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 少しして誰かの気配を感じ、俺は目を覚ました。俺の視界が白いビニールで覆われ、俺は急いでそれを手で退かした。すぐにギールが俺にサンドイッチを押し付けていたと気付いた。俺はそれを乱暴に手に取ると、ソファに座った。何かに魘されることなく寝れ、今は体調も先程よりかは良くなっていた。

「何だ?」

 睡眠を妨害された俺は、不機嫌で仕方がなかった。ギールはすぐに答えずに、偉そうに腕を組んでいた。だが、足元にゴミ箱があるのを見て、俺は大体状況を理解させられた。ギールは扉からゴミ箱の順に指差した。

「部屋の扉が空いていて何かと思えば……。副隊長、貴方は寝ていた。一人で食べると言っていたのに、ゴミ箱は空。何も食べずに寝た、と。……いや、そう寝るしかない、と。その証拠に普段側にいない、セイン二世が横で待機していた」

 俺は舌打ちをしたくなった。ギールは俺の母親でも父親でもなかった。互いに既に成人しているから、構ってもらう必要はどこにもなかった。恋で故障している訳ではないようだった。だが、俺はギールの言い分を認める訳にはいかなかった。

「俺はただ、買い忘れただけだ」

「そうですか。なら、そのサンドイッチを今食べて下さい」

 と、ギールはサンドイッチを真っ直ぐ指差した。

 体調が少し治ったとは言え、寝起きに食べれば別の物まで吐きそうだった。俺は静かにサンドイッチをギールに突き返した。ギールはただ「何?」と反応し、受け取らなかった。俺は苦渋の決断をし、ギールに告げた。

「……金がない」

 ギールは呆れたような顔をした。それはイシャルに見せるべきでない表情だった。ギールは腰に手を当てると言い放った。

「それはおかしいですね。副隊長はしっかり給料を得ているはずですが。……豪遊の趣味でもお有りで? 隊長が泣きますね。すっかり不良になってしまわれたようで」

 俺は動きを止め、手を下ろした。ギールはいつも俺が言い訳しにくいように、セインをわざと出してきた。俺はただ屁理屈を述べることしか出来なかった。意味がないと分かっていながらも、俺は必死になった。

「財布を持っていない……」

「これまでは普通に私の物を受け取って下さったのに。私達の間には金銭的な関係しかないということですか。それは何とも寂しいですね、貴方を信頼していたのに」

 ギールは悲しい顔をしながら、俺の心にナイフを何度も突き刺した。俺は血を吐く暇もなく、奥歯を噛み締めた。拳も握り締めたかったが、ギールに見えるようにはしたくなかった。俺はごねるように、先程より小さな声で呟いた。

「……ただ財布を失くしたんだ、全財産入っていたのを」

 俺は五歳児だろうと嘘と分かることを述べるしかなかった。目を合わせられる自信はなかった。ギールは口元を手で触ると、ぞくりとするような笑みを浮かべた。言い訳を続ける俺に対し、絶対に怒っているのだった。俺は天敵に睨まれている気がした。

「几帳面な副隊長がわざわざ全財産を入れた財布を失くす、と。それは何とも大変ですね。すぐに全隊員を招集し、副隊長の大切な財布を探させる必要がありますね」

 ギールは焦ったように回れ右をすると、部屋から飛び出そうとした。俺は慌ててギールに言った。

「止めろ、そんなことはしなくて良い。……食べる。食べるから。ただ今は食べれない」

 ギールはサンドイッチを受け取ると、机に置いた。そして、次に俺の手を優しく握ると、俺の横に座った。俺を逃さないというように笑みを見せてきた。

「なら、副隊長がお腹を減らすまで待ちましょう。食べないと午後の仕事が遅れていきますね」

 淡々と告げるギールに俺は今すぐ逃げ出したくなった。俺がネズミなら、ギールは蛇だった。毒牙を深く刺された気がした。蛇でないならギールは猫で、俺のことで絶対に遊んでいるのだった。殺しておきながら、食べもせずにただ弄ぶだけ。俺は敵に回してはいけない人間を、敵に回したようだった。冷や汗を掻きながら、背中を嫌な汗が流れた。全てが俺の望まぬ方向に行っていた。自分の発言で手足が縛られ、どこにも逃げられなかった。俺は強制的に白旗を上げることしか、取れる選択肢が残っていなかった。

「た、体調が悪いから……休ませてくれ」

 その一文を言うだけでも、俺には何よりも辛かった。口が乾いていった。最後には声が震えそうになり、体は一層重くなった。俺の物でないかのように。その言葉は俺が負け犬であることを、認めているようで惨めであった。俺は誇り高い軍人であり、埃が高い訳ではない。死んでも守りたいプライドがあった。俺が自らの体調の異変に気付きにくいのはあったが、普通に生きられるのならそれ以上求めないからだった。ギールは立ち上がると、俺の前に少ししゃがんだ。

「始めから、そうしたら良かったのですよ」

 と、容赦なくデコピンをした。

「痛っ」

 俺は額を押さえると背もたれに倒れた。体罰反対だった。上司の副隊長に暴力反対だった。ただ俺は隊長ではないので直属の上司ではないが、今は銀狼隊を仕切っているから正しいと言えた。ギールは反省することなく、俺の額に手を置いた。怪我をしたのか確認をしていると思えば、少し違ったようだった。ギールは自分の額にも手を置いた。やけに俺に近付くので、俺は斜め横を見続けるしか出来なかった。ギールは少しすると俺から離れた。

「熱はないようですね」

 その呟きに俺は顔を赤くしそうになった。熱を調べるためにわざわざ、俺に近付く必要はなかった。体温計という文明の進歩の結晶があるのに、原始的に行きたい謎の派閥の者のようだった。俺はギールにお熱の訳がないが、風邪の方の熱であった時に移す可能性があった。だから、極めて誤った対応だった。

「では、行きますか」

 と、ギールは独り言のように言うと俺の体に腕を回した。

 俺が暴れようとする前に、すっかりお姫様抱っこをされていた。屈辱的だった。何故背中で背負う方法を選ぼうとしなかったのだろうか。このバランスの悪い運び方は両手が塞がる。襲われたら戦えない。

「おい、離せ」

 そう俺が動くと、ギールは何よりも冷ややかに俺を見た。

「落ちますよ、副隊長。それにこれは貴方への罰でもあるのですから」

 と、勝手に進み始めた。

 流石の俺も本調子ではないため、慣れない揺れに体が固まった。見られている視線を受け入れることが出来ずに、ギールの胸元に顔を隠すしかなかった。いっそ、殺してくれた方が良かった。こんな半殺しにされるのなら。こんなことを俺にせずに、イシャルにやってもらいたかった。何故俺はこんな目に合わないといけない。

「体調の自己管理が出来ていないからですよ、副隊長」

 ギールは心を読まれ、俺は息を止めた。遂にギールはそんな能力も修得したのだろうか。俺は苦笑いをすることしか出来なかった。これではいつまでも経っても、ギールに勝てないのだった。俺は体から力を抜くと、されるがままに身を任せた。抵抗しても意味がないのだった。既にギールの掌で踊らされていた。安心したからだと思いたくはないが、人の肌の温かさで俺は少しずつ眠くなってきた。まだ仮眠では治り切っていないようだった。ただサボり魔とは言われたくない。

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