黒狼と黒犬 ゼド・クロスネフ

 暗い廊下を歩く中、ゼドは私室の前に黒い影があることに気付いた。少し近付くとそれが黒い四足動物だと分かった。だが、何故私室の前で座っているのかの答えにはなっていなかった。ゼドは兎に角早く眠りに就きたかった。今日はギールに胸倉を掴まれたからだった。素直にその感情を認めれば良いのに、流石のギールでもそういう訳にはいかないようだった。たまには仕返しが出来た気がし、ゼドは多少満足した。ただこのやるせない気分が消えることはなかった。

 ゼドは犬を見下ろしながら、溜め息をした。犬は頭を横に傾けた。犬に気を遣われているように感じ、ゼドは居心地が悪くなった。腰に手を置くと、犬に指差した。

「良いか。お前の可愛い攻撃は俺には効かないんだ。分かったか、犬ころ? なら、ギールの監視にでも行け」

 犬は立ち上がると少しだけ廊下を進み、すぐに戻ってきた。ゼドは額に手を置いた。

「もしや、俺は犬にもナメられるのか?」

 ゼドがしゃがむと犬はゼドの前に近付いた。ゼドは唸ってから、犬に指示を出した。

「お座り」

 犬は舌を出しながら、その場に座った。目が曇っておらず、透き通っていた。それがゼドには憎らしかった。頭を振って嫌なことを忘れると、ゼドは続けた。

「お手」

 犬はゼドの手に手を置いた。ゼドは温かい肉球を感じ、生きているのだと感じた。立ち上がると犬が心配そうにゼドを見た。ゼドはそれを無視すると、私室の扉を開けた。犬はゼドを待たずに先に進み、部屋の中を一通り探索した。その背を見ながら、ゼドはセイン以外に部屋に読んだのが、この不思議な犬だと気付いた。犬はゼドの前に座ると、ゼドを見つめた。ゼドは寝る準備をしながら、犬の様子をたまに眺めた。気にしていた訳では決してなく、荒らされていたいないかを見ていた。だから、歯を磨いている最中や髪の毛を乾かす時に見ていたのも、気のせいだった。ただどの時にでも座ったままの姿勢で、犬は体勢を変えて休む様子がなかった。

 体を洗ってさっぱりしてから、ゼドは布団の中に入った。床を見れば犬がまだそこにいたので、ゼドは仕方なく声をかけた。

「来い」

 そう言うと犬は勢いよく立ち、ゼドの元に現れた。ゼドが布団を上げて場所を作ると、犬は中に潜った。辺りを少し確かめてから、犬はゼドの隣に寝そべった。ゼドは犬から少し離れると眠ることにした。だが、気付けば犬のことを撫でていた。犬は少しずつゼドの方に近付き、ゼドにぴったりとくっ付いていた。ゼドは一旦犬のことを忘れることにした。

「おやすみ」

 と、目を閉じた。

 ゼドは夢の中で気付いていなかったが、犬の首周りに腕を伸ばしていた。ぬいぐるみを抱くように犬を触ると、その首に顔を埋めていた。犬は嫌がることなく、されるがままにゼドとの時間を過ごしていた。まだベッドに入れてもらい、温かい夜を過ごせるのは数回だけだった。この人間は良い人のようにい思われた。

「セイン。セイン……」

 と、囁くような声で何度も耳元に言われ、犬はそれが自分の名前だと理解した。

 ギールは名付けで揉めることを考慮し、まだ名前を付けていなかった。それが裏目に出る事態となった。朝になりギールは、朝が弱いゼドを起こしに行くことにした。私室を叩くが中から反応はなかった。やはりまだ寝ているようだった。予備の鍵で扉を開けると、ギールはゼドのベッドに近付いた。布団の中から生えるように犬の顔が見えた。目は空いているが部屋の主人のために、わざわざ寝た状態でいた。ゼドは未だ寝ぼけているようで、犬に吸い付いていた。

「セイン、セイン」

 そう口から何度も続けていた。ギールはゼドの足元に周り、布団の両端を持つと大きく引っ張った。突然寒くなり、ゼドは更に犬に体を丸めた。仕方ないとギールは大きく両手を叩いた。

「副隊長。起きて下さい。セインはもういないのですよ。それは犬です」

 と、その時犬が反応した。

 ギールはもしやと思った。一晩中セインのことをゼドが言う可能性があった。その場合、犬がそれに反応してしまうのは仕方がなかった。それも悪くはなかった。少し間違ってしまったのが、ゼドだった。

「セイン」

 その名を呼びながら、ギールは床を指の腹で叩いた。すると犬は起き上がり、ギールの元に飛んで来た。予想していた事態となり、ギールは頭を悩ませた。一先ず犯人を起こすことにした。両肩を揺らしながら起こした。突然寝ぼけて攻撃されても大丈夫なよう、距離を保ちながら。

「副隊長。貴方が隊長を呼び続けるせいでこのお犬さんの名前が、セインになりましたよ」

 ゼドは急いで目を覚ますとギールを見た。

「それはセインではなく犬っころだ。犬は犬で、セイン二世だ。セインではない。セインは彼一人しかいないんだ。……セイン二世・ギンロウ」

 と、呟いてから目を閉じた。

 また眠りの世界に入ったようだった。ギールはセイン二世を見つめた。するとセイン二世はゼドに近付くと、腹に鼻を押し続けた。

「止めろ、くすぐったいだろうが。俺はもう起きている」

 ゼドは笑いを抑えられずに、必死にセイン二世を止めようとした。だが、セイン二世は遊んでもらえていると思い、何度もゼドの手を舐めていた。手が汚れていくのをゼドは、眺めるしか出来なかった。

「おはようございます、副隊長」

 そうギールはキリっと笑みを浮かべた。セイン二世も嬉しそうに尻尾を振ると鳴いた。ゼドはベッドに座ると一人の人間と一匹の犬を睨んだ。

「共犯が。俺の眠りを妨害するな。……許されない重罪だぞ」

 と、ベッドに倒れ込んだ。

 ギールはセイン二世と目を合わせると頷いた。またセイン二世の攻撃が始まった。このようにして、可愛い目覚まし時計がゼドを付き纏うようになった。ゼドは普段はセイン二世を無視していた。だが、人がいない所でもみくちゃにしていることをギールは知っていた。黒狼と黒犬。二匹は仲良く銀狼隊で過ごすこととなった。

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