好奇心は狼を殺す ある隊員

 隊員は別の部署から頼まれた書類を手に、廊下を進んだ。仲間の一人が戻れというような仕草をしたが、隊員は書類を必ず今日渡す必要があり、遊びに構う時間はなかった。扉を軽く叩くと仲間はどうしようもない、と諦めの顔を勝手にしていた。何のことかと聞く前に、扉の向こうから入室の許可が聞こえた。隊員は身嗜みを確認してから、部屋の中に入った。執務机に眠るクロスネフ副隊長を見て、隊員は歩み寄る足を止めた。仲間の忠告に従い、後で行く方が正しいのだった。隣には椅子に座ったシルヴィス隊長が笑みを浮かべながら、クロスネフ副隊長を眺めていた。シルヴィス隊長は頭を横に動かすと、隊員を睨んだ。

「済みません」

 と、隊員が囁くとシルヴィス隊長は隊員を呼び寄せた。

 シルヴィス隊長は内心嫌そうなのを隠すことがなかった。隊員は今すぐにでも去りたくなった。涙目になりそうになるのを必死に我慢した。更に怒らせないために、出来るだけ音を出さないようにした。

「ご苦労」

 短く言われると、隊員の手から書類が奪われた。隊員はシルヴィス隊長に戻るよう、扉を指差された。軽く頭を下げると、隊員は急いで回れ右をした。扉の外では仲間から労いの言葉をかけられ、背中を軽く叩かれた。だが、隊員からすれば出来ればもっと分かりやすく伝えて欲しかった。このようなことが起きると知っていたのなら、わざわざ地獄の門を叩く訳がなかった。普段のシルヴィス隊長は天使のように見えたが、今日だけは悪魔にしか見えなかった。逆に普段は少し刺々しいオーラを出すクロスネフ副隊長が、今日だけは近寄りやすそうに見えた。

「クロスネフ副隊長は空いてないぞ。そんなことをすれば、シルヴィス隊長に殺される」

 と、仲間が顔を真っ青にしながら言っていた。

 隊員はそれを知っていた。ただ恋は人を大きく変える、と実感しただけだった。隊員は隊長室の扉を一瞥すると、次の仕事へと歩き出した。まだ今日は仕事が多く、休憩する暇がなかった。

 ギールは隊長室へと歩くと廊下で人が妙に集まっていることに気付いた。また独占欲の強いセインが、ゼドの可愛い様子を独り占めしようとしたが、見せつけては追い出すのをしていたのだった。ギールは心の中で溜め息をすると、隊員を見た。

「早く散れ、邪魔だ」

 と、言ってからギールは中に入った。

 数人から敵意が飛んできたが、ギールは気にしなかった。実際に刺そうとしてこない限り、それらは無害といえた。刺した時には全身全霊をかけて反撃をしても許された。もしやり方を間違えて、命を奪ったとしても。室内に入るとセインがゼドの髪の毛を愛でていた。隊長室がどこかの丘の木の下であると錯覚してしまうほど、二人の間には優雅な空間が広がっていた。セインはギールを見ると、顔を横に向けた。なるほど構うつもりはない、という表しのようだった。ギールはセインに声をかけた。

「隊長。隊員で楽しんだり、遊んだり、虐めないで下さい。誰も奪わないと分かっているでしょう?」

 セインはゼドを寝顔を楽しんでから、ギールを睨んだ。

「背後から刺されそうな人には言われたくない」

 子供のように拗ねているセインに、ギールはお手上げだった。ただ先程の隊員が立ち直れることを願った。

「はいはい」

 と、適当にセインに頷いた。

 どの道セインも状況を遊んでいるのだった。ゼドが隣にさえいれば、後のことを何でも良くなり後回しにするくせがあった。だが、今はゼドを起こす訳にはいかなかったので、ギールは応接用のソファに腰かけた。セインの楽しむ声が聞こえたが、ギールは聞こえないと自分に暗示させた。見守るのは好きだったが、近くで楽しまれるとどうすれば良いか困った。大きな欠伸をしながら、ゼドは目を開けた。

「……ん?」

 寝ぼけた目を擦りながら、ゼドは辺りを見渡した。

「おはよう」

 と、隣にいたセインがゼドの髪を撫でた。

 ゼドは少しずつ意識を覚醒していき、状況を理解した。

「邪魔だ」

 セインの手を髪から荒々しく下ろすと、ゼドは急ぎ足で部屋を出て行った。隣の扉が開いてから閉まる音がした。セインは机に倒れ込むと、大きな溜め息をした。その目はこの世の終わりを映していた。

「ゼドが行っちゃった……」

「そうですか。隊長の責任です」

 と、ギールはセインを切り捨てた。

 セインは拳で机を殴ると、何かを喚いていた。過剰に反応するセインを放置し、ギールは必要な書類を集めてから隣の副隊長室に向かった。ゼドは先程部屋に戻ったというように、既に執務机に向かって仕事を再開していた。未だ役に立たないであろうセインとは違い、ゼドの任された仕事を必ず成し遂げた。誰にも公平な対応をした。それらは下に付くギールからすれば、ありがたいことであった。ゼドが集中しているのを見てから、ギールはゼドのために好きな麦茶でも入れることにした。

「感謝する」

 氷を入れて猫舌でも飲めるようにすると、ゼドは手を止め、マグカップに手を付けた。だが、それでも確かめるように少しずつ喉に流し込んでいた。半分まで飲むとマグカップをコースターに置き、再度仕事を続けた。ギールはその様子を眺めてから、部屋の扉に手をかけた。

「美味しかった」

 その声を聞くことが出来、ギールは嬉しくなった。

「どう致しまして」

 そう返事をすると、部屋から出て行った。机に張り付いているであろう、セインを引き剥がす大変な仕事が待ち構えていた。

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