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 俺は最初から誰からも必要とされなかった。赤子の時に親から軍基地の前に捨てられた。生まれた時から、俺はその存在を望まれていなかった。なら、捨てることなく親がその手で俺を殺せば良かった。ただ泣き、気付けば俺は死んでいただろう。名付けられることのない、命が儚く呆気なく消えるだけだった。身勝手に繋がり、身勝手に産み、身勝手に殺したことを死ぬまで後悔すれば良かった。いや、俺をそもそも産まなければ良かった。一夜に気分が弾けなければ良かったのだ。短絡的に愛し合っていなければ良かったのだ。無意味な愛がこの世からなければ良かったのだ。

 心の中で息が荒くなるまで、俺は叫び続けた。そうすればこの壊れてしまいそうな体も心も、いずれ救われると思いたかった。俺は間違っていないと誰かに言って欲しかった。どれほど嫌われようと、どれほど俺が狂っていようと。この暗闇だけが続く世界に、一筋の光でも良いから欲しかった。俺は頑張ってきたのだ。俺は我慢してきたのだ。なのに、誰も何も言わない。それが俺であると冷酷に告げるように。俺が幾ら叫ぼうが意味はなかった。その叫びは何の価値も生まなかった。どの道、俺は今を生きるしか出来なかった。過去に何が起きろうと。それがこの世であり、目の前に広がる現実だった。現実から背くことは出来なかった。どこを見ようと、その全てには無情な世界が続いていた。

 俺は軍で、世話をたらい回しにされた。俺を気遣う者もいたが、軍人が子育てを自らする訳がなかった。最初はおままごとのようにされたが、すぐに興味が薄れる者も多かった。ただ憐れむのなら、最初から無視される方が良かった。俺は自然と泣くことが少なくなり、更に化け物のように見られた。小さい時は誰からも玩具のように蹴られ、叩かれた。そうされるのが俺の生き方と刷り込むように。言葉は必要なかった。代わりにあったが暴力であった。

 力を付けて反撃出来るまでは、少年兵にも虐められた。ある日俺が逆に押し倒すと、少年兵は目に恐怖を映し、俺があたかも悪人のような顔をした。ただ向こうと全く同じことをしただけなのにも関わらず。世の中は理不尽だけに溢れていた。世の中には俺の敵しかいなかった。唯一利害関係がある時だけ、利用出来た。少年兵は涙を浮かべながら、チビッた。俺は敗者に何も思わなかった。掴んでいた胸倉を離すと、少年兵は床にずり落ちた。床が汚れていき、通りかかった別の少年兵が指を指しながら笑っていた。笑っていた奴は少年兵の仲間だったが、俺が勝ったと知るとすぐに俺に胡麻をすってきた。この世の全てをそれが物語っていた。目に映したくもない屑まみれの世界だった。俺は顔を殴ると、少年兵の横に仲良く転がせた。嬉しくも楽しくもなかった。

 俺が使えると分かると、弾薬を運ぶ少年兵の仕事を任された。すぐに殺人兵器のために育てられ、殺すことだけを求められた。俺が敵を殺しさえすれば。俺がこの身に敵の血を流しさえすれば、軍は俺に衣食住を与えた。そういう関係で成り立っていた。少年から青年になるに連れ、俺はより強い敵も倒せるようになった。尋問から始まり拷問も難なく出来るようになり、成人の晴れ舞台では初めて人を手にかけた。口がうるさく最後まで叫び声もうるさい奴だった。軍を裏切ったくせに、のこのこと生きられると考えていた能天気な奴だった。こんな物も殺す必要があるなど、軍はよほど暇なようだった。そいつから唯一学べたことは、こんな奴の血も赤いということだった。

 結局、俺は一度も褒められたことも愛情をかけられたこともなかった。そして、いつか呆気なく死ぬんだ。そう俺は成長する中でふと悟った。誰かに言われる間でもなく、答えは目の前に広がっていた。流れ弾に撃たれて死ぬのではなく、敵諸共死ねば喜ばれるのだった。それが俺の生かされる理由で、俺の生きる目的だった。なのに、ある日セイン・シルヴィスという後の悪友に声をかけられてから全てが変わった。

