5

 俺は口の中に何かを入れられる嫌悪感から、息をしてしまった。俺は失敗してしまった。咳き込みながら、俺は息を求めてしまった。俺はそのまま体をベッドに預け、どこにも焦点を合わせずに空間を見つめた。ギールは肩で息をしながら、拳を握り締めていた。ギールの拳から流れる血が、ベッドの白いシーツを汚していた。シーツは血を求めるように、赤く染まっていった。きらりと俺の視界の端に、反射する物があった。床に視線を落とすと、水に濡れた花が花瓶の破片と共にあった。俺は何よりもそれを無くしたくなかった。

「あぁ……」

 と、呟くとギールは花から破片を丁寧に取り、俺のベッドの上に置いてくれた。

 いずれ枯れるにも関わらず、花はどこまでも綺麗に咲いていた。花がぼやけると思えば、頬を温かい雫が流れていた。俺は花を両手で持ちながら、涙が枯れるまで流した。いつまでも彼との約束を守れない俺が、嫌で嫌で仕方がなかった。彼がいないと心細いのに。彼が俺には必要なのに、彼はもうどこにもいないのだった。俺は彼を悲しませたくないと前を進もうとするのに、いつも失敗してばかりだった。躓いで転んで怪我をして、失敗するばかりだった。彼に誇れる俺の姿を見せることは出来なかった。俺はいつまでも逃げてしかいなかった。気付けば俺は眠りに就き、そっとギールが布団をかけてくれた。俺が再び悪夢を見ることがないよう、ギールは俺の側にいてくれた。

 この出来事から俺の希死念慮も少なくなった。ギールによれば俺の自己肯定感が虫以下のようなので、それを上げるために毎日隊員から俺の素晴らしさを語られる地獄がら始まった。俺が顔を真っ赤にすると全員が笑みを浮かべ、俺はどうにかするために早期退院を目指した。その努力が叶い、通院は続くが一旦退院が叶った。俺のために退院祝いが行われ、彼らはよほど祝い事が好きなようだった。俺が入院している間、銀狼隊はどのような場所でも展示会や講演会を行った。講演会では話すのが得意なギールがやはり活躍したようで、ギールがいつ休んでいるのか俺には分からなかった。他にもパートナーの隊員同士が、俺の代わりに当事者として声を上げてくれた。それだけでも俺は嬉しかった。またノラットも詳細は省きながらも、講壇に立ったようだった。

 そのような銀狼隊の働きにより叶ったのが、より大きな場所での演説会だった。銀狼隊の活動が広く知られるようになったのは嬉しいが、入院していた俺には非常に緊張する場所であった。多くの人の目が集まる中、俺は演説壇へと誘導された。聞こえる人々の歓声から、俺は銀狼隊がどれほど人気かを知った。俺の死角から俺に走り寄る男がいた。胸付近に強く握られた銀色の物体を見て、俺は刺客だと気付いた。男は俺の方を真っ直ぐ睨むと、口を大きく開けた。

「死ね、黒狼」

 周りから悲鳴が聞こえた。俺と男の間には誰もいなかった。瞬きをするごとに男は俺との距離を縮めた。俺はふと戦場でのことを思い出した。あの時もそうだった。誰もが俺の死を望み、懸賞金を目当てに俺の首を取ろうとしていた。俺は腰を落とすと男の腕を横に流した。そのまま刃物を叩き落とすと、体を拘束した。男を隊員に手渡してから、俺の手がヒリと痛かった。少し切られたようで退院後猛訓練をしたが、まだ腕が鈍っていると気付いた。もしこれに毒が塗られていたら俺は死んでいた。もし刃物ではなく銃ならどこかを撃たれていた。やはり全員には活動が伝わらず、暴力で解決する人がいるのかと心が痛くなった。

 俺は軽く応急処置だけされると、演説壇に向かった。銀狼隊はこれだけのことで恐れをなす訳がなかった。マイクが動くか確かめると、俺は一人一人と目を合わせてから話し始めた。

「皆様、本日はお集まり頂きありがとうございます。私は銀狼隊副隊長のゼド・クロスネフです。私はいつまでも隊長とは決して名乗らず、副隊長のままにしています。何故なら、私は戦地で亡くなった英雄、銀狼セイン・シルヴィスただ一人が永遠の隊長であると信じているからです。先程は騒ぎになり済みませんでした。ですが、怯えないで下さい。我々銀狼隊は皆様のために活動しています。我々暴力には屈しません。我々も暴力を行使しません。我々は言葉の力で、この世界を動かせることを証明したいのです。

 我々は全員が男の同性愛者、ゲイと言われます。ただそう言われるだけで我々は誰にも危害を加えません。我々はただ普通の人生を送りたいだけです。私はただ私を生前愛してくれた銀狼セインと共にある夢を叶えられることを望んでいます。それがゲイだけでなくレズビアンなど、同性愛者が正式なパートナーとなり、結婚式を挙げられるようになりたいのです。普通の恋をし、愛を育み、人生の晴れ舞台を愛するパートナーと共に行いたいです。ただそれだけなのです。ただそれだけを叶えることが出来れば。そう我々は常に思っています」

 俺はそのように言い切った。それだけが俺の言いたいことだった。セインのために俺が出来ることだった。人々は一瞬立ち止まったままだが、すぐに大きな拍手が当たりから響いた。俺は嬉しくなり、流れる涙を止めることが出来なかった。

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