3
「やけに静かになりましたね」
そうギールにそう呟かれたが、俺は静寂を保った。わざわざ全ての会話に、応える必要性はどこにもなかった。せめてもの仕返しでギールは一人で喋っていれば良かった。
「よっと」
と、ギールはわざと俺を抱き直した。
突然安定していた場所が崩れ、俺の口から憐れな叫び声が出た。驚かされるのはいつだって嫌だった。ギールは口角を上げたが、我慢出来ずに吹き出していた。俺はこいつを許すことが更に出来なくなった。上司で遊ぶなど許されないことだった。それを俺が弱っていることを良いことに、好き勝手していた。少し歩くとギールは壁を支えに、俺を片手で抱え続けた。空いた手で俺のポケットに手を突っ込んだ。
「おい、何をするんだ。こそばゆいだろう」
俺はギールを何とか止めようとしたが、ギールは動じなかった。何かを探すように、俺のポケットの中を調べ続けた。
「部屋の鍵を探しているだけだ。……あった」
と、俺に鍵を見せると扉を解除した。
黒い物体が器用に俺の私室の扉を開けた。俺はここまでセイン二世が付いてきていたことに、やっと気付いた。ただギールに言いたかったのは、俺は鍵ぐらいなら自分で開けられた。ふざけてでも、他人の手がポケットに入れられるのは気持ち悪かった。自然ではなく、無駄な動きも多い上で弄られる。それは不快でしかない。だが、そんな俺の気も知らずにギールは部屋に入った。セイン二世はギールを補佐するように、部屋の照明を付けた。ギールは俺を姫のように、丁寧にベッドに寝かせた。ベッドに放り投げられる方が、俺の気持ち的には有難かった。吐くと思うが。
布団を両手で持つと、ギールは俺にそっとかけた。セイン二世はベッドに飛び乗ると、逃さないとばかりに重石と化した。ギールはセイン二世を撫でるとベッドに座り、俺の髪を撫でた。その光景がセインを思い出させ、俺は心が潰れそうだった。
「おやすみ」
そうギールに言われても、平気に言葉を返せる気がしなかった。止めてくれ。俺を寝かせるとしても、そのやり方は駄目だった。俺は布団に体を隠すと、体を丸めた。腕に手を回しながら、目をきつく閉じた。セインの最期が何度も脳裏に蘇った。俺の目前で撃たれ、苦しむ表情が鮮明に流れた。俺は痛みが分からなくなるほど腕に爪を突き立てると、頭を抱えた。心の痛みを声に出したいのに、口からは何も出なかった。俺は震える体を見た。自分のいる場所も時間も分からず、平衡感覚もなくなった。冷たい底のない暗闇に突き落とされ、俺は溺れ続けていた。遠くで犬の鳴き声がしたが、俺はそれに構う暇などなかった。近付いてくる無数の腕を払うと、俺は逃げれる所まで退いた。だが、背後の壁はすぐだった。
俺は何かから転げ落ちると四つん這いで進んだ。目玉が飛び出しそうなほど体が痛く、腹が拗られるように気持ち悪かった。硬い物にぶつかりながら、俺は進んだ。だが、最初からこの場所には俺が逃げられる所がなかった。俺は近付いてくる何かから逃げようとしたが、遂に体が動かなくなった。俺は糸が切れたように硬い何かに倒れた。吐き気が襲い、口元を押さえようとしたが動く腕がなかった。俺は何かに背中を擦られながら、袋と思われる物に嘔吐した。気力から生命力まで全てを搾り取られた気がした。
視界が一度真っ白に弾けると、俺は現実に戻っていた。俺の隣に跪いていたギールが、俺以上にやつれた表情をしていた。酷く青ざめ、折角の顔が台無しになっていた。俺は自分の状況は見ないことにした。見たくもなかった。
「……ぎ、ギール」
と、俺が呟くとギールはただそっと俺を抱擁した。
「済みません、副隊長……。私が貴方を更に苦しめてしまいました」
ギールは目元を押さえたが、幾多の涙が頬を流れていた。俺はギールに何も出来なかった。動かない今の俺では、腕を回して励ますことも出来ない。俺がギールを傷付ける訳にはいかなかった。俺の方までも心が痛くなった。
「大丈夫だ……。大丈夫」
俺はそう安心させるために繰り返し言った。だが、ギールは泣いた目のまま、俺に怒った顔をした。悲しみと怒りの二つが混在していた。やはり、また間違えてしまったようだった。俺は駄目な副隊長だった。ギールは俺を急いで抱き上げると、またベッドに寝かした。怒っているというのに、ギールは常に俺をぞんざいに扱わなかった。俺が起き上がらないように、肩を押さえられた。ただ体が動かないので、意味はなかったが。ギールは溜め息を零した。
「いつもボロボロになる貴方を見続ける、こちらの身にもなって下さい。貴方は大丈夫じゃないのです、副隊長。そんなすぐに大丈夫と言わないで下さい」
