応援し隊 ある隊員
早くくっ付け。そう隊員は何度思ったことか。進展しにくい恋はこれまで何度か見てきたが、あの二人ほど進展しにくいのは初めてだった。それももどかしさを覚えるほどだった。一歩近付いたと思えば、一歩後退る。上司のシルヴィス隊長とクロスネフ副隊長のことだった。だが、そうも言えないのは仕方のないことだった。隊員から見ても二人はまだ出来上がっていなかった。シルヴィス隊長はいつまでも尽くすように見えた。ただクロスネフ副隊長の方がまだ無理だった。その感情に一切気付いていない。その異様なほどの鈍感さに見えたが、事実は違うと思われた。愛されたことのない人の症状であった。これはシルヴィス隊長に一肌脱いでもらう必要があるようだった。クロスネフ副隊長から気付く可能性は一パーセントに等しいと言えた。隊員は過去を探ろうとは思わなかった。ただ二人で答えを探ってもらうしかなかった。
隊員としても二人には無事にゴールインして欲しかった。それが全隊員の総意であり、幸せだった。銀狼隊は新しく出来たカップルを祝い、常に祝福していた。男性同士のカップルに一番優しい場所といえた。だから、戦場で死と隣り合わせだろうと気にしなかった。愛する者と背中を信頼し合いながら戦うなど、何よりも楽しく意気投合しているから可能だった。隊員は何人もどちらかの失敗で双方が死ぬのを見てきた。それほどバディは誰にするかが重要だった。誰も無駄死にはしたくなかった。生きたかった。銀狼隊のためにも。
食堂の椅子の端に座ると、隊員は今日も二人を眺めることにした。必ず現れる訳ではなかったが、大体決まった時間に昼食に現れていた。違った場合は仕方がなかった。運がなかったと。昼食に手を付けながら、隊員はゆっくりと回りを見渡した。平和な光景が広がっていた。誰も喧嘩をしておらず、今日は人も疎らなので聞こえる範囲に話し声もなかった。今日は外れかと隊員はサラダを口に含んだ。苦手な野菜に青じそをかけて相殺すると、味わうことなく流し込んだ。口の中の味を良くするために急いでスープを手に付けた。今日のトウモロコシの入ったコンソメスープは、やはり美味しかった。野菜など嫌だが栄養不足にならないためには必要だった。小さな溜め息を零すと、隊員は食事を続けた。
「楽しくなさそうだね」
そう声をかけられ、隊員はすぐに答えた。
「えぇ、そうですね。今日はまぁ」
と、話し相手が誰か横を振り向いて確かめた。
そこにはセインが立っていた。今日は一人のようで誰も周りにはいなかった。普通に話してしまい、隊長はやってしまったと思った。これでは狂信者に後から殺されるのだった。セインは笑みを浮かべた。
「そんなに固まらなくても。それより、恋のキューピッドって呼ばれてるんだって?」
隊員の前に座ったセインは、持っていたコーヒーに手を付けながら言った。隊員は固まった。その困ったあだ名をその口から言われるとは、まさか思わなかった。誰がバラしたのか、非常に気になった。その者には厳重注意をする必要があった。もう遅いかもしれないが。
「あぁ、誰からか聞いた訳ではないよ。ただそう聞いただけでね」
と、セインは付け加えた。
隊員にとってそれはそれで問題だった。噂が一人歩きするほど恐ろしいものはなかった。隊員は頭を横に振った。
「そんな大したことではありません。ただ分析が得意なだけです」
「そう? 君のお陰で、何人ものカップルが無事に成立したらしいね」
と、頭を傾けると隊員に笑いかけた。
隊員は下を見た。無意識であろうと魅了される訳にはいかなかった。顔が赤くなっていないことを願うしかなかった。周りを気にする暇もなかったが、変に見られていないことを思った。
「それでどうしたのですか、シルヴィス隊長?」
隊員は強引に話題を変えることにした。セインは手を組むと天井を一度眺めた。小さく唸ると口を開いた。
「そうだなぁ。少々攻略方法のコツでもこういうことの先輩に聞きたくなったんだ」
「は?」と言わなかっただけ、隊員は自分のことを褒めたくなった。一番の上司である人物から、そのようなことを言われるとは思ってもいなかった。話題的にはあり得たが、まさかだと思った。隊員は小さく乾いた笑い声を出したが、セインの真剣な表情は変わらなかった。仕方なく隊員は、セインと対等に向き合うことにした。
「それほど大変なのですか?」
「大変、と言うのかな。ただ僕が口下手なのもあるんだけど、難しくてね」
「まぁ、そうですね……」
と、隊員は素直に呟いてしまった。
普段のあの様子では進展しないのは言うまでもなかった。外野だから好き勝手文句を言えたが、内野の人は真剣に苦しんでいるのだった。葛藤しながら答えを見つけようとしている、と隊員はそこで気付いた。恋を応援する側に立っていると思っていたのに、いつの間にか自分は違う方向に立っていた。それではこれまでの信念に反していた。自分自身のことが非常に恥ずかしい、と隊員は思った。隊員は真っ直ぐセインを見つけると頷いた。
