることにした。

これからすぐに、正式に婚礼の儀を執り行う。

今回の事を丸く収めるには__


それしかない」


 しばらく、時がとまったように、二人とも動かなかった。


 小蘭は、とっさに何と答えていいのか分からなかった。さっきようやく想いが通じ合ったばかりだというのに。


 何故?どうして?

 喚いてみたい気もするが、その理由は自ずと理解わかったから、余計に何も言えなくなった。

 私のせいだ。

 蒼龍の心は何も変わってなどいない、さっきくれたキスだって、機嫌を取るための言い訳じゃない。

 蒼龍は屈せざるを得なかった。凶事から私を護るために。

 己の意志を奪われることは、彼にとって、とても屈辱的なもの。

 だというのに、今も変わらず深紫の瞳は澄んでいて、小蘭は泣きそうになってしまった。


 心を決めた小蘭は、彼に強く頷いた。


「うん、分かった。蒼龍を信じるわ。そのかわり…」


 小蘭は、少しはにかんだ。これを言うのはかなり恥ずかしい。


「さっきのやつ、もう一回欲しい」


「え……

どうしたんだよ__」


 思い切って、唇を寄せた小蘭に、彼は一瞬、目を見開いた。

 が、すぐに意を図し、そのリードを奪っていく。


 二度目の口づけは、一度目のそれよりずっと優しくて。

 小蘭は泣きいくらい切なくなった。


 ああ、なんでバカな私。今更になって、ようやく素直になれるなんて。

 でも、今言えなければ、二度と伝えられない気がする。


 唇は合わせたままで、小欄は、囁くようにそれを告げた。


(蒼龍、私ね、蒼龍のことが)


____大好き。


 その声が、きちんと伝わったかどうかは定かではないが。


 "ありがとう"

 小欄には、彼の唇がそう動いた気がした。

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