16
俺が俺を触るのは許して欲しかった。腹を見せながら、ぬいぐるみの黒狼よりも触り甲斐があることを必死に見せてきた。俺は口角を上げると両手でもふもふを楽しんだ。両手で持って抱っこをすると、俺は椅子の上にセイン二世を座らせた。俺も隣に腰かけると、粥鍋の蓋を取った。もくもくと白い湯気の後、夕飯の粥には鮭の橙色が乗せられていた。俺は熱いのを息で冷ましながら、食べ進めた。最初の一口で早速失敗し、火傷した舌がジリっと痛かった。だが、それを気にする暇もなくなるほど、粥は俺に食べ甲斐をくれた。
粥を平らげると俺は麦茶を喉に流した。好きな匂いで囲まれるのはとても良かった。ライチをホークで突いて口に入れると、食感と共に味を楽しんだ。ゼリーよりも柔らかく深みのある香ばしい味だった。俺はそれを楽しみながら、セイン二世の鬣を撫でた。気持ち良さそうにしているのが、見ていて癒やしに思われた。最後に麦茶を飲むと、俺はセイン二世の背中を撫でながら食後のお腹を休めた。セイン二世も俺に気を許したようで、堂々と俺の膝を枕代わりにしていた。本当にどこまでも生意気な犬だった。
「お前にとって俺はただの枕か?」
俺が真剣にそう聞くと、セイン二世は返事の代わりに手を舐めた。どこまでも舐められているようだった。ただそれがどこまでも精々しており、人よりも良かった。ただ愛せば愛してくれる。そんな簡単な関係を人はどこまでも複雑にするのだろう。セイン二世は俺に鳴くと不安そうな目を向けてきた。本当はどうか分からないが。本当はどう思っているか、分からない良さがあった。流石にセイン二世を支えるのに疲れた俺は、椅子をセイン二世に貸すことにした。俺はその間にトレイをまた扉の前に運び、歯磨きを済ませた。しっかりと食器の下には、ギールの感謝の言葉を記すことにした。俺の世話をする分、給料が出ている訳でもないのにギールは誠実でいてくれた。俺が以前払おうとしても、頑としてギールは受け取ろうとしなかった。だから、二人を応援することで少しは恩返しをしようとしていた。どこまで出来ているか分からないが。
「クロスネフ副隊長、追加の報告書です」
セイン二世と共にベッドでの時間を過ごしていると、灰狼の声がどこからかした。感情の籠もっていない声だった。俺は驚きで飛び跳ねそうになったが、心の中で終わり外に出ることはなかった。俺が顔を上げると灰狼が蝙蝠のように、天井からぶら下がっていた。多芸な人物のようだ。俺が無言で見つめている内に、灰狼は飛び降りると俺に新しいファイルを渡してきた。これは軽かった。
「ありが」
と、感謝を言い終わる前に灰狼は消えていた。
俺は夢なのかと目を擦り、セイン二世と顔を合わせた。扉が閉まる音がし、俺は急いで入り口に行った。トレイが回収されていた。一応声をかえて登場した後、扉から出たようだ。扉から入り扉から出ず、天井から現れ扉から出るのが灰狼だった。俺はベッドに戻ると、ファイルを開けることにした。先程の厚いファイルが嘘であるかのように、見やすい字で印刷されていた。先程のは印刷し間違いなのだろうか。報告書は文句の前置きが多く記されていたが、要約すると一つのことが書かれていた。冷酷に淡々とした文字で、それは他の出来事と同じように記されていた。俺は手が震え、ファイルを落とした。見たくもなかった。信じたくもなかった。こんな紙切れ一枚で知らされたくはなかった。フェルベル・イエダスがスパイであったと判明し、銃殺されたと。心神喪失での無罪から詐病であったと判断され、また敵国と繋がってた証拠も見つかった。そのため、軍会議での判決が逆転した。
「……何故、何故」
床に座り込むと俺は紙を握り締めた。読めなくなろうが関係なかった。アイツが苦しみ続ければ、セインを失った苦しみを和らげられると思ったのに。俺はこれからどうすれば良いのだろうか。俺を支えていた一番大きな石が引き抜かれ、バランスが崩れた俺は一気に全てが粉々になった。アイツは楽な死を選んだ。俺から逃げた。罪から逃げた。全てから逃げ、俺を嘲笑っていた。何よりも愛するセインを失い、今絶望している俺をどこまでも馬鹿にしていた。いや、無理矢理選ばされた。ギール・ジェベルという大悪党に。報告書にははっきりと裁判長として名前が記されていた。秘密裏に片付けたのだった。
「ギールめ」
と、俺は目を真っ赤にしながら奥歯を噛み締めた。
睨み過ぎて目が痛くなろうが、拳を握り締めて血が流れようが気にしなかった。セイン二世が俺に吠えたが、俺が殺意を向けるとすぐに黙った。枕のナイフと懐中時計を回収してから、俺はクローゼットの金庫を開けた。残りのナイフを所定の位置に隠してから、銃を腰に吊るした。そのまま急ぎ足で部屋から出ると、執務室に向かった。俺は執務室の扉を蹴り開けると、一人で書類を見ているギールの姿を確認した。ギールの前に近付くと、俺はホルスターから銃を抜いた。スライドを最後まで引き、俺はトリガーに指を置いた。これでいつでもギールの頭を撃ち抜けた。ギールは何も言わずに両手を上げていた。だが、その表情は俺は憐れんでいた。見たくもない顔だった。
「何かを言え、ギール。お前のくせに、俺を憐れむような目を向けるな」
俺は痛くなる胸を誤魔化すように、銃を更に近付けて威圧した。息を呑む音がすると、イシャルが俺とギールの間に体を挟ませた。身を挺して愛する人を守るのは、何とも美しい物語だった。ただそれは今一番見たくない物だった。俺はギールとイシャルに見られ、後退った。耐えられなかった。
「俺が悪いかのように見るな。俺が……俺がアイツに成り下がったようじゃないか」
と、俺は二人に叫んでいた。
セインを失った瞬間がフラッシュバックし、銃を持つ俺の手が血塗れになっていた。セインの血なのか俺の血なのか。幻なのか現実なのか。頭がパンクした俺には判断が出来なかった。銃が落ちた音にも気付けず、俺は頭を抱えていた。嫌だった。忘れたかった。見たくもなかった。セインを失った苦しみに。何も出来なかった苦しみに俺はまた溺れていた。俺は逃げるように走り、壁にぶつかるとそのまま頭を壁に何度も打ち付けた。
無数の手が俺を止めようとするが、俺は止まる訳にはいかなかった。四肢を押さえられながらも、俺は何度も頭を左右に振った。もう何が何だが分からず、俺にはそれしかすることが出来なかった。鼻を押さえられ、息が出来なくなった俺は自由を求めるように口を開いた。すると水が注がれ、気管に入った俺は咽せて咳き込んだ。誤って何かを飲み込んだが、俺は咳で呼吸をするのが辛くなり、それどころではなかった。背中を叩かれ、少しましになったかと思えば、視界がくにゃりと曲がった。床が分からなくなり、俺は底のない穴に前向きに倒れそうになった。だが、その前に俺は誰かに体を掴まれた。何かを言うことも出来ずに、体ごと闇に沈められた。
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