と、俺はきつくお叱りを受けてしまった。
俺の返事を聞くことなく、ギールはベッドの下に座っていたセイン二世に言った。
「セイン二世、副隊長がしっかり休むように見ていて下さいね」
吠えてセイン二世が返事をすると、ギールは部屋から出て行った。やはりギールからすれば俺よりも、セイン二世の方が信頼出来るようだった。俺はギールがいないことを良いことに、セイン二世に語りかけた。
「セイン二世、ギールの後を追いかけるのだ」
俺の言葉を無視するように、セイン二世はベッドに前足を乗せると頭を横に傾けた。セイン二世を落とすのは無理そうだった。俺は大人しく目を閉じて、眠ろうとした。だが、俺は真上を向くことしか出来ず、体勢を変えることが出来なかった。真上では気持ち悪く、何かに吸い込まれるような錯覚をした。結局寝れずに俺は目を開けて、天井を見続けた。セイン二世が振り向くと、扉が開く音がした。ギールは手に湯気が出ているタオルを持ちながら近付いた。明らかに熱そうなそれに俺は、一種の拷問かと思った。
「ただいま」
と、ギールは呟くと堂々と俺の布団を引き剥がした。
一気に北国に吹き飛ばされた気がした。体を丸めて温めることも出来なかった。ギールはタオルを広がると俺の顔を拭いた。俺がそれでほっとしていると服に手をかけた。俺は焦ってギールを見た。
「おいおい、何をするんだ?」
「体を拭くだけだ。何、変なことを想像しているんだ。さっぱりした方が良いだろう?」
ギールはぶっきらぼうに答えた。俺はそんな変なことを考えていた訳ではなく、変な噂はあったが今は信じていなかった。以前酔っ払って夜這いに来たのも、演技だと考えることにしていた。ただ気遣って体を綺麗にされるとしても、いざされると慣れない物だった。ギールは何も言わずに何も嫌がらずに、てきぱきと俺を拭いた。俺が目を閉じていると、俺の肌にまっさらな服が通されていた。ギールは俺の体が冷える前に早々と布団をかけてくれた。
「何で慣れているんだ、ギール?」
それが今の俺の素直な疑問だった。ギールがそのような技術を身に着ける場所があっただろうか。ギールは少し気不味そうな顔をした。俺は嫌な予感しかしなかった。
「副隊長、貴方が部屋に閉じ籠もっていた時や、入院する前に苦しんでいた時に体を拭いていたのですよ」
部屋が静かになった。なるほど、納得するしかなかった。俺は前から疑問に思っていたのだ。あの時風呂に入っていた覚えがないのに、体が勝手に綺麗になっていた。そんな魔法などなく、人に負担をかけていたのだった。その主な負担が全てギールに伸しかかっていた。何かあった時に俺を押さえられる人が、ギールしかいないからだった。俺もとても気不味くなった。
「……そ、それは非常に迷惑をかけていたな。済まない」
ギールは笑みを浮かべた。
「いや、楽しかったので良いですよ」
楽しい? 俺の裸を見て? 俺は驚きで目を大きくしそうになった。ギールは俺の反応を見て、口元を震わせた。
「違いますよ。寝顔が可愛いので」
ギールは笑いながら、俺の男の尊厳をへし折った。軍人として可愛いと言われるなど、致命的な欠点を意味していた。敵に侮られる訳にはいかない。黒狼が黒猫にでもなれば、格好悪くして仕方がない。
「違う」
俺は断じていつまでもそれを認めるつもりはなかった。ただギールは俺に聞く耳を持たなかった。ギールは先程の失敗を学び、俺の布団を撫でた。気持ち良かったが、俺よりもセイン二世にした方が喜ばれると思われた。セイン二世は俺の側で陣取り、俺のカイロとなっていた。
「さて、副隊長。寝て下さい」
目を閉じて俺は素直にそれに従った。ギールが羊を数える声がした。だが、やはり俺はこの体勢では寝ることが出来なかった。俺が目を開けるとギールは寝ないのか、という風な顔をした。仕舞いに歌うのを止めた。
「寝れないのですか?」
「この体勢だと寝れない」
ギールは俺を頭から爪先まで見つめた。
「仕方がないですね……」
と、言いながらギールは俺が寝やすい姿勢にしてくれた。
俺が言わなくてもそれが分かっていることは、よほど俺が寝ている時を見ていたようだった。
「ありがとう。ただそんなに俺に構わなくて良いから。イシャルと楽しむ日だっただろ?」
「早く寝て下さい。それが副隊長、貴方の今の一番の仕事です」
ギールはそう言い放つと部屋から出て行った。扉のぱたりと閉まる音がし、俺は寂しくなった。だが、それに気付いたセイン二世が俺の頬を舐めた。俺は微笑みながら、眠った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます