第49話 黎妃と小蘭

 俺は、もう次の段階に進まなくてはならない。


 小蘭。

 はじめのうちは、一風変わった変な娘だと、ただ面白がっていた。

 やっかい事に巻き込んだ責任から、思いのほか、長い時間を一緒に過ごすことになったが……

 当初の俺は、早いうちに小蘭を後宮から出してやるつもりだった。

 野生の小鳥のような、彼女の自由さが好きだった。

 小蘭のような女を閉じ込める後宮というシステムに、抗う気持ちもあった。


 だが、同時に俺は、彼女をずっと自分の手元に置いておきたいとも思った。

 生意気で照れ屋な彼女をからかって、可愛がって困らせて、しばらく楽しく過ごすのも一興だと思った。

 俺の周りに、そんな女は稀有だったから。


 でも、最初に彼女を訪れた夜、彼女は俺を拒絶した。

 彼女が俺を憎からず思っているのは態度でわかったから、そのつもりだった俺はショックを受けたが……

 彼女はまだ幼かった。体格差がある俺に本能的な恐怖を感じていた。

 

 だから、思い直した。怖がる彼女を無理やりにどうにかしたくはない。

 焦る必要はないと思った。そういったことがいずれは何とかなるものだと経験上知っていたし、一緒に居るだけで十分に楽しかったから。


 そうこうしているうちに、一年が経ち二年が経ち。


 父が急速に老い、カリスマ的な求心力を失うにつれ、俺を取り巻く環境は複雑さを増していった。

 俺を祀り上げようとする皇后ははや忠臣の期待、俺を自己勢力に取り込もうとする連中、現政権に不満を持つ勢力からの攻撃、常に器を測ろうとする重臣ども。

 そういった重圧に苦しむ俺には、小欄と供に過ごす時が唯一の癒しとなった。


 小蘭の野放図さは、それらとは正反対の、どこまでも拡がる北の大地の草原を思わせたから。

 気がつくと、なくてはならない存在に変わっていた。


 途端に、俺は厄介な2つのジレンマを抱えることになった。

 ひとつめ。

 当初の頃とは打って変わって、俺は彼女を手放したくなくなった。

 すると、熱情の赴くままにその身体を征服して、自分だけのものにしたい。そんな欲望が俺の中に滾るようになった。


 だが俺は、三年前の事件をきっかけに、何が何でも皇帝になると決めた。

 攫われた黎妃に、処刑されかけた小蘭。

 目の前の敵から逃げるより、むしろ皇帝として実権を握り、理不尽を変えるのが筋だと思った。

 だが、それは修羅の道だ。

 恐ろしい陰謀や権謀術数に、否が応でも巻き込まれる。子でも孕めば尚更だ。俺は、小欄を危険な目に遭わせたくない。

 今なら間に合う。俺の認める男と、幸せな婚姻を結ばせてやることも、後宮から出してやることも。

 理性ではそう思いつつも、本能が彼女を手放したがらない。危険な目に遭わせようとも、側に置きたい。


 解き放ちたい、でも手放せない。

 ジレンマを抱えたまま、俺は結局、小欄を宙ぶらりんの状態で留め置いてきた。


 二つ目は、黎妃レイラのことだ。

 三年前、皇帝おやじの閨に忍び込んだあの夜、俺は皇位を捨てて黎妃を連れ、城を去るつもりでいた。市井に紛れ、二人で暮らそうと本気で考えていた。

 だが、そこには黎妃でなく小欄がいた。

 後で英春明から聞いて知った。黎妃が俺が来ることを知り、わざとそれを回避したのだと。

 俺は、胸を搔きむしりたくなるような激情に駆られた。

 恥ずかしさや悔しさ、裏切られた怒りと苦しさ、そんなものが胸のうちで混ざり合った。


 その時は黙ったが、今でも俺はそれを信じられないでいる。

 俺の知るレイラはそんな娘じゃない。

 あの子は、今でもずっと泣いている。 暗い部屋に閉じ籠められて、はやく自分を救い出してと、どうして来てくれないのかと、俺を責め、待ち続けている。


 彼女がもし、俺の助けを望んでいたとしたら?

 そのまま小蘭との仲を深めてしまえば、俺は、か弱い黎妃あのこを見捨てたことになる。

 一生護ると決めたあの子を。

 だから知りたい、本当の心を。もう一度会って話をしたい。

 黎妃きみは本当に、もう俺を必要としていないのか。

 

 今のところ俺は、態度を180度変え、大人達のいいなりに動いていている。

 おかげ様で評価は爆上がり、当然といえば当然だ。

 俺は今、大人どもの望む、素直で従順な100点満点の皇太子を演じているのだから。

 日和ったのではない、目標がある。俺はこれから、大人どもの目を欺き、時間をかけてまつりごとを掌握する。

 そうして皇帝になった暁に、下らないしきたりを撤廃して必要な決まり事つくり、弱き者を援けて本当の意味で護る。


 そんなことを考えながら。

 今夜も俺は、人形のように美しい花嫁に、悲しい顔をさせている————

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