 俺が食堂でただ必要な栄養素を口に含んでいると、白銀の髪に黄金色の瞳を持つ男が前に座った。俺が許すこともなく勝手に座り、俺に笑みを見せてきた。周りが騒がしくなるのを感じ、俺は機嫌が悪くなる一方だった。誰も信用など出来なかった。誰もが誰かをいずれ裏切る獣であった。ただ殺戮という快楽を共にするだけだった。それ以外は何もいらなかった。

 動こうとしない彼を俺は睨み付けた。それで大抵の奴は尻尾を巻いて逃げた。誰もが負け犬でしかなかった。なのに、彼は笑みを続けた。その顔は笑みをするだけにあるように、笑みを顔に貼り続けた。気持ち悪かった。嫌われ、悪意を向けられる方が何倍も良かった。そうすれば、殺す意味が出来るようだった。それが俺の存在価値だった。

「美味しそうだね」

 そう彼に言われ、俺は考えるまでもなく告げた。

「不味い、消えろ」

 彼を視界に入れたくないほど、俺は嫌いだった。最初から不味い飯が更に不味くなるだけだった。彼は一瞬動きを止めると、笑い出した。理由は分からなかった。知りたいとも思わなかった。

「そう、それは済まないよ」

 素直に謝るとは思わなかった。だが、それで解決する問題ではなかった。

「済まないというなら、俺の前から消えろ」

 そう言っても、彼は立ち去る仕草も見せなかった。俺は彼を再度睨むと、急いで飯を口に搔き込んだ。前の敵が去らないのなら、俺の方から出ていくのが正しかった。これは逃げている訳ではなく、正しい戦いだった。口元を押さえながら、彼は笑った。

「犬みたいだね、君」

 犬。俺はそのようにこれまで表現されたことがなかった。大抵、罵詈雑言であった。それが俺に相応しいあだ名かのように。俺は驚きを隠すことが出来なかった。

「犬?」

 と、彼の目をそっと見てしまった。

 その時に先程までは何も思わなかった目が、優しく俺を見ていた。俺の全てが洗われるような視線だった。だが、俺はすぐに意識を切り替えた。彼は脅威でしかなかった。この正体不明の生物が何か分からなかった。なら、それは排除対象であった。

「あぁ、また変わってしまったよ。さっき良い顔していたのに」

 目前の彼は今度は勿体ない、と残念がる顔をしていた。よく表情が変わる奴だと俺は思った。一人で漫才をしているようで人生が幸せそうで何よりだった。こういう奴ほど、先に戦場で死ぬのだった。それがこの世界の摂理であった。俺はトレイを手に取ると、席から立った。

「男娼がいるなら別の奴を頼れ、変態が」

 俺はそう吐き捨てると彼の顔を見ることなく、前に進もうとした。だが、いつの間にか行く手を塞ぐように彼が立っていた。彼は怒った顔をしていた。俺は何か気に食わないことを言ったのか。いつもそうだった。いつも俺が生きているだけで、人は俺を嫌う。

「邪魔だ」

 と、俺が舌打ちをしながら言っても、彼は動じることがなかった。

 分からない表情をされる方が困った。この人は何をしたいのだろうか。仕方なく俺は溜め息を付くと彼に言った。

「ナルシストか? 自慢話をしたいだけなら他を当たれ。迷惑でしかない」

 彼は困ったような顔をした。わざわざ俺は彼の表情を一つ一つ見ていた。俺には俺自身が分からなかった。何故、無駄なことをしてしまうのかが。

「ゼド・クロスネフ君か?」

 名前を言われ、俺は更に警戒した。それは俺に与えられた名前ではあるが、特に思い入れがある訳でもなかった。他者と認識がしやすくするためだけにあるのだった。この奴は誰なのだ。

「だとしたら、どうする?」

 素直に答える奴がいる訳がいなかった。そういうものから、詐欺師に騙されるのだった。

「部隊に誘いたいんだ。バディがいないと噂を聞いたから」

 噂。そんなことを気にするとはどういう人となりかを証明していた。俺でさえどんな噂か、想像しなくても理解出来た。人は嫌いな奴の評価を下げるのが好きなのだった。自分より下の床を這いずる人を作り、それをせせら笑う。人とは醜いものだった。

「噂? どうせしょうもないものだろう」

 彼は静かに頭を左右に振った。威嚇する訳でもなく、ただ彼は対等に俺と話していると俺はこの時気付いた。だが、こんな俺にそのようなことをする必要があるのか分からなかった。

