トロッコ問題 セイン・シルヴィス

 僕は初めて君に会った時、思ってしまったんだ。君は何よりも美しいと。僕の宝石箱のコレクションの一つとして、収めたくなるのだった。君は何よりもキラキラと光り輝いていた。僕は迷わずに思った。君のためになら死ねる、と。深く考える必要もなく、そう分かった。君が現れるまでの世界は平坦で面白みに欠けていた。何もしていなくても周りは忙しなく動いた。僕は他人など気にかける方ではなかった。ただ生活するために、持たれ持たれつの関係であった。だが、いつでもそれを切ることが出来た。人の絆など薄く脆くて壊れやすい物だった。それは親だろうと家族だろうと全て同じに見えた。僕は他者を気にしない、冷たい人間なのだ。だから、僕はトロッコ問題で君に言ったんだ。僕なら、全員纏めて爆殺する、とね。

 それは揺るがぬ決意だと思っていた。揺らぐことなどない、と。だが、運命とは不思議な物で案外そうでもないようだった。今なら言える。僕はどちらも見捨てるだろう。どちらも見捨てて君の元へと行く。僕の行く先を邪魔する者がいたら、民間人であろうと変わらない。英雄と言われる者には似合わないことをして、君を悲しませるだろう。人の命は軽い。最期の言葉を言わせることなく、逝かせることが出来る。そして、血塗れの顔のまま、君の手を取るだろう。結局、今になっても僕はトロッコ問題を前提から破綻させてしまう。互いに選択肢にない答えをするのが、僕らは好きなようだ。

 君をこの目に収めた時、君は勇敢な狼のようだった。まぁ、ギールにはそれを言うのが恥ずかしくて、犬と言ってしまったのだが。犬扱いしたい訳ではない。僕にとって君は黒狼に見えた。君の隣に立ちたくなった。所謂、一目惚れということなのかもしれない。君が黒狼なら僕は白狼だろうかと思った。だが、少し考えて止めた。僕はそんな潔白の白を名乗れるほど、清い人ではない。穢れた闇が混じった濁った白と言えるだろう。それを被るように僕は銀狼と名乗ることにした。それが許されるかは分からないが。それに始めからそう勝手に呼ばれ始めていた、というのもあった。

 銀狼隊。それはやはり君というピースがいたから、綺麗に収まった部隊なのだ。君がいなければ部隊などなかった。隊員は誰もいなかった。名声などなかった。あの楽しい日々はなかった。全員で仲良く誰かの幸せを祝ったのは楽しかった。誰かがふざければ、全員で笑う。家族のように集い、助け合った。困難な状況という戦場であったとしても。ただ生きるために、生き残るために戦った訳ではなかった。僕らが僕らでいたいから。僕らが僕らの幸せを守りたいから。僕らの国を。僕らの子供の笑顔を守りたいからだった。だからだろうか、僕らは誰も欠けることなく戦い抜いた。これほど生存確率が高い部隊は非常に珍しいと思う。何度か奇跡の銀狼隊などと呼ばれてもいた。

 最初は小さく特に活躍も見込まれていなかった、銀狼隊。一見すれば僕らはバラバラに見えたのだろう。誰もが個性的だった。誰もが自分なりに守りたいものがあった。だから、いざという時に互いを尊重しながら、共に戦った。戦って戦って戦い続けた。そしたら、ふと顔を上げた時に僕らは何故か英雄と呼ばれていた。特に上層部からの対応が掌返しになったのは、見ていて面白かった。僕らは僕らの方法でやり遂げた。それだけで幸せだった。最初は小さな一歩であったとしても、その力は大きく何かを変えることが出来る。それを証明出来た気がした。

 ありがとう。本当にありがとう。そう誰にも伝えたい。たった一人では成し遂げることが出来ないことだった。銀狼隊のみんながいるから、出来た偉業だった。これからもみんなで何かを変えることが出来る。そう僕は信じてやまないよ。


 ゼドはセインの日記を閉じると、その日記に頭を載せた。溢れ出す涙を必死に抑えようとしたが、それを塞き止めることは出来なかった。ゼドは体を丸めると、声を殺して泣いた。袖で涙を拭いながら、主がいない静かな部屋を汚さないようにした。セインの温かい匂いは隣に感じられるのに、セインはどこにもいなかった。

「……ありがとう、セイン。ありがとう」

 と、ゼドは彼に呟いた。

 一筋の雫がゼドの指輪を濡らした。それはキラリと輝いた。

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