14

 夫婦は使用人に資料を探しに行かせると、俺に俺を見つけるまでの話をしてくれた。銀狼隊の活用を耳にする中で、ジェイドと同じ外見をしている俺を知った。最初は似ているだけの赤の他人と思い、心の中で応援だけをしていた。もしジェイドが今も生きていれば同じ年齢になっていた、と。そんな中老夫婦の興味は更に俺へと増し、情報を集める中で基地前で捨てられた孤児だと知った。置かれた日が誘拐された日からさほど変わらず、老夫婦は確信した。その後ギールと連絡を取り、調査を深める中で事実だと判明した。

 老爺が俺の顔を覗いた。当主に見つめられ、俺は居心地が悪かった。今にも狩られそうな、威厳という物を見た。だが、次の瞬間に老爺は笑みを作った。満面の笑みではないが、目の奥に優しさが広がっていた。

「わしとジェスに良く似ている。よくここまで頑張ってきてくれたな。生きていて有難う。お前の顔が見えただけでも、わしらは心の底から嬉しいのだ。わしは何もウェルヴィスを強制するつもりはない。そう現当主として誓おう。すくすくと生き、これからも幸せになって欲しい。素敵な相手も見つけたようだし、頼りないわしらよりも良いだろう。ゼド・クロスネフとしてでも良い。たまにで良いからこれからも顔を見せてくれ」

 俺は目元を押さながら、前屈みになった。こんな俺でも認めてもらえたことが何よりも嬉しかった。言葉が胸の空いていたピースに嵌り、本当の俺の両親なのだと気付けた。ジェイド・ウェルヴィスとして生きなければならないのだろうか、という不安が一気に解消された。ただ素敵な相手はもうこの世にいない、と伝えることは出来なかった。嬉しさと悲しさに満たされ、俺は鼻水を吸った。今日はやけに花粉が多いようだった。

「こらこら、そんなに泣かなくても良いだろう。折角の顔が台無しになっているぞ」

 と、父親は歯を見せながら笑みを見せた。

 何だ。当主として格好付けているだけで、本当はこんなにも面白く人間味があるではないか。すっかり騙されたと思った。俺は顔を上げると笑いながら、父親に言い返した。

「泣かせたのは誰ですか、父さん? 最初から私のせいではないですよ」

 父親は目を丸くしてから、恥ずかしそうに口元を押さえた。

「わしを父と認めてくれるんだな、息子よ。有難う」

 俺は何も言わずに父親と笑みを交わした。言葉がなくても伝わるのだった。だが、その静寂を邪魔するように、ティーカップが音を立てて置かれた。老婆はまだ納得出来ないようだった。そうだった。老婆は何度も俺を本名で呼び続けた。俺がそうでしかないように。一方で父親は一度もその名を使わなかった。老婆は俺と父親を悔しそうに睨む付けた。

「何故ですの、アーグス? やっと見つけたジェイドを何でそんなすぐに、手放そうとするのですか? ジェイドが帰って来れば、何の不自由なく暮らせると言うのに。それを勝手に手放させるのですか? ゼド・クロスネフではなくて、私の可愛いジェイド・ウェルヴィスなのですよ」

 と、嫌がるように頭を左右に振った。

 父親は諭すように冷たい視線を老婆に送った。

「それはお前の自己満足でしかない、ジェス。お前はゼドを縛って苦しめたいのか? お前はゼドの苦しみも葛藤も理解しようとしたか? お前はゼドをお前の操り人形にしたいだけだ。お前はゼドの好き嫌いも趣味も知らない。ゼドが戦場で命を懸けて戦っていた時に、わしらはぬくぬくと苦労もせずに生きてきた。ゼドが何よりも大切にしている、銀狼隊から引き離せばそれはもう親失格だ。無理矢理価値観を押し付けてどうなる? 誰も幸せにならないぞ。お前はそれほどゼドと共にいたくないのか?」

 老婆は室内に味方を求めるように全員に視線を送った。縋るような目をされたが、俺は無視した。老婆は指で遊ぶと指に爪を立てた。苦しいのだろう。だが、それは些細な苦しみでしかない。やはり父親の言うことは正しかった。俺が何かを言う前に、俺の気持ちの全てを老婆に代弁した。

「いたいですよ。……ただウェルヴィス家を守らないといけないじゃないですか」

 間違ったことは言っていないと確かめるように、老婆は父親に視線を送った。父親は呆れて物が言えないようだった。額に手を当てると息を吐いた。

「お前はゼドを見ているようで、ゼドを見ていない。ウェルヴィス家のジェイドしか見えていない。家のことなど分家に任せば良いだろう。それほど分家が嫌なのか? ……もう良い。頭を冷やして来なさい、ジェス。今のお前はゼドを傷付けることしか出来ない。お前には失望したぞ、ジェス」

 父親がそう言うと老婆は抜け殻になったように、ふらりと立ち上がった。一気に年が老けたように見え、目の焦点が合わないまま使用人に連れられて部屋から去った。俺は父親は愛せたが、老婆はどうも駄目だった。父親は再度溜め息をしてから、俺の目を見て謝罪した。

