23

 昔の出来事であるので影狼小隊でも調べにくい案件だろう。俺なら今でも忙しいのに、調べてくれるエキスパートがいるだけ有難かった。そのまま他愛のない会話をしながら、時間は瞬く間に過ぎて行った。夕飯の時間になるとイシャルに誘われて、三人でテーブルを囲むことになった。やはり楽しくワイワイする食事が良かった。今日はカレーライスだった。俺はルーが米より多くかかるのを嫌った。丁度混ぜれば、液体が消えるぐらいの量だけにするのが好きだった。ただカレーが口に残るのは嫌だったので。食べ終わるとすぐに歯磨きを終わらせた。ついでに時間があったのでシャワーも済ませると、メヴィスが迎えに来るまで待機した。玄関で待っているとメヴィスの車と思われるのがロータリーに現れた。俺は扉から出ると急いでフードを被った。夜は本当に冷えていた。シャワーで温まった体が急激に冷えていた。

「こんばんは、ゼド様。お待たせして済みません」

「待ってない」

 と、俺は言いながら助手席に乗り込んだ。

 行き交う車を眺めながら、俺はメヴィスに聞いた。

「で、あの男はどうだ?」

「医者に見せた所、本当の記憶喪失のようです。一応親族の方を見つけるために、情報は流しましたが」

「そうか」

 と、俺は頷いた。

 ただ不審者が暴れていないだけ良かった。下手なことをされれば、拾った俺の責任になる。俺は屋敷に着くとまたメヴィスに案内された。仕事を増やしたくはないが、迷子体質の俺だからどうしようも出来ない。扉が広くと男はベッドで何か本を読んでいるようだった。男は本を閉じると俺を見てきた。

「こんばんは、クロスネフさん。今日は助けて頂き有難う御座います」

 俺は感謝されて寒気がした。すぐに横のメヴィスを顎で示した。

「感謝ならメヴィスにしろ。俺は拾っただけだ」

「それでもです」

 と、無垢な目で俺を見てきた。

 俺はじっと男を見てから、溜め息をした。

「勝手にしろ。ただ今は寝た方が良いだろうな」

 俺は男の隣で椅子に座った。俺も何をしたいか分からないが、拾ったからには多少見ないといけないと思った。それにウェルヴィス家に全て頼るのも間違っていた。扉が閉まる音がした。メヴィスが気を遣って出て行ったようだった。男はベッドサイドのライトを消してから、布団に潜った。目を閉じたかと思えば、すぐに俺を見た。

「何だ?」

 足を一度組むと、俺は男にぶっきら棒に聞いた。

「寝れないな……」

「寝る努力をしていないからだ」

 と、俺が即答すると男は小さく笑った。

 笑われるのは不愉快だ。男は俺に近付くと俺の腕を掴んだ。下から見られると小悪魔のようだ。無駄なことを覚えているようだ。俺は振り解くと袖を叩いた。見られるのが嫌なのか。俺は目を閉じると、椅子にもたれかかり腕を組んだ。

「俺は見てないから勝手に寝ろ」

 布が擦れる音がし、部屋が静かになった。男はやっと諦めたようだった。部屋がやけに温かく俺も船を漕ぐようになった。起きようとしているのに俺は寝てしまった。部屋が思ったよりも温かくされていたからだった。


 男は暗い部屋で目を開けると横を見た。自分を拾ってくれたゼドという男が、椅子で寝ていた。音を立てないように布団を捲り、ベッドから抜け出した。温かい布団から出ると外は一気に冷えていた。拳を少し握り締めることで寒いのを紛らわすことにした。ゼドの前に近付くとそっとその顔を覗いた。暗いとしても黒髪は不思議に黒い艶があった。ゼドは頭を一度左右に動かしてから、何やら寝言を呟いていた。男は動きを止め、起こしていないかを確認した。そっと手をゼドの頭に近付けると、男はゼドの黒髪を優しく撫でた。自然と口角が上がっていたのを、男は気付いていなかった。ゼドを抱擁するように抱き上げると、男はゼドをベッドに運んだ。起こさないようにゆっくりとベッドに置くと、体を冷やす前に男の体温で温まった布団をかけた。男は安らかに眠るゼドを真横で眺め、時より手櫛でその黒髪を梳いた。頬に手を置くと男はゼドの唇を奪った。

