15
こちらの意見をしっかりと伝え、問題が起きないようにする必要があった。メヴィスはゆっくりと頷いた。
「えぇ、それは承知しています。ただ本来次期当主であったはずのゼド様に、ご紹介しない訳にはいけません。ゼド様はウェルヴィス家の事情を考慮し、座をお譲りしました。が、ゼド様の席を奪ったからには、それ相当の働きがシリゼスには求められます。またゼド様はいつまでもウェルヴィス家にとって、大切なお方ですから。ご挨拶は後日になるかと思います。ご不便をおかけして、誠に申し訳御座いません」
そう言うことかと俺は納得した。だが、そこまで大層なことではなかった。ただ面倒だから蹴った、というのが事実だった。俺は何よりもセインの遺した銀狼隊を守りたい。そのために他のことには集中したくなかった。だから、俺はジェイド・ウェルヴィスの名を捨てようと考えていた。例え素晴らしい父親がいようとも。それを既に父は許してくれた。生まれて初めてで最後の、俺の何よりも傲慢で大き過ぎる我儘だったが。また厳格に見えるメヴィスなら、もしも息子が問題を起こしても自分の手で片付けそうに見えた。
「俺はずっと基地にいるから空いている時で良い、と伝えてくれ」
わざわざ俺のために時間を割いて貰う必要はなかった。
「了解しました」
と、メヴィスは言うと再度口を開いた。
「またお越しになった日にはお手合わせでもしたいですね」
何とも楽しそうにメヴィスは話していた。
「お手柔らかに願うよ」
と、俺は肩を上下させた。
「黒狼ともあろう方がそのように弱気になるとは、珍しいですな」
メヴィスは茶化すように俺に言った。ただこれは俺が、冷静に分析した上での判断だった。メヴィスは中々強い。わざわざ翌日の仕事に支障が来すほど、俺は模擬戦に真剣にはなれない。それに未知な場所。安全をしっかりと確かめていない所に、自ら丸腰で飛び込みには行かない。それは地雷が置かれた草原を堂々と走ろうとするほどだ。
「臆病は悪ではない。命は誰も大切だからな」
戦場で自ら突撃する馬鹿はいない。つまりはそう言うことだ。
「冗談が過ぎましたね、済みません。少々久しぶりにお手合わせが出来ると知り、興奮してしまいました。楽しみですから」
メヴィスの目の奥が輝き、俺と同類だと知った。生まれながらの戦闘狂で、誰も矯正することは叶わない。憐れな者達ともふざけて言われるが。俺とメヴィスは目が合うと、大きな声で息が切れるまで笑い続けた。周りの車の運転手は何事、とこちらを凝視していた。一気に若い頃に戻り、二人でエネルギーに満ちていた。当主の息子と執事から同級生のように思えた。心が同じなら、年齢は関係なかった。もし俺が誘拐されず戦闘に興味があったのなら、メヴィスは俺の師匠になっていただろう。一日中師匠の元に行き、教えを請いていたのかもしれない。俺が欠伸をするとメヴィスは眠らせるためにか、ゆっくりと落ち着いた音楽をかけた。自然と俺の瞼は重くなり、「おやすみなさい」という声が聞こえた。
足元が揺れていると気付いた俺は目を開けた。誰かに抱えられて、丁度廊下を歩いているようだった。俺はデジャブを体験した。顔を上げ、すぐに誰か分かった。ギール。ギールとここで会うとは思わなかった。昨晩の俺と勘違いするほどに、血の気がなかった。これほど落ちぶれたギールは見たことがなかった。
「……何ともくたびれているのではないか、ギール?」
虚ろな目をしたギールは俺を見ると、目に光を戻した。たった今海の底から引きずり出されたようだった。
「副隊長、起きていたのですね。……気付きませんでしたよ」
声には元気が余りなく、絞られたことがよほど影響しているようだった。ただそれは俺のせいではなかった。
「もう起きたから下ろせ」
ギールにゆっくりと下ろされ、俺は地に足を付けた。ふと冊子がないことに気付いたが、ギールの部下の誰かに回収されたと思われた。俺は素早く執務室の方に急いだが、ギールが立ちはだかった。
「副隊長、許可した三時間はもう過ぎています。病み上がりの人は大人しくしていて下さい」
俺はギールを睨んだが、ギールには効かなかった。ギールの向こうの壁と勝負しているようだった。連れ戻される灰狼の文面を思い出し、俺は両手を軽く上げた。見られないように、小さく溜め息を零した。
「分かった。ただ俺の事件のことを調べてくれ。あの冊子が役に立つかは分からないが。後、活動記録も随時俺に出せ。これまで何を行ったかも。俺は裏でコソコソされるのが大嫌いなのだ。俺らは仲間だろ?」
仕事や睡眠より優先されるのは嫌だが、出来れば真相を解明したかった。無理させないために伝えるのも一苦労だった。ギールは素直に頷いた。
「はい、しっかり行いますよ」
と、一言呟いた。
