第59話 会いたい

「ここを通ること、まかりならん!」


 門前で、小蘭は文字通りに門前払いを食らわされた。


「退いてよ!私は蒼龍に会わなくっちゃいけないの」

「ガッハッハ。たまに居るのだ、こういう奴が。いいか、お前のようなチビっ娘に、皇太子様はお会いにならん!」


「失礼ね、誰がちびっよ!

 まあいいわ。聞いて驚け!実は私、あの、“蒼龍皇子のなんちゃって寵姫”で有名な、小蘭シャオランよ。

 分かったらさっさと、そこを退くがよい!

 ヲーッホホホホッ」


 さっきまで一緒にいた凛麗をイメージしてやってみるも、二人の門番は顔を見合わせて嗤い出した。


「あ、ははははは、あはははははっ、あーっはっははぁっ」

「ち、ちょっと笑い過ぎでしょ、あんた達」


 駄目だ、埒が開かない。

 小蘭は、門前で仁王立ちのまま、大笑いしている門番の隙を突いて、足の間を素早くすり抜けようとしたが、今度は首根っこを掴まれ、放り投げられた。


 尻もちをつきながら、小蘭は小さな拳を振り上げる。


「ちょっと、いい加減にして。こんなことしてただで済むと思ってんの!?」

「アッハッハ。

 いいかチビっ娘。俺たちはな、その蒼龍太子にここを任されてるんだ。

 たとえアンタが本当に皇太子様のお妃…プッ、だったにしろ、お母上だったにしろ。


 何人たりとも、ここを通すわけにはいかん!」


 うう、何て忠義がんこな兵士達だろ。

 しょぼくれて肩を落としつつ、次に小蘭は春明の診療室へと向かった。


 困った時の春明先生頼みだ。

 彼ならば、きっと何とかしてくれる。


「せんせ」


 居ない。

 春明もどこかへ出かけているらしく、診療所も今日は空だった。


「酷いよ先生……」

 小蘭は八つ当たり気味に呟いた。

 先生からあんな話を聞いた後だったから、余計に、小蘭の心は不安と焦燥に支配されていた。

 何か、嫌な感じがしてならない。いてもたっても居られない。


 凛麗の手前、口には出さなかったが、小蘭の脳裏には、単に“戦”というより、もっと恐ろしい考えが浮かんでいた。


 もしも、皇后様の懸念のとおり、曹丞相が王家の簒奪を企んでいるとしたら?

 もっとも邪魔な蒼龍を総大将に引っ張り出すことが、罠だったら?


