第7話 思い出

 夜が更け、ふたりを探す足音や声もとうに止んでいた。

 小蘭と蒼龍は、並んで敷藁の寝台ベッドに伏している。休めとは言われたものの、小蘭の目はすっかり冴えてしまっていた。


 厩番のお爺さんの管理がいいのか、敷藁はよく乾いた匂いがする。それは、小蘭に遠い故郷を思い起こさせた。


「私、七人兄妹の末娘でさ」

「へえ」

 小蘭の声に、蒼龍の瞼がピクリと動く。


「うちって、国とは言ってもこことは全然違って、見渡す限りの草原なの。私達、遊牧の民の暮らしは、馬を駆って羊を追うこと。

 父はいくつかある族長のひとりで、その中から選ばれた代表に過ぎなかった。

 みんな貧しかったから、王族とはいえ隔たりはない。私もまた、皆と同じように草原くさっぱらに放り投げられて育ったの」


「どうりて男勝りなわけだ」

「まあね。私はどっちかっていうと “元気がいい” ほうで、二つ上の六番目の兄ちゃんとつるんで、悪戯わるさばかりしてた。

 五番目の兄ちゃんも似たようなもので、頭のいい四番目の兄ちゃんが子守り役。

 いっつも叱られててさ」


「随分と楽しそうだな。父にはあれだけ妃がいるのに、俺は一人っ子だからな」

「うん、すごく楽しかったよ。で、やり過ぎちゃった日はね、兄ちゃんと馬小屋に隠れてた。

 時にはそのまま眠っちゃったりして。ほら、あっちは年中寒いでしょ。ちょうど今みたいな感じ」


 ああ、そういえば__

 小蘭は既視感を覚えていた。


 蒼龍は、お兄ちゃんと少し似ている。

 顔も背も私とソックリだった兄ちゃんとは、背格好は違うけど、雰囲気っていうのかな。

 そうか、だから太子とか言われてもピンとこないし、何か親近感があるんだわ。


「わはっ」

 そう思うと急に嬉しくなって、小蘭は、蒼龍の胸に飛び込んだ。


「お、おい!急に何するんだよ」

「いいじゃない、寒いんだもん」


 思わず身を引く蒼龍に、小蘭は甘えたように、ぎゅうっと身体を押し付ける。

「ま、まあ確かに。そういえばちょっと寒いかな、ウン」


 何度か躊躇った後に、蒼龍はぎこちなく小蘭の肩を引き寄せた。その顔を見て、小蘭は小さく笑った。照れ方や仕草まで、お兄ちゃんとそっくりだ。

 きまり悪そうに大きな身体を揺する姿が、ちょっとだけ可愛いと思った。


「そういえばさ」

「ん?」

 小蘭は、むっくり首をもたげ、間近に顔の蒼龍を見た。


「蒼龍はあの時、私の事を黎妃レイヒって呼んだよね?もしかして “あの” 黎妃様?」

「え」


 まだモゾモゾしていた蒼龍が、ふとその動きを止めた。視線が忽ち宙を彷う。


「だってあの時、蒼龍は『私を忘れたか』 みたいに言ってたよね。黎妃様とお知り合いなの?」


 後宮内で『黎妃』といえばただ一人。

 今、皇帝の最も厚い寵を受け、一番の権勢を誇る妃の名前だ。

 小蘭と同じ、辺境の出身なのに、宮内では三番目に偉い「貴妃」の座についている。それなのに、身分の低い者にも分け隔てなく優しい、後宮の女達の憧れ的な存在だ。


「ま、まあ、いいじゃないかそれは。

 それより小蘭、今はもっと重要な問題がある」


 彼は強引に会話を打ち切ると、急に真剣な顔をした。


「いいか?ほとぼりが冷めるまで、しばらくの間小蘭は身を隠さなくちゃならないが、潜伏先としてここは不向きだ」

「あ」

「この厩の爺さんは、古くからの知り合いだし、説き伏せられる自信もあるが…

いかんせん耄碌もうろくしていて、見つかる可能性も大きい。

 小蘭、どこかにあてはないか?」


 会話をはぐらかされた気がしなくもないが、いつまでもここには居られないのは、確かに大問題だった。


「そんなこと言ったって」


 小蘭はこっちへ来てからというもの、後宮内を出たことがない。

知っているとすれば……


小蘭はパッと顔を上げた。


「春明先生がいい!先生なら、きっと分かって下さるわ」

「春明…う~ん、それって、英春明インチュンミンか?」


 何故か苦い顔をする蒼龍に、小蘭は押して頼んだ。


「そうよ。大丈夫、先生は話せば分かる方だから。いたいけな私を、兵士に差し出したりなんてしないわ」

「煩いんだよな、あいつは」


 蒼龍も春明とは顔見知りらしかった。


「まあ仕方ないか。それはその線でいくとして…そろそろ休むぞ。夜が明けるまでにここを脱出して、英春明に話をつけなきゃならない。

 おやすみ、小蘭」


 そう言うと彼は目を閉じて、早々と高鼾いびきをかきはじめた。


「おやすみ、蒼龍」


 高窓から覗いた月が、蒼龍の寝顔を柔らかい光で照らし出す。

 眠れない小蘭は、隣にあるその寝顔をじっと見た。こうしてみると、本当に綺麗な顔をしてる。

 そのうちに寝息が、規則正しく変わってきた。

 すう……


 静間の中、優しい時が流れてゆく。人肌の温かさが心地よい。そろそろ、眠たくなってきた。


「フワッ」

 欠伸を一つ。 


そういえば。

夢と現の狭間に、小蘭の心は再び北の大地に帰っていた__


 あの頃の私は、本当にお兄ちゃんが大好きで、“大きくなったら、お兄ちゃんと結婚する”って思ってた。


だから、

『知ってるか小蘭。兄妹って、結婚は出来ないんだぞ』

 あれを兄から言われた時はものすごく悲しくて、悔しさのあまり、腕に思いっきり噛み付いたんだっけ。(あの傷は全治三ヶ月だった)


 この安心感と、暖かさ。

 やっぱり蒼龍は、お兄ちゃんによく似ている。


トクン、トクン。


 蒼龍の胸の内から、規則正しい鼓動が響いてくる。


 トクトクトク。


少し早いリズムを刻むのは、小蘭の鼓動。


 ホッとする気持ちとドキドキする気持ち、相反する二つが一緒になってやってくる。


 この気持ちを

 一体何て言うんだろう___

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