第58話 戦の噂

「じゃあ凛麗。私たち、一時休戦てことでいいよね?」

「わ、私は別にあなたと諍いなんて⋯⋯」


「もう、いいからそういう建前。そっちから腹割ってきたんでしょ?

 私たちだって、縁あって一緒にこんなところ居るわけだし、いがみ合っていても時間の無駄だわ。

 まあ、うまくやるためにはさ、仲良くやってかないと、ってこと。

 はい」


 小蘭は、凛麗に向かって右手を差し出した。


「それは」


「分からない? 一旦仲直りしよってことよ」

「う、うん」


 おずおずと差し出された右手を、小蘭はぎゅっと握りしめた。

 その握手の、もうひとつの意味を胸に秘めて。


 “これからは、あなたと私は対等よ”

 これは、改めての宣戦布告。


 手を離した凛麗は、ようやく少し微笑みを見せた。

 不覚にも、それを美しいと感じてしまった自分が恥ずかしくて、小蘭もまた照れ笑った。


 餌を諦めた緋鯉たちが、群れになって池の中を回遊している。

 池の真ん中には、人が造った丸い小島。

 そこへかけられた飾り橋の欄干に腰かけて、小蘭と凛麗は暫し女子トークに興じた。


 凛麗も、立場を外れれば若い娘だ。同年代の娘との会話に飢えていたようで、まるで、今までのわだかまりなど嘘のように、よく喋り、そして笑った。


 話の途中で、凛麗がふと顔を曇らせた。


「でも、やはり不安だわ」

「何が?」


「何がって、貴女知らないの?

半月の後には戦が、大規模な南征が始まるというのに」


「ああ、皆噂してるよね。半年くらいかかる大遠征になるらしいって。

 確かに不安だけど、まさか都まで敵が来ることはないんじゃない?」


 のほほんと答えた小蘭に、凛麗は目を見開いた。


「まあ貴女、何も聞かされていないの?

 って、そうよね。これは機密事項だもの。決して漏らしてはいけない……側妃に言うわけないわよね。仕方ないことだわ」


「今回の遠征が、蒼龍に何か関係あるってこと?」


 凛麗は、ちらちらと辺りを見回すと、小蘭を柳の木陰に引っ張った。


「いいこと?これは誰にも言っては駄目。言えば貴女か、貴女の側近の首が飛ぶわよ。

 今回の戦の総大将は、蒼様よ」


「うそ!」


 だってそんなこと、蒼龍は一言も言わなかった。確かに最近、ずっと忙しそうだったけど、一昨日会った時にすら、いつもと変わらなかったのに。

 小蘭は思わず大きな声を出していた。


「なら、蒼龍も戦に出るの?

いつもみたいに、ここの護りじゃなくて?!」


「し!言ったはずよ、漏らせば首が跳ね飛ぶと。

 後宮ここには、どこに耳があるか分からないのだから。


 ええ、今回の遠征は、先の即位も見越してと、曹丞相おとうはまが、蒼様を総大将に据えられた。曹家じっかの伝手よ、間違いないわ」


「そんな」


「だから余計によ、私がこんなに焦っていたのは。

 小蘭に請うてでも、蒼様のお心を探りたかったのは、それを知ってしまったから。

 いくら大軍とはいえ、半年も戦場に向かわれるなど、万一蒼様に何かあったら、私……」


 そんな、そんなのってないわ!

 凛麗と別れた後、小蘭は、後宮の唯一の出入口である『 延禧宮門』に向かって走り出していた。


 せっかく、ようやく覚悟を決めようとしていたところだったのに...!

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