 そこは戦場。先生が言ったとおり、何かあってもおかしくない。

 敵に負けることはないとしても、味方郡に暗殺者を潜ませることくらい、曹丞相にはわけないはず。王宮でやれば嫌疑がかかるが、敵地であれば言い訳は成る。


 彼の狙いが、蒼龍の不慮の死による禅譲、

 すなわち王家の交代だったなら___


 そこまで妄想を膨らませ、小蘭は強く首を振った。こんなのは杞憂、疑心暗鬼に過ぎない。


 蒼龍に会いたい。早く会って、彼の口から確かめたい。


 それから、

 それから。


 今度こそ、自分の想いをちゃんと伝えたい。


 貴方が好きだと。

 例え貴方がいつどこで、誰を愛していようとも、一緒にいたいと。


 身体にもよおす嫌悪の情は、すっかり消え去っていた。


 しかし。

 あくる日もそのあくる日も、蒼龍は小蘭を訪れなかった。

 凛麗の話だと、彼の出立までもう半月もない。

 もしかして、自分には何も告げず、征くつもりなのだろうか。

 先生と奥様のように、もう二度と会えなくなるかも知れないのに。

 しかも彼が、「私に拒絶されている」と思ったままで。


 そう考えると、不安に押しつぶされそうだった。不思議なことに、春明先生もあれからずっと診療室には居ない。

 もしかすると、彼もまたお医者様として従軍するのかも知れない。


 自分はもう、ここでじっとしているしかないのだろうか。それこそ凛麗のように、彼が会いに来てくれるのをただ待って。

 そんなの、


「そんなのは嫌!」


 小蘭は再び門へと向かった。二の轍は踏まない。

 今回は入念に変装を施した。例の、男の子の格好だ。

 待ってて、蒼龍今行くから。待ってなくても行くけどね。



 三日後━━━

「はなせよ、離しなさい、離してったら!」

「ガーッハッハッ、懲りねえなあ、お嬢ちゃんも」


 小蘭は、いまだに後宮からの脱出を図っていた。

 泣きつき、恫喝、色仕掛け(?)...あらゆる作戦を試した。

 だがその度に、忠義者の門番二人が、仁王様のように小蘭の前に立ちはだかる。

 小蘭は彼らの前に座り込み、哀切を込めて訴えた。


「ねえ、お願い。通してよ。戦、もうすぐ始まっちゃうんでしょ?別に後宮ここから逃げようなんて思ってないからさ。

 戦の前に、蒼龍に会いたいだけなのよ」


 二人が顔を見合わせた。困ったように眉を下げる。


「まあ、何つーかよ、お前さんがそうまでして会いたいって気持ちは分らんでもないんだが」

「だったら」


「でもよ俺達、その蒼太子様に念押しされてんのよ。ここはだあれも、特に、金色の髪の小さい娘は、絶対通しちゃなんねえって」

「そんな……!」


 ふたりの兵士は、気の毒そうに首を横に振った。ガックリと肩の力を落とし、小蘭は自らの房に向かっていた。


 金の髪の娘なんて、後宮には私か黎妃様くらいしかいないじゃない。黎妃様が脱走なんて考えるわけないから、彼は、私を名指しで「出すな」と言ったことになる。


 そんなに、私に会いたくないの?

 私があれだけ拒絶したせいで、もう嫌になっちゃった?


 決意が、遅すぎたのだろうか。

 ぐるぐると考えを巡らせながら歩いていた小蘭は、いつしか、自分のへやとはまるで見当違いのところに来ていた。


 ふと顔をあげると、目の端に、見覚えのある老人がひょこひょこ動く姿が見える。


 ああ、ここは。

 小蘭は、懐かしい気持ちでいっぱいになった。

 そういえば、すっかり忘れていた。ここは、蒼龍に出会ったばかりの夜に、逃げ込んだ馬小屋だ。

 冷たく沈んでいた心に、ほんの少し暖かみが差した。


 皇帝おとうさんのお妃様に夜這いをかけるだなんて。思えばあいつ、出会った時から無茶苦茶だった。


 って、それをいうなら私もか。後宮から脱け出してでも、蒼龍かれに逢いに行こうだなんて。

 

 どことなく、可笑しみが湧いてきた。

 そうだ、初めて会った時から、私達の間に遠慮なんてなかった。


 蒼龍は、私の本性を誰より知っている。

 皇帝に捕まった時も、火事の時も、ずっとずっと私を守ってくれてきたじゃない。

 嫌いになっただなんて、どうして思ったんだろう。

 過去の行動パターンから考えたら、むしろ、「危険に近づけたくないため」

なんじゃないの?


 元気になると、考え方がポジティブになる。

 いいことを考えた。あのお爺ちゃんの目を盗んで馬を一頭奪い、例の巨漢門番達を蹴り倒していくってのはどうだろう。

 騎馬民族の出身の私は、乗馬にかなり自信がある。確か、右から2番目の列に色艶のいい赤馬がいた。

 あのコを奪い、人が居ない林内のルートを抜けて、最後の直線を全速力で駆け抜ければ、あるいは……


 そこまで考えて、小蘭は首を振った。

 やはりダメだ、ここは後宮。

 私が成功したら、あの律儀な門番おっちゃん達は、「太子の特命に背いた」として、処罰を受けてしまうだろう。

 馬屋番のおじいちゃんもだ。管理する馬を奪われれば、その責を受けることになるだろう。

 やっぱり、待つことしかできないのかな...


 そうだ!

 見つめる先の景色に入ったあるものを見、小蘭は、ひとつ思いついた。


 もしかして、これならいけるかも知れない。

 いや、蒼龍かれなら、きっとそうだ、間違いない。


 だって、蒼龍が私を知っているように、私もまた、あんたのことをよく知っているんだから。


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