第31話 高嶺の花 凛麗

 あの女が、蒼龍様の嫡子を生むですって?


 後宮での授業を終え、自宅に戻った凛麗は、ひとり奥歯を噛みしめていた。

 この因縁は、三年前に蒼様が、婚約者の私に断りもなく小蘭あのおんなを妃に上げたことにある。


 あの御前試合は、お父様とともに特別にしつらえられた観客席で、見ていたが、

覇帝様のご高説では、小蘭あいつが蒼様を誘惑したというではないか。

そんな淫売のために、命がけの死闘まで演じ、妃にまで上げてしまうなんて、気まぐれとはいえ、赦せない。

 しかもそれを、戒律に厳しい皇后様までが認めるとは!


 無論私は、お父様を通じて皇室に抗議した。

 皇族の嫡子が正妃も娶らないうちに、側妃を置くなどもってのほか。側妃とは原則、正妃が子を成さない場合の借り腹として在るものだ。

だから私は、彼女を娶るのであれば、私との婚儀を進めるようにと、父に注進してもらった。

 なのにこの三年間、それは一向に進まぬまま。皇后様も、こればかりは蒼龍次第などとはぐらかして_____


 そうこう言っているうちに、私ももう二十二の歳になってしまった。

 これ以上は待てない。頭の弱い宮女達に「行き遅れ」などと陰で噂されていることも知っている。もっとも、そのうちの何人かを見せしめにして以来、表立っての噂はなくなったけれど。


 蒼龍様はいつもそう。

 阿児こどものように我儘で、やたらと周囲に逆らいたがる。

昔はもっと聡明で、美しい少年だったのに。


 そもそも、あのお方が変わってしまわれたのは、黎貴妃様のことがきっかけだった。異国の、下賤の身でありながら、その美貌で蒼龍様に取り入り、挙句に皇帝の第二王妃まで昇りつめた女。

 天使のように清らかな妃だと聞くが、一体どこまでが本当なのか。

それ以来、蒼龍様はことごとく宮廷の権威に逆らう愚か者に変わってしまわれた。

 そう、あれは天使ではなく魔性なのだ。

 小蘭を蒼様が奪ったのは、皇帝へのあてつけにちがいない。あの小蘭が、黎妃と同郷で、似た髪と目をしていたから。

 私との婚姻を進めないのも同じこと、私が、皇帝ちちおやの定めた相手だからだ。あの田舎娘たちが言っていたように、蒼様が私を嫌っているのではない。


 だって、私達は幼馴染だもの。

 出会ったのは、私達がまだずっと幼い頃。

 初めて彼に逢った時、乳母と教育係のじいやに連れられた幼い蒼龍様は、私を見てにっこりと笑った。

 「君、凛麗リンリィっていうの?よろしく、僕は蒼龍だ」

 利発そうなお顔で、私にほほ笑みかけ、握手の手を差し出した。


 隣にいた父上がかがみこんで、私の耳にそっとささやいた。

 "凛麗や、お前は大きくなったら、あのお方の花嫁になるんだよ?"

 その日から私の運命は定まったの。


 当時は私も幼かった。あなたが好きだと言った女の頭に、毒毛虫を被らせたり、私が手を振ったのに気が付かなかったことが悔しくて、数か月間無視したり、私を放って学友と遊びに行ってしまった時には、父上にお願いして、その一家ごと田舎に追いやる、そんなささいな意地悪はしたけれど。

 でもそれは、無邪気なやきもち、幼い寂しさからしてしまったことだ。

その度、蒼龍様は悲しい顔で「なぜ」と聞いてきたけれど…

利発な方だもの。今ならもう、その理由は解っているはず。


 勿論、今はもう、そんな下らないことはしない。

 きちんと分別をわきまえ、正妃として蒼様をお支えする自信がある。

 どれだけ派手に酒家楼閣で遊ぼうと、どれだけ多くの側女を娶ろうと、あの小蘭の存在でさえ、私は赦して差し上げる。

 黎妃だの小蘭だのといったって所詮は側妃、正妃は私ただひとりだもの。


 そもそも皆、本当の蒼様をご存じないのだわ。

 あのお方はすごい野心家。父王の上にいくことを誰より望んでいらっしゃる。どれだけ嫌っていても実はそっくり、御父上とよく似ていらっしゃる。

 旺盛な意欲で周りを巻き込み、己の信条を頑固に曲げず、すべてに逆らう唯我独尊。

 父親以上の大きな国を作り、父親を超えた治世を行うのがあの方の大望。

 だからこそ、蒼様には我が父の権力と人脈と、美貌と知性を兼ね添えた私が必要なの。

 なのに何よ、あんな女のために、死闘なんて演じないで。

 どこにでもいるような、平凡で並みの女のために。


 それでも、蒼様は仕方がない。お父様にお気に入りの女を奪われて、ムキになっているだけ。

 やはり赦せないのはあの娘。

 皆の前で蒼様に抱き上げられた時の、あの得意げな顔といったら!


 蒼様が、あの女の部屋に入り浸っているですって?おおいやだ、自分の室に殿方を連れ込むだなんて、どんな神経をしているのだろう。文明もない北方民族では、そんな下品なことを常日頃やっているのかしら。

 蒼龍様を汚染するのなら、いっそあの時蠆盆に堕ち、蛇蠍に食われてしまえばよかったものを!


 まさか、小欄あのおんなが嫡子を生むですって?

 それだけはあってはならないこと。

 いくら心の広い私でも、それだけは絶対に赦さない。


 分からせてあげる。

 あなたがただの遊び女に過ぎないということを。

 軽い扱いだからこそ、寝取られ、見世物にされた挙句、仕方なく貰われたのだということを。


 凛麗は、再び奥歯を噛みしめた。

 いつしか口の端から、一条の血が滴っている。


小蘭、許さないわ__

二番目、三番目ならまだ赦す。バカ女が生んだ子など、城の兵士にでもするといい。でも摘子はだめ。嫡子を生むのは絶対に正妃わたくしでなくてはならないの。


蒼龍様、我儘を赦すのもここまでよ。

解らせてあげる、すべてがあなたの思いの通りにはいかないということを__

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