第11話 君を賜る

「降ろして、ちゃんと自分で歩けるから!」


自分を縦に抱き直し、そのまま歩き出そうとした蒼龍の腕から、小蘭はもがき出るようにして飛び降りた。


「なんだよ、楽でいいだろ?

この国じゃあ、高貴な姫君は自分の足で外なんか出歩かない。そのために、わざと足を小さくしてる妃達だっているんだぞ」

「何よそれ、つまらないわ。高貴じゃなくて結構。私、動くのだーい好き」

「ははは、違いないな。その発想は嫌いじゃない」


あっけらかんと笑う蒼龍を、小蘭は上目に睨んだ。


「蒼龍のバカ。何であんな意地悪するの?普通に声かけてくれたらいいじゃない」

「だって、声をかけようとしたら、君が俺の悪口言ってるからさ。

人が折角、君の助命策を段取りしてきたってのによ」

「え…ほんとに!?」


「ああ。それで春明のところに行こうとしてたんだ。そしたら、薬壺を抱えた君が李園ここに入っていくのが見えたってわけ」

「へーえ、よく私だって分かったね。みんな気が付かなかったのに」

「え?どっからどう見ても小蘭だったぞ。

隠れてるもんだとばかり思ってたのに、堂々と歩いてるからびっくりした」

「えー、そう...この変装、結構イケてると思ってたんだけどな。

ま、いいや。それよりさ、一体どんな作戦なの、早く教えてよ」


「まあ、続きは春明んとこでゆっくり話すよ。

さ、早く診療所に戻ろうぜ。貸せよ、せめてそれくらいは持ってやる」


蒼龍は、小蘭から薬壺を奪うと、さっさと先に立って歩き出した。小蘭は急いでその後に続く。

「いいじゃない、ね、先生より先に教えて。せめてヒントを」

「何よケチ、私のことなのに」

「お楽しみは、後にとっとくほうがいいだろ?」


蒼龍は楽しそうに笑うばかりで、小蘭がしつこく尋ねても何も教えてはくれなかった。

そうしているうちに、目前に春明先生のいおりが見えてきた。二人の姿に気が付いた春明が、小蘭に声を掛ける。


「おや孩子、随分と時間が掛かったね…と、これはこれは蒼太子」


縁側に小さな乳鉢をたくさん並べ、調剤の最中だった春明は、それを横に寄せながら、小蘭に茶の用意を促した。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「で、策とは」

「…はふ《さく》?」

よほどお腹を空かせていたのか、点心の焼売を2個も3個も頬張っていた蒼龍は、とぼけたような返事をした。


点心おやつを漁りに来たわけではないのでしょう」

「はは《ああ》、ふへふほほひゅうだ(意味不明)」


「あっ、それは私の!」

「ふるへっ《うるせ》」


蒸器むしきの中を全て平らげ、さらに小蘭の分まで奪って、蒼龍はようやく満腹したらしい。腹を摩りながら、のんびりと茶をすすっている。


「ふう、ご馳走さま」

「くそお…」


大事にキープしていた点心を奪われ、恨めしそうに蒼龍を睨む小蘭の横で、春明が改めて蒼龍に問うた。


「やっとお腹が落ち着いたようですね。では本題に入りましょうか。

改めて訊ねます。

蒼太子は、小蘭をどうするつもりですか」


「うん」


一つ頷くと、蒼龍はひどく真面目な顔つきをした。


「娶る」


え?