「いや、そんなことはない。もう自分自身のことを蔑むのは止めてくれ」

 俺はすぐに頭に血が上った。俺は悪いことをしている訳でもないのに、真っ向から俺の全てを否定されている気がした。それはこれまでの誰よりも質が悪かった。俺は一歩後退るとすぐに行動出来るように準備した。静かに息をし、目前の奴の動きを注視した。

「あ……え?」

 と、彼は俺の動きを見て、困惑していた。

 失態に気付いたようだったが、もう遅かった。俺は一度信用出来ないと思った奴は、二度と信用しなかった。つまり、全員が初めから敵であり、最後まで敵だった。耳を傾けようと思ってしまった、俺が間違っていた。それにバディなど、軍が戦死者にすぐに気付けるためにあるだけだった。どの道協力しない人間と行動を共にするなど、ゴミ以下だった。ゴミだけでも、もっと価値があった。隠れるためや、燃やすために。だが、役立たずの人間は一度盾に出来るぐらいで、美味しくもなかった。

「これだから隊長は勧誘が下手なんですよ」

 気配がなかった背後から、男の声がした。俺が急いで振り向くと、遊び人のような男がいた。茶髪は手入れされずに弾け、赤い目は眠そうだった。服をだらしなく着て、胸辺りが特にシワが多かった。ベルトもしっかりと付けていなかった。何をしていたかは想像しなくても分かった。

「どうすれば良いのか困っているんだ、ギール。また男とつるむ暇があるなら、最初から来てくれよ」

 と、隊長と言われた男が嘆くように遊び人に言った。

 遊び人、ギールは怒った表情をした。だが、俺から見ればそれは演技だった。目は真剣ではなく、状況を楽しんでいた。

「失礼ですよ、隊長。俺は戦場なら無敵なんですよ。まぁ、この基地でも夜の方がそうであるように。ちゃんと国のために忠誠を誓って、ちゃんと戦っていますよ。なら、後は少々自由を頂いても許されるでしょう」

「もし背後から刺されても自分の手で全てを片付けろ」

 隊長は反省する様子のないギールに告げた。ギールはあたかも当然というように、大きく頷いた。それは分かっていない証拠であり、ふざけていた。

「大丈夫ですよ、襲われてもちゃんと幸せに仲良く出来ますから」

 と、ギールは襲われることが嬉しいように、満面の笑みを浮かべた。

 舌なめずりをギールがするのを見て、流石の俺も下の安全を危惧した。

 このように俺は、この愉快な二人に巻き込まれた。今から振り返っても、当時の俺は何とも未熟でじゃじゃ馬であったと言えよう。誰にでも噛みつく狂犬と言われても仕方がなかった。それが俺の身の守り方で、唯一暴力が俺を安全にさせてくれていた。

 だが、二人は決して俺を離すことがなかった。俺が幾ら逃げ回っても、隊長の副官ギール・ジョベルが手当たり次第に情報を集め、俺を捕獲しに来た。俺が構うなと言っても、隊長のセイン・シルヴィスは俺を絶滅危惧種かガラス製品かのように丁寧に扱った。人とは怖いもので、俺は自分が気付かぬ内に、二人に緊張を解され始めていた。そして、気付けば俺は正式にセインの銀狼隊に所属し、副隊長として黒狼と呼ばれていた。血塗られた黒と敵兵から呼ばれ始めた時には、一番最初にギールに笑われた。俺は銀狼と呼ばれるセインの隣で、共に戦場を駆け走るのが生き甲斐となっていた。

 あの危ういギールだが、正式に入隊した日に俺に夜這いに来た。隊内で大きな歓迎会の後、酔った状態で俺の部屋に無断侵入した。俺はすぐさまギールを拘束すると、廊下に投げ捨てた。朝まで伸びていたようだったが、俺は知らないふりをして放置した。誰からも邪魔されずに出来る睡眠は、何とも心地良かった。たまには寒い廊下で己の罪を知れば良かった。どの道、次の日には誰かと楽しむ、どうしようもない遊び人だった。ただギールがあれほど情報通なのは、大抵の者を喰ったことがあるから、らしい。これは噂であったが、ギールの普段の様子を見れば普通にありえる話であった。悲しくも、と言って良いのかは分からないが。三度の飯より男と連呼し、それを座右の銘にする残念な奴だ。セインを喰っていたら殺していたが、流石にそれはしていないと言っていた。だから、俺はギールを少しは許すことにした。

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