「それでは色んな方法を試してみましょう。すぐには成功しないとしても、必ず思いは伝わりますから」
「ありがとう」
と、セインから手を差し出され、隊員はその力強い手を握った。
訓練で皮膚が硬くなっていたが、温かさを感じられた。このようにセインは誰にも優しかった。それが誰であろうと関係なかった。優しさを振り撒くための区別など、最初からしていないからだった。これでは好きになりそうだ、と隊員はテーブルに隠れた拳を握り締めた。だが、それは出来ないことだった。誰かの幸せを奪うなど、一番許せないことだった。それをした日には自ら死ぬ方が良かった。自分の首の周りには、天使の格好をした悪魔が腕を回していた。
「貴方は幸せになってはいけないの。貴方が幸せになれば、誰かが確実に不幸になるのだから」
その言葉が何度も頭の中で響いた。嘆く顔。こちらに怒りの表情を見せながら、指差す幾多の人。いつまでも忘れる訳がなかった。呪われた自分は誰のためにもなれない、と。ただ見続けるだけが唯一許されたことで、贖罪と言えた。隊員はいつものようにその思いを切り捨てた。冷静になった視界で見えたのはいつもと変わらない、上司の姿だった。
「何かあった?」
セインに声をかけられ、隊員は軽く笑みを浮かべた。
「いえ、何でもありません」
「そうかい? なら、安心したよ」
隊員はセインの方を見たが、セインと目を合わせることは出来なかった。今日は思いの外、忘れにくいと隊員は心の中で溜め息を零した。会話をしながら食べた昼食は味がなく、灰色の粘土でも口の中に入れているようだった。今日は寝付くのが遅そうだと隊員は思った。
セインが亡くなったと知った日。隊員は全てを忘れるために、酒を仰いだ。だが、普段より不味いだけで終わった。暗い部屋の中、小さな照明にビールは輝いた。それを隊員は机に頭を付けながら、眺めていた。このまま泡になって消えたい。そう思った。椅子から立ち上がると廊下に出た。そのまま非常階段の方に行くと、屋上まで上った。電子ロックがかかっていたが、隊員は覚えていたパスワードを押した。鍵が開く音がし、静かに扉を開けた。外は夜風が吹き、寒かった。体が芯から凍えるようだった。その感覚だけが生きていることを教えてくれた。だが、どの道後少しすればそれもなくなるのだった。
隊員は手に届かない所にある山脈を眺めた。基地から漏れる微かな光では、その山頂は見えなくなっていた。果てしない闇を垣間見ている気がした。隊員は溜め息をした。自分の手を見れば、爪が青白くなっていた。この皮膚の下に赤い血が流れているのか、分からなかった。手すりを越えると、隊員は目を閉じた。最後に何かしがらみがあるかと思ったが、何もなかった。
「死ぬのなら、俺の子分になれよ」
久しぶりに聞いた声がし、隊員は後ろを振り向いた。
「何だ、狂狼。シルヴィス隊長に随分昔に殺されたと思ったが、違ったようだな」
狂狼。あろうことかクロスネフ副隊長を穢し、処罰されたと噂された人物。だが、狂狼はただ笑みを浮かべただけだった。
「あれはただヘマをしただけだ。こうして生かされているのだし。……で、返事は何だ、灰狼?」
隊員は自分の隊での呼び名を思い出した。今灰になりたい自分には、ぴったりな名だった。こんな状況でも動じない狂狼を見て、目の前にいるのは本物のようだった。
「俺は誰かを不幸にすることしか出来ない。それでもか?」
「あぁ、気にするな」
と、狂狼は頷いた。
隊員は乾いた笑みを浮かべた。
「なら、俺が役に立たなくなったらすぐにその手で殺してくれ。それを約束してくれるのなら、お前に魂を売れる」
狂狼は少し呆れたような顔をした。
「責任重大だが良いだろう……。今の所はな。だが、すぐに分かるよ、灰狼。どんな人でも必要とされることを」
隊員は狂狼の意味が分からず、口を開いた。
「どういう意味だ、狂狼」
「お偉い副官。いや、小隊長の下で働いたらな」
副官ということはシェベル副官のことだと思われた。だが、銀狼隊に小隊など存在しなかった。狂狼は何を知っているのだ、と隊員は思った。
「……小隊長?」
「おっと、それは追々とな」
と、狂狼は隊員を見ることなく屋上から去った。
隊員は狂狼が生きているのに自分だけが死ぬのが馬鹿馬鹿しくなり、景色を一度眺めると鼻で笑った。もう狂狼に魂を売った。なら、他に悩むことはなかった。いつでも殺してもらえる、そう思えるだけで心は軽くなった。
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