一瞬、時が止まったような沈黙が流れた。


ポカンと口を開け、固まっている小蘭に代わり、先に反応を示したのは春明だ。


「そ、それはまた」


春明の冷俐な眼差しが、少しだけ大きく見開いている。


「よく分からない策ですね…一体、どういうことなんです」


「ああ、詳しく説明するとな。

あの後、戻ってすぐに俺、親父に掛け合ったんだよ。

『拐った娘が可愛くていけない。

さる所に隠し、夜毎可愛がっているが、どうにも離れがたい。

向こうも俺が愛しくて堪らないと言っている。

言うことを何でも聞くから、ひとつ俺に譲ってくれないか』、と」

「ほほう」


「夜毎...可愛がる...」

小蘭はまだ固まったままで、ブツブツと何か繰り返している。


「俺が余りにしつこいから、皇帝あいつも嫌気が差したんだろ、

『そこまで言うならくれてやろう』ってさ。

結構大変だったんだせ?親父の気に入るように、朝礼にも遅刻せず街へも繰り出さずに、日々を真面目に過ごし、良い子ちゃんを演じて」


「ち、ちょっと待って!!」


ようやく頭が回りだしたようで、小蘭が大声を張り上げた。


「さっきの作り話にも、ツッコミどころは山ほどあるけど.....『娶る』って何。

私と蒼龍、結婚しちゃうってこと?」


「勿論そのつもりだ。何か問題があるか?」


彼は不思議そうに首を傾げた。


「あ、ある。あるわ、大ありよ!

だって、蒼龍のいう娶るっていうのは、私を、自分の「妾妃」にするって事よね?

つまり、それって子を儲ける目的のためなわけで…その…そういうのは…好きなひととするものでしょ?その」


しどろもどろに俯く小蘭に、蒼龍は快活に笑った。

「アッハッハ、いいじゃないか別に。俺、君が嫌いじゃないし、何なら”好き”の部類だ。俺はまだ、一度も妻を娶ったことがないから、君は自然と第一夫人。どうだ悪くない話だろ。

そもそも、君が助かる道はこれしかないんだし」


「それはそれは!またとない好条件じゃないですか」

間髪入れずに、春明が横から口を出した。


「で、でも私、結婚とか、まだそういうのは...」

「はい?何か問題があります?人質目的とはいえ、そもそも貴女は皇帝の妾妃。そういう意味で、「結婚」は既にしているのです。

皇帝の妾から、太子の妾に変わるだけで、何が変わるとも思えませんが」


「あ、...そっか」


「そーそ。それによ、七十の親父の世は、せいぜい後十年前後だが、その跡継ぎは俺。順当にいけば、その治世はずっと長い。

未来を買えば、俺の方が断然お買い得、子でも産めば、後宮では大出世だ」


「なるほどね…じゃなくて!…えっと」


だって、蒼龍は今でも黎妃様の事を...

先程の李園でのことが、小蘭の脳裏をふと掠めた。

そういえば、蒼龍はなぜあそこを通りかかったんだろう。会ってからは、どことなく私を早くあそこから遠ざけようとしていた気もするし。


胸の奥が小さく疼く。


と、さっきまで一緒になって笑っていた先生がやけに真面目な顔つきで訊ねた。


「そういえば、小蘭は、さっきからやけに「妾妃のお努め」を意識しているようですね。

それはもしや、相手が蒼太子だから?」

「ばっ、ち、違う!別にそんなんじゃないから!...ん?」


よく見ると、二人は腹を抱えながら笑いを噛み殺している。


悔しい、からかわれたんだ!


ドンッ。

小蘭は、乱暴に椅子に腰掛けた。


「分かった、分かったわよ。なるわ、蒼龍のお妃様に。

別に、なりたくてなるんじゃないけど?

何せ、死ぬよりマシだもんね。私は既にバツイチなんだし、そうよ、所属が変わるだけ…変わるだけ。

変わ…」


『小蘭...愛してる』

『蒼龍、私だって』


「あー、違う!だからそうじゃなくて」

突如沸き起こった恥ずかしい妄想を、小蘭が慌ててかき消していると、それを見透かしたように蒼龍が艶っぽい視線を寄越してきた。


「安心しろよ、小蘭妃シャオランフェイ。俺は皇帝じしいよりずっと優しいし、アイツよりずっと上手いぞ」

「はっ…はい?」

「こらこら、太子。いい加減に揶揄うのはやめてあげなさい。

おや、小蘭、随分と熱そうですね。林檎みたいに顔がまっ赤ですが、熱でもあるのかな」


「■☆☆★★☆③&△☆④◈!!」


汚い俗語スラングを吐きながら、メチャクチャに蒼龍に掴みかかった小蘭。

その攻撃を笑いながら打ち返していた彼が、ふと思い付いたように言った。



「あ、でもさ。この話、実はひとつ条件があるんだ」

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