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 そんな愉快な日々が愉快な仲間と続くと思った。思っていた。いや、俺は思ってしまっていた。戦場でそんな「絶対」など必ずないことを忘れていた。我々銀狼隊は誰も仲間を失うことなく、戦い続けていた。だからだろうか、副隊長であるにも関わらず俺は油断していた。セインが死んだのは俺のせいだった。亡くなった時のことはもう思い出したくもない。あの辛い思いはもう二度としたくない。死は一瞬だった。彼は俺の側から消えた。なんとも呆気なく、俺がそれを覚悟する間もなく、腕の中から消えた。砂となり、流れ落ちるように。砂となった彼を俺は必死に掻き集めようとした。だが、手が届くことはなかった。

 俺が敵を討てれば良かった。討てればどれほど報われ、彼の無念を晴らすことが出来ただろうか。だが、それは不可能だった。殺せない敵など憎いものはなかった。この手で切り裂き、その存在をこの世から無くしたいのに。それが許されないなど、この上ない拷問はなかった。俺に結局最後まで神は味方をしないのだった。

 そして、終戦を迎えた。セインの死後から数日後だった。それはセインの犠牲により、戦争が終わったようにしか見えなかった。迎えたくなかった。セインと共に終戦を迎えようと言っていたのに。俺達とは違い、せめて子供達には平和な世界を見せたい、と。なのに俺は彼を守れずに、生きてしまった。死にたい。そうすれば今にでも彼に会いに行けた。だが、出来なかった。彼は死の間際、俺がこれからも生きることを望んだ。自分が死んだせいで俺を巻き込むのを嫌った。いつまでもお人好し過ぎた。どこまでも俺を信じ過ぎていた。こんな血で汚れただけの俺が生きていて、嬉しい奴などいるはずもないのに。俺は最後まで彼を理解することが出来なかった。彼はいつまでも笑みを浮かべていた。出会った時も死の間際でさえも。

 銀狼隊が基地に戻ると、セインの葬式が行われた。英雄銀狼のため、荘厳な葬式には多くの者が駆け付けた。それは彼がどれほど慕われていたかを物語っていた。それだけでも俺は嬉しかった。やはり彼は素晴らしかったのだ、と。だが、同時に思ってしまった。俺の時はそうはならないだろうと。葬式は彼を目の前で失った時ほど、この身を引き裂かれるぐらい辛かった。いつまでも彼の側にいたいのに、俺は泣きそうな隊員に押さえられながら、土に埋まっていく彼の棺を見ることしか出来なかった。悲しみが強くなり過ぎると、もう泣くことも許されなかった。最後に解放されると、俺は何も語ることなく部屋に閉じ籠もった。俺は心を失い、彼との思い出を回想しながら、壁に向かって笑みを浮かべていた。

「副隊長、お願いですから出てきて下さい」

 何度目かのギールの扉を叩く音がした。ギールは俺が閉じ籠もり始めた日から、何度も俺の生存を確認しに来た。その回数を数えるつもりはなかった。ギールがお願いするなら、俺もお願いしたかった。頼むから一人にして欲しかった。俺とセインとの時間を邪魔されたくなかった。俺はセインのために何も出来なかった。何も恩返しすることが出来なかった。それが何よりも辛かった。

「副隊長、貴方が何かを口に含むまで全隊員は何も食べません。皆、貴方と同じように悲しんでいるのです」

 勝手にしろ。なら、死ねば良いんだ。そう言葉が俺の口から出かけた。だが、俺はすぐに気付いた。それは俺がしようとしていたことだと同じだと。どれほど死にたいとしても、セインの銀狼隊を失う訳にはいけなかった。それをしてしまえば、彼の生きていた場所をなくしてしまう。

「……勝手に食べれば良い」

 久しぶりに話す俺の口から、掠れながらも声が出た。腹が空腹を訴えるようになり、俺はその腹を切り捨てたくなった。いらない部位を全て捨てれば、安らかになれる気がした。

「副隊長……お願いですから」

 と、ギールが扉に倒れ込む音がした。

 ギールは今度は忙しなく扉を叩き続けた。重たい音がし、俺はギールが扉に頭を打っていると気付いた。俺は急いで立ち上がると、倒れそうになった。覚束ない足取りでゆっくりと前に進むと、ギールが扉の前に座っていた。額が赤くなっていた。俺はそれを一瞥すると、シャワー室の方へと進んだ。

「副隊長、まさか外出する気ですか?」

「裏切り者の所に顔を出すだけだ」

 セインを殺した裏切り者。奴は軍病院に収容されていた。セインを殺しさえしなければ、いつまでも銀狼隊の仲間と言えた。だが、もうそれは無理だった。入隊時から世話をし、俺にとって初めての教え子だった。ドジっ子であり、よく周りを振り回していたがそれで隊内を笑顔にしていた。今はもうそんな過去は思い出したくもなかった。裏切り者、フェルベル・イエダス。恩を仇で返すなど、よほど俺に殺されたいようだった。戦場で捕虜にされ、セインの頼みでわざわざ救出しに行ったのに。その隊長を殺すとは。錯乱状態であろうと言い逃れは許されない。

 あの日、救出したフェルベルを安心させるために恋人のノラット・シュクナを側に置いていた。もし襲撃されても大丈夫なように銃を携帯させていた。なのに、フェルベルはノラットを枕元に呼び寄せると、ノラットを襲い銃を奪った。そのまま部屋を飛び出ると隊長室にいた、俺に銃口を向けた。そのまま俺を殺せば良かったのに、セインがその間際に俺と銃の間に入った。俺が必死に彼を退けようとしても、セインは絶対に動かなかった。そして、そのまま撃たれ、俺の腕の中で息を引き取った。フェルベルはもう取り押さえられていたが、俺は何度もフェルベルの顔を殴った。だが、気分が一向に良くなることはなかった。

 殺す。そう決意して、俺は憎きフェルベルに会った。だが、数日ぶりに会ったフェルベルは別人のようだった。体は骨と皮だけになり、目には酷いクマがあった。その瞳はどこも見ておらず、ただただ濁っていた。ベッドに縛り付けられたフェルベルは何度も大きな声で叫び、俺の気分を下げた。こんないつか死ぬ奴は殺す価値もなかった。ただ視界に入らない場所で、勝手に犬死にすれば良かった。こんな奴にセインが殺されたことが許せなかった。俺が守ってさえいれば、こんな屑にセインは殺されなかった。

 俺が目を真っ赤にしていると、椅子に座っていたノラットが俺に近付いた。以前は真面目で人気が高い男であったのに、今は俺に怯える鹿のようだった。ノラットは俺を見ると、頭を深く下げた。

「本当に申し訳ありません、副隊長。フェルベルが」

 俺はノラットを見ることなく、冷たく告げた。

「その吐き気がする名を言うな」

 ノラットは唾を飲み込むと続けた。

「済みません……。この屑でしかない奴が再び道を踏み外すことなく、しっかりと罪を償うように手綱を絶対に離しません」

 俺は笑ってしまった。ノラットは分からないようだった。俺はノラットに教えてやった。

「くくっ、恋人に屑と言われるとは中々だな、ノラットも。まぁ、良い。今の姿を見れば俺も馬鹿馬鹿しくなってきた。だが、良いな?」

 ノラットを直視すると、俺は言った。

「本人でもないのに、お前が謝るな。お前は悪くない。そいつが悪いんだ。謝った所で許すつもりはないが、お前の謝罪は不要だ」

 ノラットはゆっくりと顔を上げた。

「ありがとうございます、副隊長」

 俺は最後に一度だけ隣を一瞥すると、ギールと共に病院から出た。

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