ただいつもの掴みにくいギールになっていた。普段よりも表情が少ないので、更にやりにくかった。俺は回れ右をして部屋に戻る廊下を歩いていたが、正直言って部屋で自由にすることはなかった。自室に戻る直前に、俺はギールを見つめた。
「部屋に行っても暇なのだが……」
「昨晩体調の管理を怠った自分を恨んで下さい」
と、ギールに言われると中に押し込められた。
俺は閉められた扉を見続けることしか出来なかった。俺は一先ず椅子に座ると、足を子供のようにぶらぶらさせた。完全に暇をまた弄んでいた。俺の執務室では仕事が許されず、訓練場での訓練も出来ない。俺は椅子を窓側に運ぶと、外を眺めた。目下の訓練場では丁度、新兵の訓練が行われているようだった。だが、俺はすぐに見飽きた。
「……そうだ。たまには掃除するか」
椅子を元の場所に戻すと、俺はクローゼットを開けた。整備用品の箱とボードを取り出すと、テーブルに置いた。銃には俺の命が懸かっているので、丁寧に不備がないかを確かめる必要があった。急いでいる時は綿棒とオイルで済ませれたが、たまにはちゃんとするのも良かった。ボードの上にガンクリーナー、ガンオイル、潤滑剤用のガンオイル、布切れ、クリーニングロッド、歯ブラシ、クリーニングパッチを並べた。ホルスターから銃を取り出すと、引き金付近のボタンを押してマガジンを取り出した。次にチェンバーに弾が入っているかを確認するため、スライドを上げ中身を何度かチェックした。
「なさそうだな」
中身は空のようで弾はどこにも見当たらなかった。俺はほっとした。そして、銃を分解するために、人がいない方角に引き金を引いた。カチッと聞き慣れた小さな音がした。戦場を共にしたため、手にしっくり来るグリップだった。スライドを外すレバーを押し、ゆっくりスライドを前に動かすと外れた。銃はフレームとスライドの二つに分かれ、俺はスライドからガイドロッドとバレルを取り出した。
最初にガイドロッドを手に取ると布切れで拭き、俺はブラシでゴミを取った。バレルを綺麗にするため、クリーニングパッチにガンオイルを垂らした。それをクリーニングロッドに付け、チェンバーの方から何度か通した。クリーニングパッチに色が付かなくなるまで、数枚を消費した。クリーニングパッチにガンオイルを付けて軽く拭くと、布切れで再度拭き取った。歯ブラシにクリーニングパッチを付け、泥などのゴミを磨いた。バレルを置くと、そのままその歯ブラシでスライドを拭いた。銃口を下に向けながら、ブリーチフェイズを歯ブラシで磨いた。その後、布切れで拭いた。フレームの方を手に取ると、最初に布切れで軽くゴミを取り除いた。次にガンクリーナーの付いたクリーニングパッチで拭き、また布切れを使った。
気付けば俺はあの童謡を鼻歌で歌っていた。自分の武器の手入れは、楽しいことだからだった。子供の調子を聞くように手入れをし、褒めるように綺麗にするのだった。綺麗にするのが終わると、次は潤滑剤を付ける作業が待っていた。ガイドロットは使わなくて良いが、バレルは拭く必要があった。先程と同じクリーニングパッチを手に取ると、潤滑剤用のガンオイルを付けた。クリーニングロッドに通して拭くと、二度目は何も付けていないクリーニングパッチを通した。バレルの外側は潤滑剤の付けたクリーニングパッチで拭いてから、スライドと当たる所にガンオイルを付けた。最後に布切れでいらない物を取り除いた。そして、スライドやフレームにはガンオイルを付け、終われば綺麗なクリーニングパッチを使用した。
「後は組み立てか……」
作業中、ずっと集中していた俺は首を鳴らした。後もう少しすれば終わると思えば、気が楽だった。一度伸びをしてから、俺は切り替えた。スライドを手に取るとバレルを嵌めてから、ガイドロッドを中に戻した。次に左手で持ったスライドを右手のフレームに嵌め直すと、最後まで引き元の場所に収めた。スライドを上下させて大丈夫か確認してから、オイルがどこからも漏れていないかを見た。そして、トリガーセーフティがかかかっているかを確かめるため、トリガーセーフティではなく、トリガーだけを引いた。押すことが出来ず、しっかりロックされているようだった。最後に向きを確認してからマガジンを嵌め、音がしたら底を叩いた。しっかりと嵌っているようだった。俺はトリガーガードに指を置いて、一度構えた。ちゃんと元通りになっていた。ホルスターに直すと腰に普段の重さが戻った。
俺は背もたれに倒れて一呼吸してから、散らかった机を片付けた。整備用品の箱の空いている場所に物を直し、クローゼットに戻した。俺はやり方を忘れていなかったことにほっとした。椅子にまた座り、何をしようかと考えた。少し動き回ったせいで部屋が暑く、俺は服を扇いだ。すると突然真横で気配がした。灰色の髪の人物が立っていた。それは当然灰狼しかいなかった。
