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「どうしたのですか、副隊長? 明日、弾丸の雨でも降らしたいのですか?」
目を開ければ、不安そうな目をしたギールが俺の肩に手を置いていた。やっと普通に心配してくれたか。文脈がおかしいことを除けば。俺はむくりと起きると、そのまま椅子の背もたれに倒れた。駄目なギールの言葉を聞くより、天井のシミでも数えている方が心地良かった。何も喋らないからこその良さと言えた。俺は頭を荒く掻いてから、視線を横に向けた。何度も見たことのある外の通りだったが、陰が少し前に見た時よりかは短くなっていた。
「昼時か……。腹が減ったな」
「そのような時間のようですね」
と、ギールも腕時計を確認していた。
ギールは書類を素早く片付けると、俺を見た。やけに早く動き、腕が何本か増えているように見えたのは気のせいだろう。
「副隊長、一緒に食べに行きますか?」
「行かない」
俺はそう呟きながら、ギールを手で追い払った。静かに伸びをすると、関節が鳴った。中々座りっぱなしなのも良くないようだった。
「そうですか……」
と、ギールはいつもと同じ反応をすると、立ち上がった。
椅子をしっかり元の場所に直す部分が、しっかり性格を表していた。ギールは鼻歌を歌いながら、ゆっくり扉へと近付いていた。扉が独りでに開くと、イシャルが顔を出した。いつまでも俺を見る水色の目は怯えていた。仕舞いにその白い髪も震えていると錯覚しそうだった。今日はギールと同じでお洒落をしているようだった。青いギンガムチェックのシャツを着ていた。軍服の俺一人に、お洒落二人。俺が負けていた。気にすることではないのに、俺はいらない所で観察眼を使っていた。
「失礼します。……クロスネフ副隊長。ギールさんはいらっしゃいますか?」
いつもと同じ登場に俺は無言で、イシャルの斜め横に立つギールを指差した。イシャルはギールを見ると花開くように、顔全体で喜びを表現していた。毎日同じだが良く飽きないのだった。ギールはイシャルにそっと近付くと、その手を取った。
「行こうか、イシャル」
イシャルはギールを見て頷いたが、俺の方に振り向いた。
「クロスネフ副隊長はどうしますか?」
と、いつものように同じことを二度イシャルに繰り返される。
「俺は一人が良いんだ」
何も俺は二人の幸せな時間を奪うつもりはなかった。勝手に仲良く、視界に入らない所でしてくれたら良かった。そうすれば俺の傷が痛むことがなかった。イシャルは去る前に俺を見た。
「それでは失礼します。有難う御座います」
と、イシャルは何も言わずに立ち去るギールとは違い、何とも礼儀正しかった。
出来れば恋人の方にも参考にしてもらいたかった。ただ当の本人は、うきうきの気分で出ていくのが横目で見えた。あれでは中々無理そうに見えた。扉が閉まると部屋は静寂に満たされた。俺の息さえも目立つように感じられた。最初から俺しかいないように思えた。二人が何をするのだろうか。二人が楽しそうに歩く様子がふと脳裏に過ぎった。俺は頭を左右に振ると忘れることにした。ギールが相手を見つめて幸せになって良いことだった。俺が焼き餅を焼く必要はどこにもなかった。俺が奪える相手ではなかった。一人でいるから、俺は寂しくなるのだった。
「……セイン」
そう小さく呟いた。以前普通に名を言ってしまった時に、セイン二世が部屋に呼び込んできた、苦い記憶があったからだった。セイン、その名前を紡げば決して忘れることのない、彼の笑顔が脳裏に浮かび上がった。それだけに包まれることが出来れば、俺はどれほど幸せになれただろうか。セインの美しさを思い出せることが最後の情けというように、抑えきれない吐き気が襲ってきた。俺はゴミ箱に急ごうとしたがバランスを失い、椅子から転げ落ちた。気持ち悪さで痛みに声を上げる暇もなかった。昼を一人で食べるのではなく、食べれないことをギールに知られる訳にはいかなかった。今はまだ上手に何とか誤魔化すことが出来た。だが、次がどうかは分からなかった。
「セイン……二世」
俺が何とかその名を呼ぶと、犬の鳴き声が遠くからした。セイン二世は器用に前足で扉を開けると、俺の側に駆け寄った。机の下の俺を見つけると、鼻を俺の顔に近付けた。俺はセイン二世を動かしにくい手でぎこちなく撫でた。セイン二世は俺の首元に頭を押し付け、俺が起き上がるのを手伝ってくれた。セイン二世が大きな狼のような犬であるから出来たことだった。俺が椅子に座ると、セイン二世は俺が何かを言う前にゴミ箱を咥えてきた。セイン二世が運びやすいように、小さめにしていたのが良かった。俺はゴミ箱を手に取るとそれを包み込んだ。そんな物を抱きかかえるなど恥だったが、今はそれを言う暇がなかった。その体勢を維持していると、吐き気が少しだけ治まった。流石に何度も弱い所を見せる訳にはいかなかった。俺は決して臆病者ではなかった。俺はあの銀狼隊の副隊長であった。
重たい体を鞭打つと、応接用のソファに腰を下ろした。吐き気が再発しないように、ゆっくり寝転がることを心がけた。だが、すぐに布団を持ってきていないことに気付いた。仕方がないと俺が目を閉じると、布団が不器用にだが俺の体を覆った。視線を下ろせばセイン二世が、執務机の下に隠していた布団をわざわざ運んでくれていた。俺は寒がりだから自分のために用意していた物だった。
「……あり、がとう」
そう俺が言うとセイン二世はソファに乗り、空いている隙間に体を寄せた。俺の足が潰れないように、気を付けて座っていた。俺はその温もりを感じながら、眠りに誘われた。セイン二世が寝ている俺を、悪夢から救ってくれると思えた。俺は何かを考える暇もなく、眠りに就いた。寝ている夢の世界なら、どのようなことからも解放される気がした。ただ執務机に大切に保管している、セインの日記から遠いのは少々心細かった。
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