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「ゼド、何を食べる?」
俺はセインの声がして、顔を上げた。いつの間にか俺はセインと共に、どこかの屋敷の庭園にいた。鳥の囀りが聞こえ、心地良い楽園のように感じられた。セインは太陽に当たり、キラキラと輝いていた。もし背中に翼があったら、どれほど美しかっただろう。僕が好きな笑みを浮かべながら、からかうような表情をしていた。白く綺麗なテーブルの上にケーキが何個も置かれていた。ピスタチオのムース、チョコベリーのケーキ、フルーツタルト、コーヒーとオレンジピールのケーキ、アップルパイ。どれも俺が食べられないものばかりだった。
「君の好みは分かっているよ」
と、セインは指を鳴らした。
すると、全ての皿が片付けられ、俺が好きなロールケーキが置かれていた。しっかりとご丁寧に生クリームが抜かれ、生地だけだった。俺はホークでそれを小さく分けながら食べた。久しぶりに食べるお菓子も中々良かった。セインは俺のことを見るだけだった。
「美味しい?」
「うん」
俺はそう頷きながら、セインが望んだであろう光景を思った。彼はこんな感じのデートがしたかったのだろうか。したことがない俺には分からないことだった。
「ふふふ、クリームが付いてるよ。ゼド」
セインに言われ、俺は口元にクリームが付いていると知った。だが、生クリームを抜いているロールケーキを食べている俺には関係のない話だった。世界の矛盾により、全てが崩れていくのを感じた。やはり、俺が見ているセインは本物ではない。この世界も現実ではない。儚く、脆く、偽物である。セインは俺に何も言わずに、砕け散った。俺の手元には何一つ残らず、俺は空間に一人残された。
意識を覚醒した俺は、周りを見るために片目を開けた。丁度、ギールが誰かに笑みを浮かべていた。イシャルにお菓子を分けて、二人で楽しんでいる最中だった。俺は無言でそれを見つけた。あのような夢を見てしまうのも、何故か納得出来た。俺の前でわざわざせずに、是非とも爆発してもらいたかった。この場所には手榴弾なら幾らでもあった。末長くお幸せにと言うしかなかった。ギールは視線を移して、俺を見た。
「あ、副隊長。目が覚めたのですね。丁度、お菓子の時間をしていたのです」
ギールは問題が何もないかのような調子だった。下手をすれば俺もそれに飲み込まれそうだったが、そう簡単に騙される訳がなかった。
「そう……出て行け」
俺は動けるようになった体で布団を投げたが、それがギールに届くことはなかった。ギールはイシャルに目配せしてから、立ち上がると落ちている布団を拾った。
「乱暴に投げると埃で汚れますよ」
と、慣れた手付きで畳んでベッドの上に置いた。
俺に近付くと笑みを浮かべた。
「おはよう御座います、副隊長。元気になったようで安心しましたよ」
まだ俺が本調子ではなかったから、ギールはこれ以上絞られることがなかった。俺は今までで一番自分の体調のことを恨んだ。拳を握り締めた所で何かが変わる訳でもなかった。俺がギロリとイシャルに視線を送ると、イシャルは萎縮していた。またそうだった。俺は常に悪役だ。ギールは気付かれないようにイシャルと俺の間に体を滑らせた。だが、俺の目を誤魔化すことは出来ていなかった。やはり、愛する者は可愛いらしい。俺も他人のことをどうせ言えないのだろう。今日何度目かの溜め息を零すしかなかった。
「で、何を食べていたんだ? ゴキブリは呼び寄せるなよ」
流石の俺でもそれほど楽しんでいたのなら、何か気になるのだった。ギールはポケットに手を入れると、俺に一つ差し出した。俺は受け取って裏を見た。アーモンド入りのクッキー。食べられない物だった。俺が羨ましがらないための配慮だろうか。分からない。何故シンプルなプレーンクッキーじゃないのだ。何故食べれない物をいつもこう混ぜられるのだ。後俺は青虫はいけるが、飛ぶ虫の羽音は容認出来なかった。ゴキブリは何故嫌いか説明はいらないだろう。
「いらない」
と、俺はギールに返した。
「そう言うと思いましたよ」
ギールはポケットに入れる素振りを見せたが、俺の前で堂々と食べた。一気に呷るようには食べず、俺を煽るようにチラチラと見てくる。ハエ叩きで叩きたくなる顔だった。寝起きで腹が減った人の前でそれをするとは。普通であることを始めから求めてはいないが。俺の腹が鳴った。鳴らざるを得なかった。
「夕食にでもしますか?」
俺が考えていた内に、ギールは俺の部屋の扉を開けて待っていた。案外執事の燕尾服も格好良く着こなせそうだった。俺は適当に頷くと立ち上がった。足元はしっかりしていた。俺の足で立っても、ふらつく様子はなかった。俺がギールの下に辿り着くまで、ギールは呑気にイシャルと笑談していた。俺はそれを無視しながら、廊下を歩いた。早足の俺を追いかける足音が背後からしたが、気にすることではなかった。縺れそうな足を必死に動かし、距離を離した。鬼ごっこのように遊んだ訳ではなかった。
先に食べている隊員を眺めながら、俺は食堂に入った。やたらと辺りが張り詰めているようなピリッとする感覚がした。だが、その発生源を探すことは出来なかった。ゆっくり進もうとした俺を、ギールが背後から押した。
「止めろ」
と、俺が言っても背後から押される力は変わらなかった。
臨時で置かれていたと思われる、通路側の椅子に俺は肩を押さえながら座された。公開処刑でも始まる気がした。散らばっていた隊員が全員俺の側に近寄り、後ろから大きなケーキを一人が運んできた。それを俺の前に置くと、全員が飛び上がった。
「クロスネフ副隊長、お誕生日おめでとう御座います」
その声が食堂に響いた。遠くでクラッカーのなる音もした。俺は動きを止め、ケーキを見つめた。大きくて太いロールケーキだった。特注のようで生地が普通のよりも厚く、生クリームが少なめだった。わざわざ俺の舌に合うものを用意したようだった。しっかりと皿の上に「ゼド・クロスネフ副隊長 お誕生日おめでとうございます」とチョコペンで記されていた。俺はチョコがそれほど入らないので、誰かが食べてくれるのだろう。俺は自分の誕生日がいつかを覚えていなかった。そうか、知らぬ間に今日だったようだ。生まれた日が分からない捨て子の俺のために、セインが俺の入隊日を誕生日にしてくれた。だが、俺は忙しくそれをすっかり忘れていた。わざわざこのような場を設けてくれるのは、非常に有難かった。心が温まった。ただ俺よりも周りが喜んでいるのは謎だった。俺の誕生日でないとしても、毎日が祝い事と思っていそうだ。
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