「……これが初めてだったよ」

 儚い笑みを浮かべると、男はゼドが座っていた椅子に腰かけた。ゼドの温もりと匂いに満たされた、布団に包まれた。男はその中が何よりも温かく、安心出来た。そのままゼドの寝顔を男は楽しみ続けた。

 メヴィスは起こさないように部屋の扉を小さく開けた。ゼドと男の様子を確認するために訪れたが、すぐにそれが不要だったと気付いた。男の方が優しい視線をベッドに眠るゼドに送っていた。それ以上の答えはいらなかった。メヴィスにはそれがどういうことか知っていた。メヴィスも今は妻がいたが、昔はある人を愛していた。幼馴染で背中を互いに預けられる、戦友ほどの仲だった。最初はただの友情だったが、その思いは恋だったとある時に気付いた。最初は困惑した。自分の状況をどうすれば良いのか悩んだ。そのような同性愛者が身近にいないからだった。だが、意外にもその悩みは向こうからの告白で終わった。まさか思いもしない展開だった。更に仲を深めていこうという矢先に、その人は戦死した。遺言は自分自身のことではなく、独りにしてしまう妹の世話を迷惑だとしても一番信用出来る自分にしたいとのことだった。メヴィスがウェルヴィス家当主アーグスに伝えると、アーグスはすぐに承諾した。

 生活費を援助する提案だったが、その人の妹、メヴィスの妻は同じ悲しみで打ち拉がれているメヴィスと住むことを願った。その人がいつまでも、親しい者の心の中に生きていることを忘れたくないからだった。そんな中、メヴィスはある時プロポーズをされ、その人の名前をもじったシリゼスが産まれた。今でも忘れることのない瞬間だった。

 邪魔をしては良くないとメヴィスは何事もなかったかのように、その場から去った。闇の中からその様子を見つめていた銀の瞳は、過ぎ去る足音を聞きながらゼドに視線を下ろした。そこにいてくれるだけで全てが幸せだった。虫の静かな演奏を聞きながら、男は暗闇での一時を噛み締めていた。窓の外の色が明るくなり始めていた頃、扉がゆっくり開くと部屋に細い光が漏れた。鞄と上着を持った女が立っていた。

「本当にもう良いのか?」

「行こう……さようなら」

 と、男は女の質問に答えずに、ゼドに一言告げてから部屋を出た。

 男は上着を素早く羽織った。ポケットに慣れた重りがあった。女がメヴィスと挨拶をしてから、屋敷から立ち去った。尾行する者がいないことを確認してから、二人は裏路地に入った。男はフードを外すとカツラを外した。裏路地に漏れた小さな明かりが、その銀髪を輝かせた。女も薄いカーディガンを脱げば、背中に赤黒い薔薇の入れ墨が入っていた。男は座り込むと頭を掻いた。女は仕方ないと言う風に男の手を下ろすと、カツラを付け直した。

「そこまで悩むなら考え直したら良いのに……。まだ決まった訳ではないのよ」

 と、女は男の顔を悲しそうに眺めた。

「良いんだよ、もう僕には。帝国に行く前に人生で最後に会えたから。本来なら合わせる顔もないのに、リリアル姉さんの図らいで会わせてくれたから……」

 男は泣きそうな銀の目を押さえながら、頭を左右に振った。

「あらあら、泣き虫じゃない。本当に貴方には辛い目に遭わせたわ。私がするべき復讐を全て一人で抱えさせたから」

「行こう」

 男は女の袖を引き、前に進もうとした。だが、女は止まったままだった。

「……ねぇ、どの道幸せになれないのなら自由の方に賭けようよ」

 と、女の方が男よりも泣きそうな顔をしていた。

「もう希望を与えないでくれ、リリアル姉さん。僕らに帰る場所はないんだよ。どこにもない。家族もない。どちらもみんなを裏切った。せめて認められる帝国に行くって決めたじゃないか」

