第16話 企み

 青龍に追い返された小蘭は、一人でへやに向かっていた。


 トン、トン、タンッ。


 庭石を三つずつ、軽やかに飛び越えてゆく。


 死刑かそれとも結婚か。いよいよ明日、自身の命運が決まる。

 全く怖くないと言えば嘘になるが、不思議と不安はなかった。認めてしまうのは癪だが、蒼龍は強い。春明先生の言う通り、滅多なことでは敗けないだろう。


 それに、小蘭の心の中で確実に何かが変わり始めていた。例えば死の一方の選択枝、蒼龍との婚姻を受け入れる気持ち___


 って、何考えてんの?

 仮にそうなったとして、これは形だけの婚姻。口では際どい冗談ことばかり言うけれど、蒼龍だって本気で私を妃にしようと思ってる訳じゃない。

 ただ、責任を感じで仕方なく、きっと。そうに決まってる……


 ため息をひとつ吐き、小蘭は再び慌て出す。


 だから、何でここでため息が出るのよ。まるで、私が残念がってるみたいじゃない。

 もう、蒼龍のバカ。あんたが変なことばかり言うせいで、私まで変になっちゃって。

 あーーーもうっ!


 小蘭が頭の中で自問自答しつつ、一人で身悶えしていたところ。


(ちょっと。小蘭、小蘭)

 どこからか、小声で自分を呼ぶ声がした。


 見れば、少し先の東屋あずまやの影から、紫の袖がちらちら見える。


 誰?


 手招きに吊られ、朱塗りの柱に小走りに回り込んだ小蘭は、声の主を見て顔をしかめた。


「お前、雲流ユンル

「よう、久しぶりだなあ小蘭」


 忘れもしない。

 初夜の儀の時、自身の特権と称して、小蘭を騙してしようとしたとんでもないヤツ、宦官の雲流ユンルだ。

 妙なつくり笑顔を浮かべる雲流の横を、めいっぱい無視して通り過ぎようとした小蘭だったが、奴は、その袖をぎゅっと掴んで引き止めた。


「ま、待てよ小蘭、待ってったら。

あん時ゃ悪かったよ、アタシぁ本当に、反省してるんだから」

「離してよ、急いでるんだから」


 鼠のような萎びた手を袖を振って引き剥がし、通りすぎようとした小蘭の前に、彼はしつこく回り込んだ。


「連れないこというなよな。お前は知らねえだろうけど、もしお前が皇子の妃にでもなったらよ、その一言でアタシ達ぁ、とんでもなく酷え目に遭わされちまうんだ。

 耳を毟られ目を潰されて、挙げ句にブタの餌にされっちまう」


 もじもじと手遊びをしつつ、彼はうつむいた。


「俺達みてえな宦官ってよう、家が貧しかったりで、食い詰めて後宮ここに来てんだ。

 まだガキの頃に、大事なアレをちょんぎって。

 知ってるか?施術の後は、三日三晩生死をさまようんだぜえ。

 俺と同じ筵に寝かされてた奴なんか、朝起きたら死んじまっててさ」


 鼻を赤くしてすすり上げる雲流。

 これはきっと、自分と蒼龍との噂を聞きつけてのことだろう。

 魂胆はわかっていても、小蘭の心は揺さぶられた。


「雲流、私はそんなことしない⋯」

 小蘭が、彼の震える肩に手を伸ばした時だった。雲流は、小蘭の片腕を自分の側へグッと引いた。


「な、何をするの!」

「イヒヒ、悪く思うなよぉ」


 小蘭は、一瞬にして雲流に羽交いにされてた。

 小男の宦官の割に、その膂力はちゃんと成人男子のそれだ。有らん限りの力で手足をばたつかせても、女の力でそれを解くことはできなかった。

 暴れる小蘭に苦労しながらも、雲流は湿った布を懐から取り出して、小蘭の口に当てようとする。


 ひどい匂いは、痺れ薬にちがいない。

 ぐうっと首を伸ばして布を遠ざける小蘭に、彼はキイッと高い声を上げた。


「くそっ、手間かけさせんじゃないよ小娘!ホラ、あんた達も手伝って」

 彼の掛け声で、東屋から数人の宦官がわっと現れる。彼らは小蘭の体に纏わり着いて、手や足を押さえつけた。


「く、お前達、こんなことして……蒼龍が何て言うと」

 ギロリと後ろを睨み付けるも、雲流はさも可笑しそうに顔を歪ませた。


「おやまあ、何も知らないで皇子のご寵愛を嵩に着て。お前はほんとに、おめでたいなあ」


「な、それはどういう意味…ぐっ」


 彼は言葉を返すかわりに、小蘭の口に布をしっかり当て込んだ。


 苦しい。

 たちまち辺りの景色がぐるぐる回り始める。

目の前が墨が降りたように暗く、視界が狭まってゆく。

 立っていることも出来ず、小蘭はたちまちその場に崩れ落ちた。



「ふふっ、あたし達にさえ同情をくれる、お人好しのあんたにゃ悪いが。これも…皇帝ホァンシャンのご命令なんでな」


 皇帝……


 小蘭の薄れゆく感覚の中で、雲流の勝ち誇った声だけが聞こえた____

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る