「済まない、ゼド。普段はもう少しましなのだ。だが、やっと息子を見つけられた、とはしゃぎ過ぎて周りが見えていないようだ」

 俺は静かに頭を横に振った。

「父さん。貴方の謝罪は不要ですよ。貴方は一つも悪くないのですから、謝らないで下さい。私が悪人みたいに感じてしまいますし」

「これは失敬。……ただこれでは後継者問題もきっちり解決しないといけないな。もしゼド、お前に迷惑がかかることになれば、わしは後悔しても後悔し切れなくなるだろう。最悪、ジェスとの関係も考え直す必要があるな」

 父親の最後の一言に俺は苦笑いをした。それほど大事かは分からなかったが、気遣ってもらっていると分かった。それに部外者の俺が、この家の問題にい首を突っ込む訳にはいなかった。後継者についても俺がいないこととして、分家の者をそのまま据え置いてくれたら良かった。扉を叩く音がして、何やら古びた冊子を持った使用人が現れた。父親はそれを手に取ると、俺に渡した。

「昔の地図と近辺の情報を集めた物らしい。役立てるか分からないが……」

「わざわざ有難う御座います」

 と、俺は感謝を述べながら受け取った。

 たった今倉庫の奥から取り出したようで、埃臭かった。表面は一通り拭かれていたが、どうしても急いでいたようで完璧ではないようだ。俺は出そうになるくしゃみを我慢した。中を一枚ずつ捲り、俺は懐かしい名前に口角を上げた。まさかシルヴィスの姓を見るとは思わなかった。俺が知らぬ内に実は近くに住んでいたのか。遠くにいたと思われたセインが、一気に俺の元に近付いた。触ることは出来ないとしても、必ず側にいるのだった。ただ俺ではこれ以上知ることが出来ない。集めることも出来ない。後はギールに頼るしかなかった。俺は冊子を閉じると父親を見た。

「これを持って帰っても良いですか?」

 父親は頷いた。

「どうぞ。返却はいつまでも良いから、納得するまで調べてくれ」

 俺は父親の言葉を聞いて、有り難く借りることにした。再度扉が叩く音がし、メヴィスが姿を現した。

「お時間です、ゼド様」

 俺は懐中時計を取り出して、時間を見た。約束の時間に帰るには、もうすぐ出発する必要があった。ギールはわざわざメヴィスにも釘を差していたようで、何とも用意周到であった。俺が集中し過ぎて、時間を忘れると思ったのだろうか。それとも俺が隊に戻れなくなることを恐れたのか。昨晩まで熱を出していたことを俺は思い出した。

「本日は有難う御座います、父さん」

 俺は立ち上がると父親と握手した。何よりも頼り甲斐のある力強い手だった。ゴツゴツしていたが、その手だけで俺を安心させた。この人は俺の父親だった。父親は油断している俺の手を引っ張ると、倒れかかった俺を抱擁した。やり過ぎたと思ったようで背中を擦ってくれた。何よりも温かった。いつまでもその温もりに浸りたかった。

「体調には気を付けなさい、ゼド。後、メヴィスとは仲良く出来ているようでほっとした。何かあったらすぐにメヴィスを頼りなさい。お前は自慢の息子だ。これからどのような人生の選択を取ろうと、私は常に応援している。父親として認めてくれて、本当に有難う」

「有難う御座います、父さん」

 と、俺は父親に自ら腕を回した。

「では」

 俺はそう言うとメヴィスに案内されて、部屋から退出した。さようならは言いたくなかった。長い廊下を通ると、車に乗り込んだ。帰りはメヴィスの計らいによるものか、静かに屋敷から出ることが出来た。

「本日はいかがでしたか、ゼド様?」

 メヴィスは車を走らせながら、俺に聞いた。窓に頬杖を突きながら、外を眺めていた俺は答えた。

「楽しかった。これが家族というものなのだな」

 と、俺は胸に先程までの温もりをまだ感じていた。

「それは良かったです。旦那様はお優しい方ですから。……実は孤児だった私を拾ってくれたのも、旦那様だったのです。今は隠居した身ですが、ギルターの名字を授かり、若い頃から家族のように接していただきました」

 メヴィスの方を見れば笑みを浮かべながら、俺と目を合わせた。俺は摩訶不思議だと思った。俺は家族がいるのに孤児だと思い込んできた。メヴィスは最初から孤児であったが、家族のような人達を見つけた。俺は家族がいる身として申し訳なくなった。

「済まない、メヴィス」

 メヴィスは慌てるように首を振った。

「いえいえ、そう言う意味ではありません。ゼド様、私は私の息子シリゼスが次期当主として、貴方に仕えすることをお伝えしたかっただけです。まだ若輩者では御座いますが、どうかよろしくお願いします」

「……仕える? 俺はウェルヴィス家の人間になるつもりはないぞ」

 と、俺はすぐに反論した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る