 男は女を力強く睨んだ。だが、女は男に近付くとその頬を優しく触った。目から零れ出る涙を指で拭っていた。

「なら、貴方は何故泣いているの、セイン?」

「え……?」

 男には女が言っていることの意味が分からなかった。自分の頬に手を置くまで。自分が泣いてると知った男は急いで袖で涙を拭った。荒い服の表面で目が痛くなったが気にならなかった。

「泣いてなどない。……ただリリアル姉さんには幸せになって欲しいんだ。もう解放させてくれ。自由だと言わせてくれ」

「私の幸せはセイン、貴方の幸せよ。それが姉の使命と言うもの。いや、使命でもなくて良い。私が貴方のために生きたいんだよ。姉の我儘なら許してくれる?」

 キッパリと言い切る女に男は口を固く閉じながら、足元を見つめた。口を開いても、言葉が出ることはなかった。唾を飲み込んでから、男は乾いた口から言葉を必死に紡いだ。今伝えなければ、一生伝えられない気がした。

「……許すことは出来ない。リリアル姉さんを危険に晒すことは出来ない。僕が僕を許せなくなる」

「仕方ないね」

 と、女は少し先を歩くと男に振り向いた。

 笑みを浮かべていたが儚く、辛い笑みだった。今にも壊れてしまいそうな危うさを抱えていた。男はかける言葉が思い付かず、顔を顰めながら横を見た。顔を合わせることは出来なかった。女は男を一瞥してから、走り出した。男が顔を上げた時には、女の姿はどこにもなかった。男は何も出来ない手を見つめながら、後を追えなかった。声をかけて呼び止めることも、腕を伸ばすことも出来なかった。自ら何も動けずに立ち止まっていると、女は遠い先にいた。男は地面に座ると、目を押さえた。それで気分が晴れることはなかった。ここで女に反対されるとは思っていなかった。闇の中、何の光もなく一人で座り込んでいると靴に何かが当たった。

「……ん?」

 男が目を開けると薄汚れた子供が見ていた。スラムの子供だった。男は無造作にポケットに手を入れた。いつか入れたままの金平糖が入っていた。それを男が取り出すと、子供は物欲しそうな目をした。だが、男にはそれの良さが分からなかった。今はどこまでも濁り、不味そうな飴が手の中に転がっていた。男が渡すと子供は満面の笑みを浮かべながら、一粒の幸せを味わった。少し気分が良くなった男は子供の頭を撫でようとしたが、すぐに手を戻した。手は真っ赤に汚れ、忘れることのない顔と声が脳裏にこびり付いていた。男が口を開けると、乾いた笑い声が漏れた。子供は不思議そうに男のことを見つめていた。

「死に損ないが」

 と、男は自分自身に吐き捨てながら、喉元に爪を突き立てた。

 爪が食い込み、胸が一瞬で凍ったように冷えた。身を引き裂く痛みが自分の臆病さを一層表していた。男は何よりも自分自身のことが嫌いで仕方がなかった。もう合わせる顔もないのに無駄な未練があるから、最後に会ってしまった。それが更に男を悩ませた。もう生きる価値もないと消えようとした時、女に助けられた。その日からそのまま、何かに引きずられるように生きていた。本当はそのようなことしたくなどなかった。

「つら、そうだよ」

 男が顔を上げれば、子供が心配そうに見ていた。男にそっと一歩近付くと男の口角を小さな手で上げた。

「笑顔だよ。笑顔じゃないと、つらくなるって死んだお母ちゃんが言っていた」

 と、子供は男に手本を見せるように笑みを見せた。

 男には分からなかった。何故そのような状況でそんな笑みを見せられるのか。自分自身のことが更に嫌になった。惨めだった。そのような表情を見たくなどなかった。

「去れ、消えろ、失せろ」

 気付けば男は声を大きくしながら、腕で子供を遠ざけていた。子供は目に怯えを見せながら、座り込んだ。男に縋るような目をした後、背中を見せながら早足で逃げた。男はその姿が見えなくなると足を抱えながら丸まった。誰とも目を合わせたくなかった。誰もが自分に後ろ指を指しているようだった。自分が何をしたいのかそれさえも、もう分からなかった。

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