「……灰狼、どうしたんだ?」
灰狼はすっと立ち上がると、俺を見下ろした。
「病み上がりのクロスネフ副隊長はお休み下さい、と言いましたよね」
「……はい」
と、俺はすっかり恐縮していた。
何で俺の身の回りには、怒らせたら怖い奴しかいないのか。だが、じっとするのが苦手だからそれほど動かない銃の整備をしていた。ちょっと熱っぽいのも集中したせいだ、と言える空気ではどこもなかった。ぱっと見は俺の方が銃を携帯し、強そうなはずなのに一切強くなかった。俺を頭を掻いてから、ホルスターを外すと銃とナイフを金庫の中に戻した。音を立てずにベットに潜り込み、ナイフを護身用に枕の下に入れた。寝ている間に枕元で銃が爆発するのは悪夢でしかなかった。なので、入れようとも思わなかった。懐中時計をポケットから取り出すと、ベッドサイドテーブルに置いた。灰狼は口角を上げると口を開いた。
「後で楽しめる報告書でも用意しますので、一旦寝て下さい。でないと睡眠薬を飲ませますよ」
自ら寝るのではなく、強制的に抵抗出来ないようにされるのは何よりも嫌だった。飲ませると言うことは鼻を摘まれて、無理矢理流し込まれるという意味だ。震え上がるような拷問でしかない。それをより悪くしたのが水攻めだった。
「寝る、寝る」
と、俺は目を閉じた。
少し感じ始めていた頭痛が溶けるように消え、俺の体からも緊張が消えた。眠くないと思っていた中で、すぐに寝落ちたのは勝負に負けた気がして嫌だった。気付けば何か柔らかい物を握っていた。目を開けて見てみれば、俺は銀狼と黒狼のぬいぐるみを抱えていた。執務室の黒狼は知っていたが、銀狼は誰かの部屋から運ばれた物と思われた。こんな可愛過ぎる物を俺が持っている訳がない。俺は貰った物と他人の物を投げ捨てる訳にもいかず、丁寧に横に置いた。もうぬいぐるみと寝る歳ではない。それは遠の昔に過ぎていた。
足元に重石があると見てみれば、セイン二世が俺の足を枕代わりにしていた。俺が起きたのに気付くと、むくりと起き上がった。元気なおはようの挨拶をされた。俺はセイン二世を軽く撫でると、ベッドサイドテーブルを見た。厚みのあるファイルが置かれていた。俺はそれを片手で取ろうと失敗し、仕方なく両手で近くに運んだ。灰狼が持ってきた物のようだ。俺がファイルを開くと、丁度セイン二世が俺の隣に丸まった。俺は空いている手で温もりを求めた。
「ちっさ」
俺は報告書の字を見て、そう言ってしまった。意図的に読みにくいよう、小さいフォントで印刷されていた。大体の文字は潰され、新手の虐めと思われた。頑張って読み進めようとしても、朝とは調子が違うようで気持ち悪くなるだけだった。最初にいつ発足されたなどは読めたが、そこから先は止めた。そこに読みたい物があるのに、読めないのは何とももどかしかった。意を決して少ししてから再度挑戦したが、結果が改善する訳もなかった。腹が鳴り、俺は机に視線を送った。すると待っていたかのように同じ粥鍋が置かれていた。隣には夕食のデザートにライチが剥かれ、麦茶も透明なコップに入れられてあった。俺はその魔力に惹かれるように机に向かった。腹を空かせた者に食べ物を与え、腹を掴み関係を良くするギールの作戦なのだろうか。そうであるなら、俺はそれに引っかかった鼠だ。
「ん?」
後一歩で近付くという時に、俺は横を見ざるを得なかった。窓を飾り付けるように、黒い集団が置かれていた。黒いふさふさにもどれにも緑の目が付いていた。黒狼のぬいぐるみが綺麗に一列に並べられていた。全てが同じ黒狼ではなく、服を着ているもの、物を持っているものもあった。謎にそこで秘密集会が行われていた。埃一つなく大切に誰かにされていた。これは灰狼の趣味と思われた。また一層俺の部屋が他人の物で埋まっていた。俺は寝ている横でせっせとぬいぐるみを並べる、灰狼を想像した。俺を楽しませようと、自分なりに工夫してくれたのだろうか。ここまでの黒狼のファンが側にいるとは知らなかった。俺が一匹を触ると、セイン二世に後ろから突かれた。
「はいはい、分かっているよ」
と、俺はセイン二世も撫でた。
参考文献
・Gunscom. (2019, Oct 14). How To Clean A Glock[Video]. Youtube. https://youtu.be/QMIyG_Zl1Q4?si=JaxSkLMxuDiD9Sia
・ハイパー道楽. (2016, Aug 6). 実銃のグロック17を分解してみた! グアム実弾射撃2016[Video]. Youtube. https://youtu.be/F3vfNMWSbk8?si=iLXPX-zDFZmZGTCt
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます